第1884話・第十回武芸大会・その二

Side:足利義輝


 オレと母上が競技場の席に姿を見せると、周囲を囲むように集まる多くの民らが騒ぎ、笛や太鼓の音が一層大きくなったことに感慨深きものを感じる。


「これは……」


「喜んでおるのだ。かように迎えられることもまたよきものであろう」


 あまりの騒ぐ周囲に母上が人前で滅多に見せぬほど驚いた。畏れ多いと控えるより喜びを分かち合う。尾張に慣れておらぬと戸惑うのは当然か。


 武衛や弾正が民に控えるように命じぬことで、この地では民が武士に気さくに声を掛ける者が多くなった。


 さすがに将軍としてのオレには軽々けいけいに声を掛けてくる者はおらぬが、それでもこうして共に武芸大会を見物することを喜ぶ。


 畏れ多いと言いつつ、なにをされるか分からぬと避けられる日々よりよほどいい。


「かような国があるとは……」


「こればかりは命じて成せることではない」


 近衛殿下はこの意味を知っておればこそ、朝廷と近衛家を残すべく動いておるのだ。主上や院ならばいざ知らず、公卿ではこの国と対峙するなど出来ぬこと。


「ああ、皆もゆるりとするがいい。余と母上もそのほうがよいからな」


「ははっ!」


 先に到着しておった武衛らに一声かけて席に着く。


 主立った者はすでに慣れておるようだがな。作法などいかようでもいい。共に楽しむ。今この場にて必要なのはそれだけだ。院の蔵人らの失態はよき先例となった。


 一息吐くと、会場では武芸大会に銭を出した者の名が告げられるようだ。


 尾張では、武芸大会に銭を出した者は名を挙げる。北畠、六角も銭を出しておることもあり、オレも銭を出し、尾張と二家と共にあることを示しつつ将軍としての体裁も保つ。


 さらに、この献策はそれだけが狙いではない。こちらが出す銭はすべて悪銭と鐚銭だが、後日、尾張は同じだけの銭を良銭としてこちらに献上する手筈になっている。これは母上も知らぬ秘中の秘だ。


 事実を知る僅かな奉行衆は、まことに良いのかと尾張に幾度か確かめたとも聞いた。見方によってはオレが尾張に無理難題を申し付けたように思えたのだろう。


 表沙汰にせずに足利家を助ける策だと知ると、恐ろしいことをすると言いたげな顔をしていたのを思い出す。


 まあ、左様な奉行衆ですら、一馬と織田が銭を造っておることは知るまい。集めた銭は一馬の所領に運び作り直すのだとか。これはさすがに儲けにならぬようだが、粗悪な銭が巷に蔓延して商いに支障が出るほうが困るのだとか。


 一馬は『経済』という言葉を使うておったな。オレも未だにすべてを理解しきれぬ久遠の知恵の中でも難しきことだ。


「ほう、朝倉宗滴もか」


 オレに続き北畠と六角の名が呼ばれたが、そこに越前の朝倉の名が呼ばれると驚かされる。


 同じく悪銭を出したか? いや、それはあるまい。あれは僅かな者しか知らぬこと。宗滴か義景か。いずれかが因縁を軽うするために宗滴の名で銭を出したのであろう。


 生き残りに足掻いておるのはいずこも同じか。




Side:とある武士


 賑やかだ。これから始まる武芸大会を誰もが楽しみにしておるのだ。


 ただ……、わしの武芸大会はすでに終わっている。


 九年前の第一回から続けて挑んでおるが、勝ち進むことが出来ず、ここ数年は予選で敗れているのだ。


 幼き頃から亡き父上に習い、誰よりも武芸に励んだつもりだ。三男であることから身を立てるには武芸が一番だと父上が教えてくれたからな。


 人並みには出来る。弓も槍も刀も。されど勝ち上がれぬのだ。


 わしが勝つことを楽しみにしておられた父上も数年前に亡くなり、今では織田家文官衆として勤める日々。


「空いておるところはないか?」


「清洲と近隣は、いずこもいっぱいだぞ」


 寺社奉行配下として、今日は武芸大会見物に集まる者らが泊まる宿の差配に忙しい。


 事前にゲルを用いた宿も用意しており、周囲の寺社からもいかほどの人が泊まるか報告が上がってくる。それでも泊まるところを見つけることが出来ぬ者が出るほど、多くの人が集まるのだ。


「一度でいいから本選で勝ってみたいものだな」


 隣で各地からの書状を確かめておる男が、ため息交じりに外に目をやった。風に乗ってか外の賑わいが聞こえるだけに皆同じ心情かもしれぬ。


「ああ、そうだな」


「だが、難しかろう。励むのは皆が励んでおるのだ。あとは才なのか、血筋なのか」


 文官衆も同じなのだ。皆、一度は武功を挙げ誇ることを夢見る。近年では首を挙げての武功がなくなったことで、武芸大会での武功を夢見る者が多い。


 柳生殿や愛洲殿のように毎年必ず決勝まで勝ち進むなど、人知を超える強さがあるとしか思えぬほどだ。


「おっと、無駄口を叩く暇などなかったな」


 隣の男はそう言うと再び書状に目を通し始めた。


 なるべく皆が屋根のあるところで泊まれるようにと、人を割り振らねばならぬ。まだ尾張や近隣の民ならば伝手もあり己で泊まるところを見つけるが、新参の領地の者や他国他領の者らは泊まるのに苦労をするなど思うてもおらぬ者が多い。


「おいおい、蟹江まで泊まれるところが少ないのか!?」


 次から次へと舞い込む報告に一喜一憂する。だが、さすがに蟹江で泊まる場が足りなくなりそうだということには驚かざるを得ない。


 あの町は内匠頭様が差配して作られた町だ。他国にはない大きな旅籠もあり、ゲルでの宿も多くあるはずだが……。


「蟹江、津島、熱田。一度は見てみたいと言われるところだからな。致し方あるまい」


 あちらでも武芸大会として書画や職人の品を見せておるからな。商人や他国の者は、清洲の大会よりそちらを先んじて見るものが多いほどだ。


「商務の間に行くしかないかぁ」


 少しばかり危うい。本来は商務の役目ではないのだが、あそこに行けば久遠家のどなたかがいる。手の打ちようがないほど困る前に知恵を貸してもらいに行かねばなるまいな。


「ああ、若殿の那古野城と内匠頭様の屋敷なら、まだ使っておらぬゲルがあるかもしれぬ」


 以前、内匠頭様が言うておられた言葉を思い出す。生涯一度の旅を楽しみに来る人もいるのだから、出来ることはしてもてなしてやりたいと。


 端の者の心情などお心に止めずともよいのではと思うがな。


 一度も武芸大会で勝てぬわしからすると、理解する。


 たった一度のために日々励んで生きておるのだ。一度くらいは夢を見せてやりたいとな。




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