第1879話・あれから……

Side:久遠一馬


 九月も半ばに入ろうとしているが、尾張では武芸大会本番間近となり予選会が終盤を迎えている。


 ただ、今年は早い競技だと八月中には予選会が行なわれていて、諸国から武芸自慢が予選会に挑んでは敗れたという話がちらほらと聞かれる。


 数年前は牢人が集まるので治安の悪化など問題もあったものの、無料宿泊所を用意することや敗れた者に仕事の斡旋などで騒ぐほどではなくなりつつある。


 あと近江から義輝さんが慶寿院さんを連れて尾張入りした。夏の花火見物に続く来訪であり、今回も例によって都の公卿を伴っていない。


 都では、夏の花火見物のあとに義輝さんを非難する声が僅かにあったそうだ。


 近江に御所を設けることや、病と言いつつ花火見物に尾張まで出向くこと。さらにこれが一番の不満だろうが、自分たちが呼ばれなかったことに対する不満が公卿や公家の一部から出たそうだ。


 尾張から朝廷への献上品を、義輝さんを通すことにしたこともある。あれも筋を通したと言えるものの、向こうからすると後から利権に割り込んだように見えるのだろう。


 近衛さん、山科さん、広橋さんなどは、オレたちが都から距離を置きたいと理解しているので騒がないものの、先代の義晴さんの頃から流浪の身で権威の落ちていた将軍が力を取り戻し、あれこれと口を出すことを疎む人も相応にいる。


「恨まれ役を任せちゃったね」


「ええ、奉行衆には礼を欠かせません」


 そんな義輝さん絡みの報告に、エルたちと共に苦笑いを浮かべた。


 武衛陣には織田家文官が滞在していて斯波家として話し合いや調整をしているものの、矢面に立っているのは義輝さんと幕臣だ。


 それが彼らの役目であることも事実だけど、朝廷や公卿と対峙することはオレたちが思うより大変で難しいことになる。


 無論、彼らへのバックアップも織田家として欠かせず、梯子を外すようなことはあってはならないことだ。


 まあ、幕臣自体も一括りに出来ないという面倒さはあるけど。


「それはそうと、思ったより資金が集まりそうだね」


 あと近江御所。これ天下普請になるので各地の守護や寺社には形式として声を掛けている。資金の献上までは要求していないものの、過去の慣例から相応に資金や物資を出す勢力が多い。


「本願寺は流石というべきでございましょうな」


 資清さんが唸った本願寺は拠出した資金が多く、物資の提供も申し出ている。


 はっきり言うと石山本願寺は、史実と同等かそれ以上の資金力がある。主に願証寺のおかげで尾張との商いが盛んだからね。


 今回は天下普請になるものの、事実上三国同盟の動きとして見るのが自然で、石山本願寺としてはここで存在感を示したいんだろう。


 まったく無視しているのは若狭管領である細川晴元くらいだからなぁ。驚くことでもないんだけど。


「殿、伊勢の件でございますが……」


 ああ、望月さんから宮川決壊の報告が届いた。


 復旧は順調らしい。目立たないようにオレたちは戻ってきたけど、織田の文官武官と黒鍬隊や警備兵は残っているしね。具教さんが陣頭指揮を執っていて大きな問題もないらしい。


 懸念だった具教さんの下命に従わなかった惣村、土豪、寺社の末端だが、意地を張ることも出来ずに崩壊、または主要な者が討たれるなどしているようだ。


 縁ある国人も寺社も誰も助けられず、仲介ですら具教さんが拒否した結果だろう。


 ただ、少し面倒になりそうなのが神宮だ。一連の復旧復興の費用負担もそうだが、北畠家が本気で統治改革を始めたことを驚いていると知らせが届いた。


 何年も前からやっていることなんだけどね。自分たちに火の粉が降りかかると知ると少し焦っているらしい。


 神宮領だけが貧しくなる。これが現実味を帯びたからだろう。


 まあ、話し合う意思はあるようだし、おかしなことにはならないと思うけどね。神宮はあくまでも皇室の祖先を祀る特別な寺社だ。立場も難しいし、簡単に北畠家に従って降れないのも理解はする。


 ほんと、朝廷の少し先の姿を見ているようだよ。




Side:河尻与一


 武芸大会も間近となり、賑わう町を見ておると時の流れの速さに驚かされる。


 今年は年長の者らも武芸大会に加われるようにした。わしもあと十年、いや五年若ければ自ら出られたのだがな。


「今年いっぱいで隠居か。確かにそろそろゆっくりしてもいいだろうね」


 ジュリア殿を見ておると、今でもあの夜を思い出す。大和守家最後の夜だ。ジュリア殿やセレス殿はあまり変わらぬが、わしは年老いた。


 晩節を汚す前に引きたい。


「はっ、年寄りがいつまでも出張るべきではないかと」


 少し寂しげな顔をされるジュリア殿に驚きつつ、それがなによりの誉れであると受け取る。


 すでに大和守家と弾正忠家の確執もない。旧臣らの大半は、己が役目と生きる道を見つけておる。


 久遠家の与力としてもやれるだけはやった。織田家においても別格である久遠家独自の武官や警備兵を揃えることも出来た。


 武芸大会で年長者の活躍の場を設けたことを、最後の役目としようと随分前から決めておったのだ。


「己で決めた道だ。アタシから言うことはないよ。ただ、隠居してやりたいことでもあるのかい?」


「いえ、特には。某は武士としてのみ生きておりましたので……」


「そうかい。なら、学校の師になる気はないかい? たまにでいい。積み上げたものを次の世代に伝えてほしい」


 まさかの誘いであった。確かに隠居してなにかやろうと思ったことはない。出家して祈るかすら決めておらなんだのだ。


「某に教えられることがありましょうか?」


「今の子は知らないんだよ。日々、命懸けだった頃をね。無論、これはアタシたちが目指した先だ。文句はない。ただし、かつての日々を伝えるのもまた必要だよ」


 年寄りには年寄りの役目があるか。ふふふ、久遠家には最後まで敵わなんだわ。


「ひとつ願いがございます。それを聞き届けていただけるならば……、お受けいたしましょう」


「いいよ。アタシと殿で叶えられることなら。随分と世話になったからね」


「もう一度……、手合わせをしてほしゅうございます。あの夜の決着を付けて隠居しとうございましてな」


 わしがジュリア殿と手合わせをしたのはあの夜以来、一度もない。すでに老齢の身であったことや己の立場もあった。


 最早、武芸大会にも出られる力などないが……。今一度、武士として……。


「そんなことか。それなら構わないよ。ただし、手加減はしないからね」


 敗れし者にも先はあるか。わしは恵まれておったのかもしれぬな。




◆◆

 永禄三年末、河尻与一が隠居することとなり与力を離れたと『久遠家記』に記されている。


 織田大和守家の重臣でありながら、その潔い態度を気に入られ、織田信秀に仕えることを許されてから十年後のことであった。


 弾正忠家時代は久遠家与力として働いており、主に今巴の方こと久遠ジュリアの下で仕えていたと様々な記録に散見している。


 彼の力量と働きは大きかったようで、隠居時には大和守家時代と比較して数倍の俸禄を得ていたという記録が残っている。


 久遠一馬や久遠ジュリアは彼を織田家奉行職など要職に推挙したこともあるものの、当人の希望により最後まで久遠家を下支えしている。


 特に久遠家主導である武官の整備や警備兵と武官の役割立場の差別化と連携など、久遠家の改革において彼の働きが大きかったことが明らかとなっている。


 隠居後、与一は久遠ジュリアの勧めで織田学校の講師として勤めることになり、こちらでも多くの子供たちを育てている。


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