第1880話・秋の日々
Side:武芸大会を待つ領民
「おっ父、持ってきたよ!」
仕事の道具を持ってきた倅を見て、大きくなったなと改めて思う。ちょうど初めて武芸大会があった時に生まれた子だ。
生まれた時はあまりに小さくて長く生きられぬと思ったほどだが、武芸大会の救護陣ってところにいる薬師様に診ていただいてからは、他の子と変わらぬくらいに大きくなった。
「おう、よく見ておけよ」
「うん!」
近くの坊様に読み書きを教わっているせいか、近頃はおらよりも字が読めるようになったくらいだ。
流れ者のおらには家職なんてなかったが、故郷の村で木工の真似事をしていたものを暮らしの足しにと作ると売れるようになり、いつの間にか職人として働いている。
村だと行商人に買い叩かれていた品が、ここだと数倍の値で売れる。裕福と言えるほどじゃねえけど、日々腹いっぱい飯が食えて、わずかに銭を貯めることすら出来るんだ。
「与作、いるか?」
倅にもそろそろ仕事を教えようと見せておると、同じ職人で大八車を作っているやつが姿を見せた。
「おう、いるぞ。いかがした?」
「わりい、明日までにいつもの品三つ、頼めねえか?」
「ああ、いいぞ。ひとつはそこにあるのもってけ。あとふたつは明日の朝までに作っておく」
こりゃ、今夜は寝れねえなぁ。
「おっ父……」
「そんな顔するな。武芸大会はちゃんと連れて行くからよ」
倅はここ数日、仕事が入るたびに案ずるような顔をする。武芸大会を見に連れて行くって言ったんだが、忙しくなって行けなくなるんじゃねえかと気が気でないらしい。
「おらも手伝う!」
「ああ、じゃあ、おっ母に今日は夜通しで仕事だって言ってきてくれ」
見よう見まねで職人になったおらにはそんなに難しいことは出来ねえが、同じ寸法の品を作るのだけは出来るんだ。
物差しで寸法を確と計り、頼まれた品を作る。
武芸大会だと美味えものがいろいろとあるからなぁ。倅にも食わせてやりてえ。その分、いつもより多めに働かねえとな。
あれから九年。一家、皆が飢えずに大きな病もなく生きてこられた。それだけで分不相応なほどありがたいことだ。
もっと励まねえといけねえなぁ。おらと家族のため。尾張のために。
Side:塚原卜伝
この時期になるとやはり血が騒ぐ。もう若くないというのに、才ある者や見たこともない武芸の使い手を見ると嬉しゅうて仕方ない。
「九年か」
あの年、伊勢に行く道中で偶然立ち寄った武芸大会。わしにとっては昨日のように思い出されることなれど、九年は世を変えるには十分な年月であったらしい。
変わることない争いと飢えの世がまさか終わる日が来るとは。今は尾張と近隣のみなれど、確実に太平の世が見えておるのだ。
これが嬉しゅうての。苦しみ悲しみつつ生きておるのではない。皆が明日に夢を持ち笑うて生きておる。左様な国で暮らせる幸せは何物にも代え難いものじゃ。
「ここは相変わらず賑やかですね」
「氷雨殿か。ふむ、体のほうは戻ったようじゃの」
清州城内にある道場で若い者の手合わせを見ておると、氷雨殿が姿を見せた。今年の年始に子を産んで休んでおったが、少し前から職務に復帰しておる。
久遠家の者は日々の食からして違うこともあり産後もあまり苦でないようじゃが、それでも役目として働き、武芸にて戦える体となるには相応に鍛練を重ねる必要がある。以前に会うた時よりもさらによき立ち居振る舞いをしておるわ。
「ええ、とはいってもまだ戦うには少しばかり勘が戻っていませんね」
わしには万全に見えるが、当人は慎重じゃの。この辺りは今巴殿と違うところと言えような。
「武芸大会はいかがするつもりじゃ?」
「出るつもりで鍛練しております。私は模範を示すだけですので。ただ、鍛練の時間を取るために、佐々殿に役目の大半を押し付けたままになっておりますよ」
久遠の女衆は目立つからの。氷雨殿の産後を案じる声は多くあった。模範を示さずとも公の場で健在な姿を見せれば、家中ばかりか民も喜ぼう。
光明じゃからの。久遠家は。笑みを見せてそこにおるだけで、この国は今以上に変われる。
「それもよかろうて。あの者も喜ぼう」
久遠家の代わりを出来るということは、平時においてなによりの誉じゃからの。戦での武功よりも家中では重きを置いておろう。
流派に拘らず皆で鍛練に励む者たちを見る、氷雨殿の顔を見て思う。この九年で成したものはあまりに大きいのだと。
されど、次の十年じゃ。恐らくここがこの先の日ノ本の行く末を左右する年月になろう。
わしの残りの命。あと十年、もってほしいものじゃな。
Side:久遠一馬
河尻さんが隠居をするという。勿体ないなと思うのはオレだけだろうか?
断られると知りつつ最後に一年でいいから要職に就かないかと誘ったけど、やっぱり断られた。相談役とかでもいいからと欲しがる人、多いんだけどね。本人に信念と美学がある人だ。
彼の役目は日本一難しい与力だったろう。日ノ本の習慣と違うウチの下で八年も働いた功績は抜きん出ている。
ただ、河尻さん、子供がいないんだよね。家督は血縁である河尻秀隆さんに譲るそうだ。史実で織田信忠の側近中の側近となったほどの人であり、現在の織田家中でも評価の高い人になる。
あと、楽隠居かなと思ったら、ジュリアが学校の講師に誘っていたけど。
アーシャが喜んでいたよ。平和になり子供たちの様子も変わりつつある。やはり苦労を知る年配者は必要なようだ。まして彼はウチの価値観を知っているからね。
ウチもそれなりに年配者と言える年齢の家臣がいる。重臣では船大工の善三さんや山の村の長老さんなんかもそうだね。とはいえ隠居は本人次第なんだ。
もともとケティたちの指導もあって、仕事量を年齢や役目を考慮しつつコントロールしていることもある。
善三さんも今は管理職と水軍学校の講師がメインだからなぁ。山の村の長老も半隠居していて、山の村で子供たちの世話をしているそうだ。
ああ、隠居する武士に関しては織田家でも変化しつつある。隠居後、出家して祈りの日々を送る人は正直少ない。どちらかというと地域で教師となる人が増えている。
出家の有無は半々といったところだが、手放した元領地に戻って、屋敷や寺で領民や子供たち相手に武芸や学問や分国法などを教えているんだ。
まあ、隠居後の武士の仕事として学校の講師を勧めていたのはオレたちなんだけど。思った以上に評判がいい。
資清さんたちの助言もあり、あまり年配者だけでまとめたり寺社にて外界と関わらない暮らしをさせたりすると良くないって理由もあるけど。
それなりの武士だとこの数年で学んだことをきちんと理解しているので、助かっているんだよね。ケティなんかは衛生管理を彼らに指導するように頼んでいたくらいだ。
毎年のように増える新領地での争いや混乱を聞いていると、昔のように戻りたくないと考えてくれる人は多い。
不満やもっとこうしたらいいという考えもそれぞれにあるのだろうが、全体として今の流れを壊したい人はほとんどいないんだろうね。
朝廷による三関封じや上皇陛下の元蔵人の一件もあり、西が信じられなくなりつつあることもある。
畿内が外敵となることで尾張はより結束しているんだから、世の中の動きというのは良く出来ているなと思う。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます