第1876話・秋の災害・後始末・その五
side:エル
ようやく水害の復旧工事が進みました。
一番の懸案だった神宮に関しては、尾張式賦役での復旧を望んだものの、神宮領における復旧費用を概算見積もりとして提示した金額に驚いており、費用に関しては議論を分けてほしいということで工事がいち早く始まりました。
無論、神宮に支払いの意思はあり、あとは支払い方法の交渉をするということですが。
北畠としては、一部減額、または北畠で負担割合を増やして各種利権を押さえるという選択肢もありますが、斯波、織田、久遠としては選択肢が多くありません。
あまり表に出すぎると、三河矢作川の復興で吉良家が領民の支持を失ったように、在地勢力である北畠の影響力と面目を失わせる可能性があることで、表立って動くことは好ましくありません。
「警備兵、その役目が此度の一件でよう分かりますな。荒れる村々を押さえ、賊をこれほど見事に捕らえてしまうとは……」
鳥屋尾石見守殿は少しお疲れのようですね。ただ、物事がこじれるほどではないため、諦めにも似た心境のようにお見受けします。
というのも、被災地の治安は概ね安定しているのです。尾張から連れてきた警備兵と黒鍬隊が北畠方の村を押さえ、係争地も巡回するようになると、亜相様の下命に従わない村は動揺して一気に情勢が動きました。
今では惣村をそのまま維持している村はありません。一部の土豪や寺社が村を従えて籠城するように耐えており、北畠家の縁ある者と交渉しているようですが。亜相様と大御所様の決意は固く、誰も仲介出来ていないのが現状になります。
「この辺りは尾張との友誼や同盟における恩恵のみを享受していたので……」
「左様でございますな」
主立った者たちは理解していることですが、大湊が早期に尾張と協調路線となったことで近隣もまた織田経済圏の恩恵を早くから得ていた地域になります。それは北畠家が大湊を制しても変わらなかったことから、義務を負うことなく利益を得た弊害が出たとも言えます。
無量寿院の一件などは聞き及んでいたはずですが、大湊や北畠家が尾張と上手くやっている現状で、自分たちの慣例にないことを命じられるとは思っていなかったというところです。
ただ、ここまで北畠家が覚悟を示すと、彼らは連携することも無理であり、土豪や寺社もまた上位の者が力を貸すなどあり得ない以上、各自崩壊して降伏するしかないでしょう。
「あとは大きな懸念はないでしょう」
下命に逆らった者は田畑を持たぬ者から北に逃げ、大多数は流民として織田領へと向かいました。一部残る者も、責任を取ることになり終わるはずです。
すでに水軍衆も捜索の任務を終えて本来の役目に戻っていて、若殿と私たちも近日中に尾張へ戻る予定です。ジュリアが少しばかりやりすぎたことで、これ以上私たちがこの地に残ると、北畠家の権威にも傷がつきかねないからです。
尾張からの一万の黒鍬隊はもうしばらく滞在して復旧を急ぐことになりますが、あとは北畠家と織田家文官・武官衆がいくらか残れば問題ないはずです。
残る懸念は大御所様や亜相様の身の安全であり、鳥屋尾石見守殿にはよくよく注意をうながしました。ただ、この方もどこまで信じていいか少し分からないところがあります。
世の流れを理解しているお方ですが、それでも旧来の統治を望む北畠家家臣たちに押されて、そちらに傾かないとも限らない。
当面はシルバーンで警戒を厳にしてもらうしかないでしょう。
北畠家の改革はここから始まるのですから。しばらくは予断を許さない状態が続くでしょう。
◆◆
永禄三年、八月二十六日。伊勢宮川決壊。
畿内においても沿岸地域を中心に大きな被害をもたらした台風と思わしき災害により、伊勢宮川が決壊した。
詳細な記録の残る織田領においても被害が出ていたものの、当時の織田家ではすでに久遠家主導による台風対策があり被害は軽微となっている。
同盟相手である北畠家にも台風の情報は伝わっていたものの、統治体制の違いや宮川堤があったことから危機感を持てなかったらしく、対応が出来ないまま被害が拡大したと織田側の資料に残っている。
織田家ではこの災害に対して、三河矢作川の決壊で教訓を得て創設された日本史上初の災害救助部隊である雷鳥隊と水軍衆に加えて、準職業兵といえる黒鍬隊を一万動員して北畠家の支援にあたった。
織田信長と久遠一馬、大智の方こと久遠エル、今巴の方こと久遠ジュリアなども現地入りしており、織田家と久遠家がいかに北畠家を重要な同盟相手として見ていたかが分かる布陣になっている。
先遣隊には雷鳥隊を指揮していた雷鳥の方こと久遠ジャクリーヌと、織田領において栄養学の基礎を伝えた食師の方こと久遠セルフィーユが、現地入りし災害時の疫病蔓延を阻止するべく災害救助に当たっている。
なおこの時、海上にて行方不明者の捜索に当たっていた織田水軍の久遠船において、海上に流された者を救助し、心肺蘇生法などを用いて呼吸停止していた者を助けたことが記録にある。
すでに水軍と海軍では、おぼれた者の救助を目的に久遠家から同技術を教わり習得していたのだと織田家の資料に存在するものの、実際に久遠家以外の者が呼吸停止からの救助をしたという事例はこれが初であった。
伊勢大湊など災害地域でも大いに話題となり、久遠医術は冥府から戻す術があるとすら讃えられたと記録にある。
北畠家に関しては、この頃は織田家に習い統治改革をしていた最中であるが、国人や土豪を束ねている寄り合い所帯としての体制を改革出来ておらず、六角家に宿老である目賀田家が所領を返上したことで、先を越された形となっていた。
そこにこの災害があり、晴具と具教は見事な災害対応をした織田家の者たちと、自分の村や領地以外は敵だと奪い合うばかりの領内の違いに大きく落胆したと伝わる。
それでも具教は二度に渡り北畠家主導で災害救助と復興をしようと被災地の諸勢力や村に従うように命を出しており、二度目には明確に書状まで届けているが、被災地の三割から四割は従わないか、従うと言いつつ勝手な行動をしていたと記録にある。
結果として晴具と具教は、旧来の統治に完全に見切りを付け、志願した久遠ジュリアに現地の掌握を任せるなど、自らの人脈と織田との同盟関係を使ってまで新しい治世へと突き進む道を選んでいる。
南北朝時代には鎮守府将軍の地位を得ていた名門中の名門である北畠家が、変わりゆく世の中で新時代にいち早く付いて行こうと努力した過程は様々な資料に散見されており、その努力と名門故の難しさを現在に伝えている。
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