第1875話・秋の災害・後始末・その四

Side:久遠一馬


 こちらに来て十年、価値観の違いは未だ大きいなと実感する。


 みんな自分の利権、田んぼ、米。それらを守ろうとするばかりで、人の命の軽さといったら恐ろしいほどだ。


 信長さんとオレがこちらに来て五日。この間にいろいろとあった。


 ひとつは従う村と従わない村の選別。これ自体は強引な部分もあったが、この時代としては甘いと言えるほど丁寧に動いたこともあってスムーズに進んだ。一方で従わなかった村の大多数は、早くも惣村が崩壊しつつある。


 北畠家の面目を潰してまで勝手に動いた者たちに待っていたのは、北畠という庇護の喪失と地域経済からの除外。村や田んぼが浸水した者たちが、刈田を終えて塩など日常で必要なものを手に入れようとした途端、以前の五倍以上という物価上昇に騒ぎにならないはずがなかった。


 同じく一部の現地の寺社もまた、北畠家の動きに素直に協力しなかった。それらの寺社は具教さんの決断によって以後は経済的な配慮が不要となったことで、織田北畠の経済圏からの離脱という事態となりこちらも混乱している。


 ただ、寺社に関しては絶縁や禁教令などを出しておらず、あくまでも北畠家の配慮が消えただけという若干の配慮が残る形ではある。当の寺社は予期せぬ格差で、それに気付く余裕すらないと思うけど。


「一馬、いかにすればいい? 神宮も随分と折れておるが……」


 この日は信長さんとエルたちに、具教さん、晴具さん、鳥屋尾さんと、今後の災害対応について話し合っている。北畠家で動く前にこちらと相談して指南するという形を取ることにしたんだ。


 具教さんと晴具さん。北畠家家臣というか南伊勢に見切りを付けたいような節がある。このまま南伊勢の改革で北畠家が後れを取るのが一番困るみたい。


「理想は神宮領も一緒にやるべきでしょうね。ギーゼラどう?」


 最初の懸案は伊勢神宮だ。この辺りに残る神宮領は広く、北畠領と入り交じっているところなんかもある。


 大湊の会合衆の話では、信長さんとオレが来たことで神宮が慌てて使者を寄越したらしいけど。少し風評が酷いと思う。


 確かに神宮が動かなくても、こっちは勝手にやるから神宮領が困ることになるけど。それはこの時代の流儀では当然のことなんだ。


 とりあえず話をしたいと、こちらの動きに協力する意思もあるとのことは確約した。ただねぇ。


「別々にやると面倒だよ。あと、堤の再建以上はすぐには無理だね。ここらの川の治水は少し難しい。堤の再建と水没した田畑と水路の復旧を優先するべきだよ」


 一応、調べてもらったけど、やっぱ宮川の改修は現状だと無理か。


 北畠家と神宮としたら田畑を優先で復旧しないと税が入らなくて困るからなぁ。あとこれが一番の問題として予算とどういう形でやるかがある。


 仮に北畠領と神宮領を一緒に復旧をする場合、差配は誰がするのか。また最低限として尾張式賦役を導入する場合はノウハウの対価が必要になり、北畠と神宮はそれプラス復旧費用を自力で捻出するか、代わりの対価が必要になる。


 北畠はすでに晴具さんと具教さんの意向で尾張式賦役での復旧を考えており、もし神宮領の復旧を自前でする場合は、こちらは関与しないので頑張ってくださいとなるだけだ。


 ただし、神宮の面目として北畠に後れを取って、神宮領だけ治水がされていない場所となるのは困るのが本音だろう。そのために話し合いを求める使者が来ているんだし。


 結論から言うと、こちらは神宮に対して復旧費用を出してやることは今のところ考えていない。お見舞いとして多少は寄進をしてもいいけど、きちんと責任の所在をはっきりとさせ負担をしたうえで助ける形を取りたい。


 北畠家は、斯波家、織田家、久遠家にとって戦略的にも欠かせないパートナーであることと、今まで助けてもらったことも多いので、表向き北畠家が出した形で資金を負担してもいいけどさ。これは安全保障費用といってもいい。


 一方神宮に対しては、借りはないんだよね。伊勢志摩での神宮領の整理で神宮が所領を放棄したことはあるけど、それだって本を正せば神宮領が滅茶苦茶になると困るからって配慮も過分にあったし。現在でも神宮領だったところの年貢から一定割合を換算した額を毎年寄進しているんだ。


 収支は一時期よりは改善したはずで、自分たちでやってもらうのが筋となる。あとこれはオレの個人的な意見だけど、神宮にあまり配慮するとまた朝廷との関係で面倒になると困る。


 そもそもオレたちも具教さんたちも、惣村を基本とした独立勢力を束ねていく現行の体制に見切りを付けている。


 北畠としてはこれを機会に変わる気のない人を突き放してでも改革をしたいようで、その対象は神宮でさえも同じなんだよね。神宮が変わる気がないなら距離を置きたいようなんだ。


「そっちは話してみるしかないですね。北畠家として条件を提示して回答を待つくらいでしょうか。ところで、ジュリア。そっちはどう?」


「北畠家より離反した村のいくつかは、早くも村の奴らが逃げたり討たれたりして空になっているところがある。持ち主が消えた土地として接収することになりそうだよ。あと別件だけど、許しを請うと勝手に首を寄越したところがある。これは突き返したけど。その程度で許したら書状まで出した亜相様の面目が保てない」


 まあ、神宮はいい。オレたちもそこまで面倒見切れない。まずは北畠領だ。


 ジュリアの報告に具教さんの表情が若干険しくなる。土豪、村単位になると面目も意地もあんまりないからなぁ。本気で捨てられて生きていけないとなると、逃げるか、適当な首で済ませようとするか、討伐覚悟で一揆を起こすしかなくなる。


 命令に背いたところは、全体として惣村の崩壊が起き始めている。村の中や土豪一族の内部で下剋上が起きているんだ。結局は上から下までどこも似たような体制ということだろう。


「もう遅い。首がいくつ届いたとて許してはならぬ」


 具教さんの決意は固いか。


 慣例的には形式として首を相応に出すと許すことは一般的だ。ただ、それをするから命令に従わないところが出る。


 具教さんが覚悟するなら、オレたちももう許すべきだとは言えないんだよね。ただし生きる道は用意してある。村を捨てて織田領に行けば、流民として賦役で生きていけるように手配はした。


 さらに空になった村には尾張から評価の高い人を寄越すつもりで調整をしてある。


「なら、追放ですね。大きな争いにはなりませんよ」


 現地の治安。すでに警備兵と織田領で賦役をしている民から徴兵した黒鍬隊で、すでにある程度管理出来ているんだよね。


 実は織田家では、すでに村から一定の兵を動員すること自体なくなった。新しい治世と価値観をもっとも理解しているのは、領内の各地を移動する形で働く尾張式賦役をしている領民なんだ。


 彼らを徴兵することで士気と規律を保つ軍となる。


 まだ自分たちの村を維持しようとあがいているところもあるが、連携しない以上は脅威とは言えない。


 この地の抵抗は事実上、終了だ。



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