第1868話・秋の災害・その三
Side:北畠具教
当地で見たものは、働く織田水軍と蛮族のような民の姿だ。己の田畑と村しか見向きもせず、この機に係争地を抑えようとする村や苅田をして稲を盗む者までおる。人を助け田畑を直すどころではない。浸水した村でさえ小競り合いをしておる始末だ。
「これが北畠の領国か」
怒り、落胆、恥。一言では言い表せぬものが胸の内で渦巻く。
日ノ本では、いずこも似たようなものなのだ。左様なことは理解しておる。むしろ尾張がおかしいのだと分かってはおる。されど……。
共に霧山から来ておる鳥屋尾石見守が大湊を留守にしておることが仇となったか。こやつがおれば、今少し良かったはずだ。
国人や土豪も愚かな民と同じだ。今頃のこのことわしのご機嫌伺いでもするように集まる。そやつらの顔ぶれに苛立ちが募る。
「申し上げます。久遠内匠頭様の妻殿が目通りを求めております」
叱責したとて意味があるまいと怒りを抑えておると、ちょうど良い知らせが届いた。
「そなたらは下がれ」
わしの言葉に機嫌が良うないと察したのだろう。そそくさと下がる者らに石見守がため息を漏らした。
「お久しゅうございます」
「そなたらか。よき時に来てくれた。もう少し遅ければ、愚か者を怒鳴り散らしておったかもしれぬ」
ジャクリーヌとセルフィーユであったか。顔と名を知るものの、そこまで話したことはない。されど、口ばかりの家臣よりよほどいいわ。
「ご心中お察しいたします。ただ、愚か者のことより先のことを考えるべきでございましょうね。やるべきことは流された者の捜索、堤の復旧、田んぼの稲を刈り取ること。このうち稲を刈り取る以外は、ほとんど出来ていません」
ふふふ、愚か者のことより先のことか。確かにその通りだ。ジャクリーヌは医師でありながら武辺者のようだわ。
「いかにすればよい? すまぬが知恵を借りたい。対価はいずれ払おう」
「尾張からの兵は受け入れるのかい?」
余計な話をしておる時が惜しい。単刀直入に問うとジャクリーヌはニヤリと笑みを浮かべて言葉遣いから変えた。気が合いそうな者だ。
「ああ、すべて受け入れる」
「なら、今日は流された者を探したほうがいいね。まだやる価値はあるよ。海と見える範囲の海岸はこっちでやったけど、あとは手付かずだ。堤を直すのは水量もまだあるから、ちょっと難しいしね」
そのままジャクリーヌとセルフィーユと詳細を詰める。愚かであろうが民を救うことを一番にするべきか。民を教え導くことも己でやらねばならぬということだな。最早、坊主すらあてにならぬわ。
「石見守、今のこと確と命じる」
「ははっ、直ちに!」
家臣らが動き出すとようやく一息つく。政とは難しきものだな。父上には霧山に戻ってほしいくらいだ。
「御所様、ひとつお耳に入れておきたいことがございます」
わしも動くかと思うた矢先、セルフィーユから驚くべきことを聞かされた。
「死人が蘇ったと?」
「いえ、正しくは死ぬ直前の者が助かっただけでございます。ただ、少し噂になっておるようでして」
久遠の医術が別格であることを知らぬ者は神仏の御業かと騒ぐか、それとも冥府から亡者を呼び戻したと騒ぐか。いずれにしても愚か者のことだ。おかしなことを言いかねぬか。
「とりあえず当人をこちらで預かってもよろしゅうございましょうか? 織田ではすでに海で溺れた者を救う術を教えておりますので理解があります」
「そうだな。その者は預けよう。あと念のため、久遠の医術で生きておる者を助けたのだとこちらでも厳命しておく。尾張介殿が身重の女を助け、ケティが幾度か診察したこともある。この地でも久遠の医術が優れておることは承知のこと。おかしなことにはなるまいがな」
久遠の医術が人を助けた話は此度が初めてではない。それ故、恐れることではないのだが、久遠船の船長がそれを成したことは驚くしかない。
尾張との差は開く一方ではないか。
Side:鳥屋尾満栄
奥方殿に助けられたな。
誰ぞが大きな失態を演じたわけではないが、尾張のように領国を変えようとされておるところでの此度の人々の身勝手な動きは、さすがの御所様も堪えたようだ。
以前、六角家の蒲生殿が言うていたことを思い出した。六角家には仏がおらぬから上手くいかぬという言葉だ。
織田からすると左様な一言で片付けられぬ苦労があろう。されど、民が心から祈る者が治める地と他国では天と地ほど違う。
流された者か、すでに生きておらぬのではとわしですら思う。ただ、織田は三河の矢作川決壊の折に確とした対処をしたことで、当地を従えたと聞いたことがある。
此度のような苦労を重ねて人を従えたのだと思うと、これもまた意味があるのだと察する。
皆も悪気などないのだ。近隣の国人や土豪らも流された者を探すように命じると異を唱える者はおらず、すぐに動き出した。
「石見守殿、人の探し方でございまするが……」
人の探し方も違うか。雷鳥隊という者らに教えを請いながら命を出さねばならぬな。やるからには半端なことはするべきではない。いかにせよ助けを受けて頭を下げるのだ。ならばやれることをするしかない。
Side:織田水軍衆
そろそろ近場だと亡骸も見つからなくなった。ただ、探すだけってのはもったいねえから、海に流れている材木なんかで使えそうなやつを引き上げて運ぶことにした。端材でも乾かせば薪にくらいならなるからな。
「しかし、ここらの奴ら働かねえな」
「そんなものだろ。オレらは織田様がいるから働くけど」
大湊のやつらはまだ働いておる。オレたちに飯をくれるし、亡骸や助けた者を受け入れているからな。だが、近隣の村は己の田んぼしか見てねえ。昨日なんて泥水が流れたのは近くの村が悪いんだと争っていたからな。
せめて亡骸くらいは家に帰してやりてえって、オレたちは朝から晩まで励んでいるってのによ。
「おい、あれ引き上げるぞ」
「おう!」
いずこからか戸板が流れてくると皆で船に引き上げるが、戸板の下に掴まるような亡骸があった。
「可哀想になぁ」
「ちゃんと陸に運んで供養してやるからな」
見える範囲でも多くの船がいる。海に黒い船は目立つんだ。近くの船に手旗で亡骸が見つかったことを伝えて大湊に戻る。
「いつからだろうな。余所者が亡くなって供養してやろうなんてしてるの」
皆で手を合わせて船を出すと、ひとりの男がそんなことを口にした。確かに余所者が野垂れ死にしても海で亡骸を見つけても、捨て置いて終わりだったなぁ。
坊主のように徳を積むなんて考えたこともねえし、今も考えてねえ。ただ……。
「織田様は、オレらが海で死んじまっても探して供養してくれるからな」
水に浸かった村や田んぼを巡って争う側には戻りたくねえ。北畠様がどうとかいうわけじゃねえがな。あっちの様子を見ておると、思い出したくないかつての暮らしを思い出しちまうんだ。
さあ、亡骸と材木を下ろしたらもうひと踏ん張りだ。
ひとりでも多く見つけてやりてえ。
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