第1865話・困った時の……

Side:斯波経詮


「この世の者とは思えぬほど、恐ろしき光景としか言えませぬ。あれは戦ではございませぬ」


 織田の戦をみせてやると言うので使者として同行させた者が、信じられぬものを目の当たりにしたと震えておる。焙烙玉やら鉄砲やらで近づくことも出来ず、坊主から先んじて狙いを定め、言い分を聞くこともなく討ち取ったとは。


「理解したであろう? 意地を張るなら一族郎党の命を懸ける必要があると」


 なにはともあれ、わしは共に八戸におる家中の者と稗貫と和賀の者らに、おかしなことを考えるなと言い聞かせねばならぬ。


 正直、よく分からぬところもあるが、戦など出来ぬほど強いのは確かじゃからの。


「奥羽の寺社すべてを門前払いをしておるが、いつ許されるのか」


 そのことに触れたくないのか、ひとりの家臣が強訴の真似事に関わる懸念を口にするが、尾張者の話では二度と許されぬかもしれぬと囁く者すらおるからの。


「許したとて、商いは別の話じゃからの。あらゆる品物が今より高くなるかもしれぬな」


 わしの言葉に皆が驚き、意味が分からぬと言いたげだ。困ったものよ。左様なことも分からぬのか。


「条件次第では、尾張の武衛様の名代として許すことはあり得るであろう。されど、愚かな強訴の真似事をする前に戻るだけ。諸々の力の差で困ったままになり、話し合いはより難しゅうなるはずじゃ。さらに商いは大半が久遠家の力で成しておること。斯波と織田が許しても久遠の商いは二度と配慮せぬと言われたらいかがする?」


 これも八戸にて織田の治世を学ばねば気付けなんだことじゃの。久遠とやらは日ノ本では織田一族として臣下に収まっておるが、蝦夷は日ノ本の外。久遠が誰の力も借りずに治める地となる。


 すなわち帝や公方様ですら力の及ばぬ地を治める者とも言える。実のところいずこまで力があるか分からぬが、尾張の武衛様が久遠を重用する以上、奥羽の寺社が総がかりとなっても勝てるか分からぬ。


「なっ、それは……」


「まさか……」


 寺社が要らぬ。少し大袈裟に言えば、それがお方様の治世。人を治めるのも、あらゆる品物を領内に行き渡らせるのも、すべて己の力でやれるのだ。


 神仏と寺社は別物であるとは、尾張でよく聞く言葉だとか。神仏を信じても寺社は疑え。左様なものの見方をする。我らとまったく違う生き方をしておるわ。


「領内の寺社に確と伝えておけ。意地を張れば、己らの命ばかりか信心教えすら失うかもしれぬとな」


 民に米や雑穀を与えて南部をほぼそのまま従えたことで、御しやすいと思うたのであろうな。ところが織田は武士には寛容なれど寺社には厳しい。


「殿、我らはいかになりましょう」


「臣従したのだ。織田の治世に従い生きるしかあるまい。いずこかの愚か者のように、二度と日ノ本の地を踏めぬ地の果てに放逐されたくなければな」


 まだそれも理解しておらぬのか。所領を召し上げるということは、戦も出来ず意地を張るのも許さぬということ。


 いいのか悪いのか分からぬがな。




Side:望月出雲守


 伊賀の件で改めて分かる。八郎殿が成した功がいかに大きいか。


 織田家において甲賀衆は古参譜代と同等に信じられ、尾張者は同郷のように気にかけてくれる。こればかりはいかに武功を挙げようと成せるものではない。


 伊賀の国人衆があれこれとごねておることも、織田の大殿はまだ困った奴らだと言いつつ相手をしてくださっておった。されど、若殿と守護様の御不興を買うておったとは。


 殿に仕えておると忘れそうになるが、本来の武士とはかような者だ。新参の役に立たぬ者が分不相応な条件を持ち出すなどすれば、戦になってもおかしゅうない。


「ほう、上様の直轄領とするか。よいのではないか。それならば北畠としても悪うない。他ならぬ上様の御為ならばと譲れる」


 ふらりと屋敷に立ち寄られた北畠の大御所様に、殿は伊賀の扱いについてご意見を求めたが、北畠としては構わぬか。これで決まったな。


 正直、あまり織田に所領を譲る形ばかりだと困るのも事実であろうからな。


「違う形も考えたんですけどね。尾張では先に伊賀を離れた者を数多く抱えております。その者たちより厚遇しろと言われるのは飲めません」


 そう、殿が一番困っておられたのはそれだ。国人らは家柄や血筋で相応の扱いを求めたのだ。


 実のところ織田家や尾張には伊賀者が多い。この十年で伊賀を捨て、一家一族で尾張に移り住んだ者が大勢おる。多くは身分の低い者ばかりで、伊賀国人衆はかの者らより上に扱うことを内々に求めておる。


 俸禄や処遇でごねておる者も多いがな。かの者らとするとそこが譲れぬ一線となる。


 ところがだ。我が殿はもとより織田家評定衆もそのことで不快に思うた者が多くおった。


 生まれ育った国を捨てて尾張と御家のために働く者らを軽んじるほど、伊賀国人がほしい者がおらぬのだ。まだ守護家である伊賀仁木家ならば理解はするがな。


 中には我が殿に仕官して、伊賀衆を束ねる立場を求めた愚か者すらおる。もとより上下の立場を厳しく定め、人を従えておった者らが故に致し方ないが。


 ただし、織田家中がかの者らを認めぬのは、すでに往年の力などないことも理由にある。


 我が殿が他国に口を出すことを致さぬことで騒ぎにはなっておらぬが、この十年で先が見える者や有能な者から国を離れた。残る者も厚遇して人として遇する我が殿の意向を第一とする者が少なくないことで、昔のように従えることが出来ておらぬのだ。


 形式として尾張から報酬が入り続けておることで当人らはあまり気にしておらぬが、すでに人心どころか家臣筋すら離れておるところもあるほどよ。


「誰でも己の信念や譲れぬものがある。幾年も付き合いがありながら、左様なことも理解せぬというのならば捨て置け。察することも出来ぬ愚か者は使えぬ」


 困ったような我が殿に大御所様ははっきりと御助言下された。


「そなたの慈悲と言うべきか、甘さと言うべきか。良きほうに働くと良いが、此度は上手くいかなんだな。それが政であろう。なればこそ半端にせぬほうがよい。誰も食えぬほど潰すわけでもないのだ。すぐに諦めよう」


「大御所様……」


「昔から旗色を定めず欲を出す愚か者はおる。されど左様な者が大成したことはあるまい。さらにだ。そなたは八郎やそこな出雲守が、所領を捨てて仕官した覚悟を汚すようなことだけはしてはならぬ。こればかりはわしがそなたの立場でも出来ぬこと。理解せぬ愚か者が悪い。気にするな」


 このお方は分からぬことは分からぬとはっきりと言うが、我が殿の悩みには常によき助言を下される。


 ただただ頭が下がる思いだ。




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