第1862話・北の地の強訴・その四
Side:楠木正忠
此度の騒ぎの厄介なところは、奥羽領のあちこちで強訴と称して蜂起し領内を荒らしておることか。いっそまとまってから叩いたほうが楽なのだが、お方様がたは領内を荒らされることをなにより好まれぬ。
無論、あちこちにある城には代官を任じて置いておる。ほぼ土着の者らだが、確固たる対処をするようにと厳命せねばならぬな。従わぬ者、勝手な手心を加えた者は後で処罰するべきだ。
わしもまた八戸城から一番近くで蜂起した寺に自ら急いでおる。
「ちっ」
間に合わなんだか。急ぎ報告があった領境に駆け付けたものの、関所の兵はすでに討たれておった。
さぞや、悔しかったであろう。
関所の兵には退けと命じておったのだが、隣接する村が逃げぬことで残った気概ある者であった。奥羽の決して豊かではない土豪の五男に生まれ、警備兵として取り立てると、立身出世を夢見て人一倍励んでおった男だというのに。
役目で死ぬならば致し方ない。それもまた事実であろう。されどな、かような気概がある若い者が生きていかねば明日はないのだ。
「弓を寄越せ」
敵は百もおらぬ。領境を越えてこちらの村とにらみ合い対峙しておった。報告にあった寺の者と寺領の民であろう。こちらの姿をみた坊主がなにを思ったか前に出てきたが、わしは弓を構えてそやつに狙いを定める。
「焙烙玉、放てぇ!」
驚き逃げ出そうと後ろを見せた坊主に弓を射ると、支度をしておった焙烙玉を遠慮なく放り込ませる。
最早。慈悲などない。
「ひぃぃ!」
「なんだ!?」
「目がぁぁ! 目がぁぁぁ!!」
ふん、覚悟もなく焙烙玉すら見たことがない愚か者どもが、今更慌てて逃げ出そうとするとは。だが……。
「逃すな! ひとり残らず捕らえろ! いや、討ち取れ!!」
逃がさぬ。逃がさぬぞ!!
「おのれぇ! 神仏を恐れぬ愚か者がぁぁ! 仏罰が下るぞ! 仏罰ぞ!!」
ほう、逃げぬ者がおるので誰かと思えば、坊主とは。されど、その言葉は聞き捨てならぬ!
「やれるものならやってみるがいい! 我は楠木兵部少輔なり。仏罰如きに恐れるなどあり得ぬわ!!」
あいにくだな。我らは三河本證寺、伊勢無量寿院と討伐し幾人も坊主を討ったが、未だ仏罰など降っておらぬわ!
「鉄砲隊、弩隊、遠慮は要らぬ! すべて討ち取れ!」
遠慮なく放たれた鉄砲により、ただの的と化した坊主はあっさりと事切れると捨て置き逃げた者を討ち取ってゆく。
久遠の者は元来争いを嫌い、無駄な血を流すことを嫌う。されどな。味方がこうも無残に殺されて許すほど甘くないのだ。
それに、わしならば仏罰が降ろうが仏敵となろうが構わぬ!
「近隣の村に命を出せ! 逃げた者を捕らえれば恩賞を出すとな!」
教えてやろう。織田の恐ろしさを。誰が許そうとわしは許さぬ!
主立った坊主の始末を終えると、すぐに同じく蜂起した寺を討つべく命を降す。
「坊主はすべて討ち取れ!」
「おっお待ちくだされ!」
そこにいずこかの寺の者が使者がとして来た。
「何用か? わしは忙しい」
「お怒りごもっともでございます。されど、皆も困窮してやむにやまれぬ上で訴えようとした者。伏してお願い申し上げまする。どうか、どうかご慈悲を……」
それなりに名のある者らしい。南部の者らの顔色が少し変わった。わしが、いかに処するか。窺うように見ておるわ。
ふと、尾張におる内匠頭殿の顔が浮かぶ。
さほど親しいわけではない。されど、奥羽に来る前には宴に招かれ、お方様がたを頼むと頭を下げていただき、あれこれと話をした。
織田の大殿を仏としたのは内匠頭殿である。尾張ばかりか、伊勢ですらそれを信じておる者は多い。朝敵であった我が楠木家が許されたことも、かの御仁の働きかけがあったのは周知の事実だ。
あの時、話をしたことに今の場に通じるものがあったのだ。
「失せろ。道理を外れた者と話すほど暇ではない」
周囲がざわついた。左様な身分ではないのであろう。されど、かようなこと知るか。
確かに内匠頭殿はいずこの武士より慈悲深い。とはいえ三河本證寺では焙烙玉を投石機により打ち込む策を用いており、伊勢無量寿院においては目つぶしの薬を使う策を良しとしたのだ。
わしは問うたのだ。朝敵や仏敵となる時はいかがされるのかと。いかなる相手でも敵となるならば遠慮はしない。それが答えであった。
「お待ちを! 拙僧はこの争いを止めるべく!!」
「遅い。なにもかもが遅いのだ。領内すべての寺に、この蜂起を謀った嫌疑がある。それにな、己の動きはあまりに早い。あえて知らぬふりをして見逃していたのではないのか? 仲介すると称して収めることで恩を売り、己らの利を得ることを狙うておるのではないのか?」
しんと静まり返った中、慌てる坊主があれこれと騒ぐのを諸将が顔色一つ変えず見ておる。今こそ、断固たる覚悟を見せる時。
「お待ちを! 拙僧は一切関わりがございませぬ!!」
「それを証立て出来ぬ以上、信じぬ。わしは坊主というだけで信じることはない」
慌てる様から分かる。やはり己だけは害されぬと高を括っておったな? これだから坊主など信じるに値せぬのだ。わしと楠木家を助けてくれたのは織田であって坊主ではない。誰が己らなど信じるか!
「諸将の方々、今一度命じる。信心深い者、寺社を討ちたくない者はすぐに八戸城に戻られよ。これは斯波の御屋形様の名で出された下命である。我らはこの地の寺社が根絶することになっても、道理に背き蜂起した者を潰す」
「本気か?」
「わしは楠木正成公の末裔ぞ。仏罰も朝敵も恐るるに足らず。いかなることになろうとも決して譲らぬ」
理解出来ぬと言う顔をしておるな。されど、わしはこの地で死しても良いとさえ思うておる。織田の大殿と内匠頭殿が残った一族を必ずや引き立ててくれるはずだ。
正成公よ。今ならば分かる気がする。我欲などではなく信じておったのであろう? 主と仰ぐ帝を。その果てが朝敵。それもまたひとつの結末であり致し方あるまい。
なればこそ、今がわしの天命を全うする時ぞ。
「一刻の猶予を与える。その間に戻った者は役目から下りただけとして罰など与えぬ。されど、その後は一切に申し開きは聞かぬ」
静まり返ったまま動かぬ諸将との軍議を終える。さて、各地で蜂起したところに後詰めを送らねばならぬな。
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