第1859話・北の地の強訴

Side:楠木正忠


 一刻の猶予もならぬ。慌ただしく戦支度をしていると、知子様から呼ばれた。そういえば将を聞いておらなんだ。お出になるのであろうか?


「相手は寺社よ。曲がりなりにも寺社を討ちたくない者は出さないで。兵が減ってもいい。それは徹底してほしいの」


「はっ、畏まりましてございます」


 そのことか。あまり懸念せずとも良いと思うが。奥羽衆は寺社を討つのかと少し騒いでおるからな。


「それで、楠木殿はどうする? 季代子と話して、貴方の意思を先に聞いておくことにしたんだけど。せっかく朝敵でなくなったのに要らぬ懸念は不要でしょ。私たちが言えることじゃないけど、やっぱり楠木家は目立つから」


 お方様の目は本気であるな。遠回しにわしに覚悟を促すためではない。まことに案じて己で決めろと言うておられる。


 久遠家のよいところだと思う。内々に意思を確と確かめ、常に憂いを少しでも減らそうとするのだ。


「我が楠木一党、左様なことで臆する者などおりませぬ」


「それは分かっているわ。ただ、人は恨みやすい人を恨む。正成公もそうでしょ? あれも恨むなら当時の南北の帝を恨むべき。無論、勇敢なのは構わないわ。でも賢く生きなさい。遠からず世は変わる。そこに生き残るためにね」


 少し言葉を間違えたか。苦笑いが出そうになる。


「いえ、先を考えず面目だけで言うておるのではございませぬ。寺社もまた変えねばならぬのでございましょう? ならば某は武士として己で立ち上がりやるべきと思うまで」


 危ういのはお互い様であろうと思う。されど、日ノ本の外に本領がある久遠はまだ逃げ道もあるか。もっとも内匠頭殿やお方様がたを見ると、敗れて逃げるなどあり得ぬと思うが。


「分かったわ。ならあなたを将に命じます。一切、任せるわ」


「ははっ!」


 まさか、わしにお任せいただけるとは。お方様か森殿が出るものだとばかり思うておったわ。


「南部が降って以降、私たちは話し合いには常に応じてきた。ずっとごねているところもね。地元に縁がある者が寺社を助けるのも許したし、こちらの考えも幾度となく話した。相手が小さな寺社でもね。それをこんな形で動かそうとする。それだけは認められないわ。たとえ、奥羽すべての寺社が蜂起することになってもね」


 武士に頭を下げ、武士に従うのをいかにしても認めぬ者がこの地にはおる。当然であろうが愚かしくもある。より優れた武士が現れたことを認めず、己らの面目を立てて利を寄越せというのだからな。


 まあ、寺社の討伐もこれが初めてではない。わしも幾度か加わったことはある。


 神仏の名を騙る愚か者を許してはならぬ。あの者らは必ず争いを呼び世を乱すのだ。


 わしが成敗してくれる。正成公の名に恥じぬようにな。




Side:とある奥羽の武官


「民を退かせろ! 田畑などいい! とにかく後方に下げろ!!」


 事前に知らせがあった寺社が蜂起した。こちらも相応の備えをするべく動いておるが、ここは尾張ではない。すぐに従わぬ愚か者があまりに多い。


 関所の兵も領境の村にも後方に退くように命じてあるが、残って村を守ると拒んだところもある。抜け駆けは許さぬと厳命されているものの、肝心の村が逃げぬ以上、武士だけ逃げるわけにもいかぬか。


 逃げては奪われる。当然のことなれど、こちらの軍略からすると厄介でしかない。


「致し方ない。兵を集めろ。残る村を見捨てられぬ」


 八戸からは兵の動員は出来る限り控えよと下命があるが、駄目だとは言われておらぬ。手に負えぬならば民を集めて近隣の城に籠城しろということなのだが……。


「焙烙玉の支度も急げ!」


 あいにくとここには鉄砲がない。されど焙烙玉の器と玉薬の材料はある。すべて調合して焙烙玉としたほうがいいな。


 すでに支度の出来ておる五十余りの兵と共に、わしは先んじて出来ておる焙烙玉を持って領境に急ぐ。


 この地は、未だに日和見をしておる者らが多いのだ。かの者らが要らぬ欲を出す前になんとしても討たねばならぬ。




Side:奥羽の坊主


 いかに我らが神仏に仕える者とて、我慢には限度がある。神仏を疎かにする氏素性の怪しき女郎めろうなどに従えるか!


 臆病風に吹かれた武士が次々と降ったが、我らは違う。神仏が助けてくださるはずだ。


「よいか! すべての寺に書状を出した! 皆で一斉に立ち上がり、八戸を取り囲んで訴えるのだ!!」


 きっかけはとある寺の住持だった。かつて都では、傲慢な朝廷に大寺院が立ち上がり強訴をして諫めたという。それを真似て我らの力と覚悟を示すべきだと言うたのだ。


 否と言うところや返書が届いておらぬところも多いが、形勢が変わればこちらに加わろう。今は立ち上がることこそ肝要なのだ。


 愚かな武士に国を任せるなどあり得ぬ。国とは神仏に仕える我らがいてこそ成り立つもの。それを氏素性の怪しき女郎に教えてやるわ!


「行くぞ!!」


 愚かな民は我らの命じたままに動く。ちょうど飢えておることもあり、織田方には食い物が山ほどあると伝えて集めた。


 寺領との境には織田方の関所があった。


「己ら! なんのつもりだ!!」


「八戸に訴え出るのだ! 通せ! 己ら如きでは話にならぬ」


「勝手なことを抜かすな! ここを通りたければ税を払え! 坊主以外は無税での通行など認めぬ!」


 なんと傲慢な者だ。神仏の代わりにと我らが訴え出て正してやろうというのに。愚か者には仏罰を与えねばならぬ。


「構わぬ、押し通れ!」


 飢えた民がわしの下知の前に襲い掛かっておるわ。これは面白うなるな。


 やれるものならばやればいい。天の怒りがいよいよ牙を剥くのだ!



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る