第1853話・決断
Side:斯波経詮
家中の者らの顔色が優れぬ。
「口だけではなかったということでございましょうな」
左様であるな。領内が飢えぬようにと賦役と称して働かせて飯を食わせる。かようなことを広大な南部領でやるとは正気とは思えぬほどよ。
「南部方に民が逃げ出すなど思いもせなんだ」
「小競り合いは禁じたが、それすら守っておらぬ者が多い。さらに織田領に逃げ込めば飯が食えると噂になって以降、少なくない者が逃げ出した」
国境どころではない。貧しい者らは飢え死にするよりはと、一族一家で逃げ出した者すらおる。
小競り合いもまた困ったことになっておる。織田は小競り合いだというのに、鉄砲や焙烙玉という恐ろしき武器を持つ兵が報復にと出てくる。
それでも我が領内はまだいい。商いの配慮がない和賀や稗貫のところでは、塩、米、雑穀などの値があまりに違い過ぎることで領内の民や寺社が騒ぎ、あわや一揆かというところもあるとか。
「支度が出来次第、八戸に出向く。手遅れになっては父上や祖先に申し訳が立たぬ」
異を唱える者はおらぬ。たかが小競り合いでさえ、鉄砲やらなにやらと我らでは使えぬものを惜しまず使うことで恐れを抱いた者が大半だ。
先に降った南部領では、織田に異を唱える寺社が次々と商いの値や関税による暮らしの格差から騒ぎを起こして潰されておる。
急がねば手遅れとなろう。
Side:季代子
北の地では早くも秋となっている。
この時代、穀物不足により夏でも飢え死にする者が普通に出る。特に寒冷地といえる奥羽ではそれが当たり前だったわ。
「よくやったわ」
上がってきた報告に少し思うところがあるけど、内容は褒めるべきね。
飢え死にをゼロには出来なかった。いえ、正確には飢え死にの可能性がある者がいるという形に収めることが出来た。
そもそもこの時代では死因を特定するには至っておらず、村単位で働き盛りの者たちがバタバタと飢え死にする事態は避けられたわ。幼子や年配者を中心に、相応に亡くなった者はいるけど、病や寿命などもあるだろうから特定は難しい。
「はっ、領内の村は概ね大人しゅうなりました」
ゼロに出来なかったことを悔やむところがあるのは、私たちと森三左衛門殿くらいね。あとは皆、劇的に亡くなった者が減ったとむしろ誇っているほど。
領内が大人しくなった。これも一歩前進だけど、こちらの命令も都合が悪くなると聞かないことや、この時代の価値観がいきなり変わったわけではない。
津軽三郡以外の南部領と安東・浅利・戸沢などの地では、ようやくこの時代の価値観で私たちが領主として認められ始めたというだけ。
まあ、奥羽の広大な地をこの短期間で従えただけでも十分過ぎる成果と言えるけどね。
「お久しゅうございます」
秋と冬支度を始めていると、斯波治部少輔経詮殿、稗貫大和守輝時殿、和賀薩摩守義勝殿の三名が八戸に姿を見せた。代表をするように最初に挨拶をした治部少輔殿の表情は険しい。
高水寺斯波家、稗貫家、和賀家の当主がそろい踏みか。結局、連れてきたようね。
無位無官の私だけど、当然ながら上座を譲る気もない。もっとも譲られても困るでしょうけどね。
花火以降、高水寺の斯波とは交渉が続いていた。商いの値段はもとより領境の小競り合い。両属していた者たちの扱いと、今後。話をすることはいくらでもあったのよね。
ただ、交渉している最中でさえ状況は刻一刻と変わる。
夏場の賦役や各村への支援で飢えを防いだことで、格差が誰の目にも明らかとなった。飢えや村や領主への不満から流民となりこちらに逃げてくる者が続出した。
それに末端が勝手に小競り合いをすることでさえ、こちらは警備兵を中心とした報復を出さざるを得ないことで力の差が歴然としたわ。
実のところ高水寺の斯波とは、現状維持と同時に臣従の交渉も密かにしていた。
こちらとしては尾張での方針とあまり変わらない。斯波一門ということで配慮はするものの、彼らを主家として仰ぐことはありえず、臣従は清洲の大殿にするということはすでに尾張での決定事項としてある。
これに関しては守護様が直々に高水寺の使者に申し渡したことなので、私たちとの交渉の余地はない。
ただ、それでも臣従後の立場や扱い。俸禄など、話し合うことは山ほどあったのよね。
あと稗貫と和賀とも細々とした交渉が断続的にあったけど、こちらは高水寺の斯波と同等の配慮を求めていたため話が停滞したままだった。途中から両家の領内では格差から不穏なことも増え、どうしても配慮が欲しかったらしいけど。
両家とも名門であり、高水寺の斯波から養子に入った当代の稗貫殿の存在などもあって交渉になると思ったんでしょうね。
こちらとしてはメリットもなく、面倒は高水寺の斯波で見てほしいと突き放した。
「臣従を致します」
しんと静まり返った中、挨拶を終えると治部少輔殿が本題を切り出した。
要らないのよねぇ。現状だと。とはいえそれを表に出して言えるはずもない。
「家中はまとまったのかしら?」
「申し訳ございませぬ。すべてまとめたとは言い切れませぬ。されど、主立った者は従えてございます」
まあ、出来る限り頑張ったのは理解しているわ。ここで虚勢を張るかと少しカマをかけたけど、きちんとありのままに話したわね。
「歓迎するわ。これからが大変でしょうけど、尾張の御屋形様もお喜びになるでしょう」
仕方ないわね。隆盛しつつある本家の不興を買っては末代まで影響しかねない。ただの戦ならば和睦で済むのでしょうけどね。血縁とは厄介なものだと改めて教えられたわ。
目の前の三名は本心を隠すように険しい表情を崩さない。ただし、反抗しているわけではない。こういう形での臣従でどんな顔をするべきか分からない。そんな様子に見える。
「よき決断であろう。西は尾張から変わりつつある。奥羽の地とて他人事ではない。自ら奥羽を統べるとの覚悟と野心があるなら戦をしても良かったと思うがの」
なんとも言えない少し重苦しい雰囲気の中、皆の心情を察したように浪岡殿が言葉を掛けた。
独立が当たり前の時代だものね。それを失うというのは死以上の恐ろしさと苦悩があったはず。
ともあれ、こちらも一歩前進ね。
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