第1841話・足利親子の尾張見物
Side:足利義輝
「ここは学校でございます」
昨日の清洲に続き、母上を学校にお連れした。校庭では元服も間近となる年長組と呼ばれる子らが武芸の鍛練をしておる。左様な姿を見つつ、校内に入る。
ここを見せてほしいと訪れる者は時折おると聞く。学問修練を治めたいと願う者や久遠の知恵を盗みたい者など様々だ。なにを教えておるかは別として、織田学校とはいかな場所か見せるのは拒んでおらぬと聞く。
「天竺殿、沢彦和尚。わざわざ済まぬの」
訪れる者の身分立場で案内人は変わる。アーシャと沢彦が揃うのはあまりないが、師が案内する尼僧であるという体裁ならばおかしなことではない。
「いえ、ご案内致します」
もっともこのふたりには母上の素性は知らせてあるはずだが。
「塚原さまだ!」
「菊丸さま!!」
学問を学ぶ間、ここでは『教室』と呼ばれるところにて学ぶ者たちを見てゆく。
それなりの歳の頃の者は学びの最中ということで静かに騒がぬが、年少組は師やオレたちを見て喜ぶように声を上げた。ここで武芸を教えることは珍しくないからであろう。
師を務めておる者も声を掛けるくらいで怒ることはない。
「あのね! あのね! 菊丸さまにお教えいただいたこと、覚えたよ!」
ちょうど休憩の頃だったらしい。そのまま休む時となると、師やオレたちのところに子らが集まってくる。
オレのところには上洛前に武芸を教えた子らが駆け寄ってきてくれた。
「尼僧様だ!」
「みんな、ご挨拶!」
母上はそんな様子を信じられぬように見ていたが、誰かがそんな母上にただの客人ではないと察したようだ。慌てるように並ぶと揃って礼を以って客人を迎える。
「よき挨拶でした。これからも励むように」
オレでさえ見たことがないほど戸惑う母上だが、挨拶を終えた子らの顔を見てとっさに褒める言葉が出たのはさすがとしか思えぬ。尾張を知らぬ者は呆気にとられることも珍しゅうないというのに。
そんな子らと別れると、校内を見ていく。
武士も民もおるが、近頃では僧侶すら学びにくるところだ。老若男女問わずな。その姿にかつて訪れた公卿は恐ろしきものと見たり、羨ましきものと見たりした者もおる。
「皆で国を守り豊かにする。まことに出来るものなのですね」
母上が足を止めたのは僧侶が教えて職人が学ぶ教室だ。織田領では職人も学校で学ぶ。今教えておるのは、寺社の建立や修繕に関わるもののようだ。
諸国と比べても織田領は職人も多いものの、それでも日々変わりゆくこの地ではまだまだ足りぬほど。大工ならば誰でも覚えるべき技を教え、基礎となる知恵を授けておる。
各々で秘伝家伝の技は未だあるというが、それでさえ隠さず授けて皆で使う者が出てきておるほど。母上からするとにわかには信じられぬのも無理はない。
もっとも母上にはオレが見聞きしたことの大部分を伝えていたのだがな。実際にこの地に来ぬと確信が持てぬのが本音か。
「この国には正しき道を示す者らがおります故に」
つい、言うてしまった一言に母上の顔が僅かに曇る。それが帝でも公卿でも坊主でもないことを察したのだろう。
「いかにすれば……正しき道が見えるのでしょうか」
その目はアーシャを向いていた。母上の一言は公卿公家、寺社。すべての者が思う一言なのかもしれぬな。
「分かりません。私たちも迷い悩み間違いながら進んでおります。ただ、人は間違うものだと思います。いかなるお方であっても」
少しだけ周囲の者が固まったかもしれぬ。アーシャがオレの一言に異を唱える如く答えたからであろう。ただ、それでよいのだ。オレの見えるものがすべてではない。互いに見えるものを持ち寄り進む。それこそ久遠の知恵というものだ。
「左様じゃの。わしも分不相応に負け知らずなどと言われて困っておるわ。日々の鍛練もありなんとか励んでおるが、それでも勝てぬこともあるというのに」
僅かに見えた懸念が、師の穏やかな一言で溶ける。これだから師には敵わぬのだ。
母上には見えるであろうか? 身分、地位ある者は相応の覚悟と働きがいるということが。受け継いだものを当たり前として、一切周りを顧みぬ公卿こそ変わらねばならぬと気付いていただけるであろうか?
Side:久遠一馬
「殿、前古河殿の一件、いかにやら当人が望んだことのようでございます」
足利晴氏さんが唐突に近江に移るという話が舞い込んだので、誰が動いたのかと思ったら、本人かぁ。
「出雲守殿、それは確かなことか?」
「左京大夫殿はそう言われておる。その話が出る直前に、前古河殿が近習を下げてふたりだけで話したというのは確かめた。あとは御両名のいずれかという話であろう。ただ、北条ならばもう少し根回しが早いはずだ」
一緒に仕事をしている太田さんがまさかと思ったのだろう。確認するように問うと、望月さんは知りうる限りの事情と一連の流れから当人だと推定したらしい。
「北条と微妙そうだけど、上杉を信じているとも思えない人なんだよね」
別に晴氏さんを疑うわけじゃないけど、北条が強く目立つから争い対立するものの、極論を言うと、北条がいなくても他の理由で対立して争うような地域だし時代でもある。
「口を出すべきではありませんね」
エルもやはりそう思うか。非公式に義輝さんに話すことも出来るけど、関東をどうするんだとなった時に、あの人をこちらの目の届く範囲に置けるのは悪いことじゃない。
史実だと、長子と一族の多くが反北条方に担がれて動くんだよね。晴氏さんもどちらかというと反北条の人だけど。見た限りでは北条も上杉も関東諸将も誰も信じてない気がする。
周りを争わせつつ自分と家の地位と権威を守る。ある意味、この時代の普通の足利家の人なんだよね。
ただ、こちらを見下すことも軽んじることもない。公家公卿もそうだけど、見下さないようにと気を付けても、ナチュラルに上から見ている人がたまにいる。比べるわけじゃないけど、苦労人だろうなと思う。
「お茶を習いたいって言ってたね。一度、場を設けてみるか」
個別に会う必要もないんだけど、茶の湯を教える件がまだ済んでない。なにか企んでいる可能性もあるし、少し釘を刺しておくか。
正直、足利一族でも有力な家だし、義輝さんに任せるべきことなんだけど。将軍足利義輝の権威が高まり過ぎて当人が動きにくくなりつつあるからなぁ。
あと、困ったことにウチとの関係が悪いと周囲に見られると、それだけで争いの火種になりかねない。最低限の誼は通じておくべきだ。
長子は多分、反北条として動くだろうね。あとは状況がどう推移するか様子見だな。
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