第1840話・鉄道馬車にて

Side:柳生宗厳(石舟斎)


 慶寿院様が身分を隠して尾張見物か。今のように争いが多くない頃には、京の都ではあったことなのであろうな。誰も諫めることがないのは、尾張ならば危ういことも少なかろうという判断か。


 院ですら身分を隠して烏賊のぼり見物に出ておられた。今更なことであろう。


「名を伏せて花火見物に来ておる者は多い。いずれかの名のある尼僧ということで構うまい」


 警護や扱いをいかにするか。守護様と大殿、我が殿とエル様と塚原殿で思案するも、守護様のお言葉により、塚原殿の門弟と拙者らが警護を務めることで、むしろ相応の身分の者とするほうがよいということになった。


 見る者が見れば、立ち居振る舞いで分かるからな。菊丸殿のように長きに渡り身分を偽り別の者として生きるならばともかく、数日お出ましになるくらいならそのほうが良かろう。


「某が案内致しましょう」


 案内は塚原殿か。


 上様ともども尾張では御簾もなく宴に出ておったことで素性が露見するかもしれぬが、上様ご自身はあまり気になされぬからな。それに上様のご尊顔を拝することを許された者は気付いたとて騒ぐ者はおるまい。


「そうだ。塚原殿の耳に入れておかねばならぬな。さきの古河殿が近江に移りたいらしい。上様にお仕えするという形でとの話だが……」


 一通り話を詰めると、大殿が思い出したかのようにまだ内々の話を打ち明けられた。


 拙者と殿も先ほど聞いたばかりのことだ。なにを思うたか、前古河公方殿が近江に移るとはな。体のいい厄介払いか本人の望みか定かではない。殿はすぐに内情を探るように命じておった故、遠からず分かるであろうが。


「ほう、それはまたいかなるわけでございましょうな。関東公方は長い世の移り変わりの中で、宗家と諍いもあったはずじゃが……」


「少しばかり薬が効き過ぎたのやもしれぬ。無論、こちらが口を挟めることでない故、いかんとも言えぬが、関東の諍いを持ち込まれると厄介じゃの」


 塚原殿と守護様は、この件に関しては可もなく不可もなくか。誰が望んでおるか知らぬが、否と言えば古河公方と因縁になりかねぬ。内々ならば言えなくもないが、仔細が分からぬ以上は動けぬな。


「いずれにしろ、遅かれ早かれ巻き込まれることなんですけどね」


 殿は半ば諦めの心境のようだ。此度は尾張に来るというのでない分だけ、気が楽なのであろう。守護様も大殿も同じであろうがな。


 氏素性や血縁。当たり前のことなれど、それを持ち出してあまりに身勝手な要求をする者の多さに尾張では嫌気が差しておる者が多いからな。


 上様ならば上手く御してくださるだろう。




Side:足利義輝


 清洲城に登城した師や兄弟子、柳生新介と共に母上を連れて町に出る。オレは師の供として、尼僧を案内するという形となった。


 結局、師と皆を巻き込んでしまったな。それだけは申し訳ないところがある。


「なんと賑やかな町でしょう」


 母上が駕籠や輿を使わぬ外出をするのは久々ではなかろうか。清洲の賑わいは日ノ本一と言うても過言ではない。なにより己が周りの目を集めず、ただ行き交う人を見ることからして珍しきことであろうな。


「まずは鉄道馬車に乗ってみるか」


 清洲城の大手門を出ると賑わう人と鉄道馬車が見える。朝餉を食うて早めに出てきたのだが、すでに見物人と乗車待ちをしておる者らがおる。


 高くもないが安くもない。歩けば銭も掛からぬとはいえ、暮らしに困らぬ者や武士は鉄道馬車を使うておる者が多い。


 先に待つ者の後ろに並ぶ。これも尾張でなくばないことだ。母上は手を伸ばせば届きそうなほど近くに民がおることに驚き興味深げにしておられる。


「これは塚原様、おはようございまする」


 師にとってこの町はすでに故郷も同じ。町の皆が親しみを込めて声をかけてくる。この姿もまた母上に見せたかったひとつだ。


 畏れ多いと控えるばかりが正しきことではない。また、触れるとなにをされるか分からぬと避けられることも正しいとは思えぬのだ。


「実は弾正殿から尼僧殿の案内を頼まれての。なにか面白きところはあるか?」


「左様でございますなぁ。尼僧殿ならば日輪堂などいかがでございましょうか。八屋もようございますが、菓子ならばあそこのほうが多くございます。女性にょしょうは甘い物が特にお好きでございますから」


 日輪堂か。あそこも一馬の店だな。八屋のような飯屋ではない。菓子を生業として売る店だ。オレも時折行くことがあるが、酒を好まぬ者がよく行くところだ。


「そうか。ならば後で寄ってみるか」


「あと、今日は斎藤様が運動公園にて模擬戦の鍛練をされるとか」


 ほう、それは興味がある。だが、母上は好むのであろうか? 思えば母上がなにを好むか、正しく理解しておらぬ。近習やら侍女やらがいて左様な話をすることがあまりないのが事実だが、オレの至らぬところであろうな。


「これが馬車……」


 しばし待つと馬車に乗るが、中は多くの者で混んでおる。座っておるのはほぼ武士か坊主だ。だが、師の姿に気付くと数人が席を空けた。


 オレと母上の顔を知る者ではないな。師が鉄道馬車に乗るとよくあることだ。


「さ、尼僧殿。こちらに」


 駕籠よりは広いが、それでも多くの者が隣り合うように座る場に母上は戸惑うておるが、師の勧めるままに隣り合う形で座った。


 馬車内では皆、過剰に控えることもなく楽にしておる。ある者は眠そうにしており、またある者は馴染みの者と話をしておる。左様な姿も尾張でなくば見ることは叶うまい。


「なんと! 尾張にはかようなものがあるとは……」


「おう、日ノ本一だ。一番馬車は、尾張におられたさきの帝、院が御乗車されたんだからな!」


 ふふふ、清洲の案内をしておるのはオレたちだけではないらしい。旅の僧を案内する若い者がおる。これも尾張では珍しきことではない。


 特に花火や武芸大会のある頃は、案内を生業とする者が幾人も町外れにおるからな。あの銀次も時折やっておると聞くことだ。


「北の町外れの賦役いつ頃終わるんだ?」


「ああ、あそこか。川の堤もあるからなぁ。あとひと月は掛かるだろうな」


「早く終わらせてほしいところだが……」


「仕方あるまい、働き過ぎるとお叱りを受けるんだ。無理せず長く働くことは大切ってのも事実だ」


 聞こえてくる民の話。これもまた今では当たり前だが、オレが旅に出た頃は珍しくてな。聞き耳を立てておったな。


 開けられた木窓から見える景色を見つつ、母上はそんな馬車を楽しまれておるように見える。



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