第1842話・足利親子の尾張見物・その二

Side:柳生宗厳


 昼時になると学びに来ておる者が食堂に集まる。


 特に席次は決まっておらず、空いておる席に好きなように座るだけ。ただ、人数によっては一緒に座れぬこともあり、塚原殿と我らの姿を見ると皆が席を空けてくれた。


「我らも飯を食うていくか」


 慶寿院様がおられるものの、塚原殿はあまり気にした様子もなくここで飯を食うことにしたようだ。


 料理場に自ら出向き、お盆に載せてある昼餉を受け取る。御家の屋敷や清洲城ほどではないが、並みの武家や寺社には負けぬ料理がここの自慢だろう。


「今日はいわしの梅煮か。これはよい日に来たの。わしの好物でな」


 塚原殿に続き、自らお盆を持ち飯と味噌汁、おかずを受け取ると皆で席に着く。見るものすべてが目新しいのであろうな。旅に出始めた頃の菊丸殿とよく似た顔をしておる。


「ここでは学ぶ者はこの昼餉が無償で食えます。学ぶ者こそ国の礎を築く宝であると考えており、飯を食わせておるのでございます」


 菊丸殿は学校を教えようと慶寿院様にお声がけしておる。素性を知らねば最早、疑われることはあるまいな。兵法者としての立ち居振る舞いを身に付けておられる。


 飯は玄米と雑穀を混ぜたものだ。お方様いわく値が安いことと体にいいものらしい。


 塚原殿と菊丸殿に促されるように飯椀を持つと、梅で煮たイワシを箸でわずかに取ると口にされた。食べ方ひとつとっても高貴な者だと分かる。近くの者も察しておろうが、学校には時折かような者が来るからな。騒ぐ者はおらぬ。


「これはなんと……」


 銭も取らず食わせる料理ではない。左様な顔をされておるな。


「尾張は海が近い故にな。魚料理は美味い。ここは久遠料理も作れる料理番が入っておるが故にさらに別格じゃがの」


 学校の料理番はお方様らに指南を受けた故に、いずこに出しても恥ずかしゅうない者であろう。


 醤油や出汁の味に梅がよく合う。梅の酸っぱさで飯が進むのだ。あれよあれよと飯椀の中身が半分ほどになってしまうが、合わせるように出汁の利いた味噌汁が落ち着かせてくれる。具はわかめと小魚のつみれか。


 きゅうりの一夜漬けもまたいい。これはさほど珍しき品ではないが、誰が食うても喜ぶ一品であろう。青臭さやえぐみがなくなり、ほんのりとした塩味ときゅうりの味がなんとも言えぬ。


 周囲からは飯を食いながら話をする声がする。学んだことや巷の噂など様々だ。老若男女入り交じっており、時には身分や職業問わず話が盛り上がる。


 かような光景もここ以外ではまずないことだ。身分もここでは持ち出さぬ仕来りだからな。


 土地で縛り、血縁で縛り、身分で縛り、下の者を人とも思わぬ。さような者がこの場に来ると顔をしかめる者も僅かにおるが。


 慶寿院様はいかに受け止められるのであろうか。




Side:アーシャ


 昼食後、慶寿院様を貴賓室に案内してご休憩していただくことにした。


 人目がないところでないと気が休まらないと思うし、少し頭の整理をする時間も必要かと思ったためよ。


 煎茶をお出ししましょうか。茶道のような形ではない。食後の煎茶は一息つくにはちょうどいいのよね。美味しいし。


「母上、学校はいかがか?」


 素性を知る者のみとなったことで菊丸殿は上様の顔となったわ。個人的には感想を問うのは早いのではと思う、上様は少しせっかちなのよね。


「何故、女までもが多くを学ぶのでしょう?」


 一番の疑問はそこなのね。私たちは家単位で考え生きていない。それは変えていないことになるわ。この時代だと公家の女はひらがなと算術くらいは学ぶだろうけど、専門的な学問を学ぶことはまずないはず。そこからくる疑問でしょうけど。


「男も女も等しく働く。民は皆そうだ。戦場とて女はおるし、時として男よりも性根を据えて戦うことすらあると聞く。力の強さは男が勝るようだが、知恵や技は男であろうが女であろうが変わらずある者がおる」


 上様のおっしゃる通り。男女で身体能力に違いがあることから役割を分ける必要がある。さらに子供の出生率と生存率がまだまだ低いことで妊娠出産を優先する必要があるけど、それを除くと女性の働きは求められている。


「慣例も習わしも古くからあるものなのですよ」


「左様。畿内、京の都におる公家や公卿で守ればよいと思いまする。それは誰も異を唱えておりませぬ。ただ、東国には東国の暮らしがあり、生きる者の思いも積み重ねもある。すべてを一言一句変えずに公卿に合わせろなどとは、古より誰も決めておらぬこと」


 困惑、戸惑い。慶寿院様からはそんな表情が見える。上様が突き放すようなことをおっしゃると、それはさらに増したようね。


 言い分は間違ってはいない。ただ、上を見て世を治めるのではなく全体を見て治めることを知った上様のお心が伝わるかどうか。


「母上、厳しきことを申すならば、争いを減らして世を安寧へと導くには京の都と公卿ばかり見ておられませぬ。世を乱すのは徳を持つべき公卿が私利私欲に走ることからとも某には思えまする。されど、某の身分でものを申せる方々ではない。故に某は己の立場で世の安寧を目指しておるだけ」


 少し言葉が厳し過ぎるわね。ただ、間違いと言い切れない。それに上様としてのお言葉に異を唱えることも出来ない。親子とはいえ大丈夫なのかしら?


「正室の件は認めましょう。私には未だに理解出来ないこともありますが、大樹を信じ守らんとする者が近江以東に多いことは分かりました。それは……、あのお方にはなかったものです」


 その一言に上様が安堵したのが分かる。親子の形も違うとはいえ、上様は私たちの家族関係を見ているからか、互いに理解して助け合える形を望んでいた。ひとまず慶寿院様もそれに応えたというところね。


「母上……」


「私も公卿のすべてが正しいとは思っていません。とはいえ、守らねばならぬものがあるのも事実。いかにすればよいのか。乱世が収まろうとしておる中、その中心から公卿家が外れるとは思いませんでした。難しいですね」


 乱世を望まない。乱世が変わるかもしれない先例になったのは京の都から離れた尾張という鄙の地。そこに割り切れない思いがあるようね。


 朝廷と自らを中心に世の中を見て、物事を考えることしかしてこなかった人には少し酷なのかもしれない。


「上様も慶寿院様も、あまり答えを急がぬほうがよいと思いまする。某が案内仕る故、今しばらくこの国を見聞して、共に悩み考えてはいかがでございましょう」


 さすがね。僅かにあった懸念を塚原殿が上手く繋いでくれたわ。


 ひとまず一歩前進というところね。





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