第1838話・久遠家の花火見物
Side:テレサ
「まーま! はなび!」
「ばーん!」
楽しくて仕方ない。子供ってのは素直なもんだね。司令の子も孤児も同じく扱う。喧嘩だけはさせないようにしているけど。
「そうだね。すごいね。ああ、武鈴丸、ほらおいで」
なるべくみんなに目を向けて声を掛けてやる。ただ、あまりやり過ぎると武鈴丸が拗ねるんだよね。一緒に暮らしていることもあって、私やマリアも実の母のように慕ってくれているから。
「はなびすき。まーまもすき」
「みんなで仲良くするんだよ。それだけは守らなきゃダメだからね」
「うん!」
抱き上げて花火を見せてやると、満足したのか他の子に譲るように離れていく。ちょっとヤンチャだから目を離すと縁の下とかにも入っちゃうからねぇ。気を付けないと。
「どうしたの? おいで」
ウチに慣れている子は甘えてくれるけど、時々羨ましそうに見ているだけの子もいる。最近、孤児院に来た子だろう。
「おっかあみたい」
私に抱き着いた子は少し涙ぐんだ。
「そうだね。私たちとリリーは同じ、みんなの母親でもあるんだよ」
特別、子供が好きだというわけじゃなかったんだけどね。頼られ甘えられるうちに情が生まれ子供たちを慈しむようになった。
正直、リリーほど強い思いも覚悟もない。でも、私たちはこうやってそれぞれ出来る範囲で助け合い生きてきた。その範囲が少し広がっただけだと思っている。
「オレたちがお守り致します!」
母親という言葉に子供たちは敏感だったみたい。今年元服して、ここ津島の屋敷で働き始めた子がみんなを代表するようにそう言ってくれた。
家臣や奉公人たちを信じていないわけじゃないけど、司令の猶子としている子たちは実の子と等しいほどリリーが愛情を注いだこともあり、さらに信じられる。
いずれ、津島の屋敷を任せることになるかもしれないね。
Side:久遠一馬
花火が上がるたびに子供たちが喜び
時代が進めば人の暮らしも変わる。村、一族単位で生きる時代が終わると、家庭や個人単位で生きる時代となる。
娯楽も時の移ろいと共に変わり、祭りが地域の祈りと楽しみから伝統文化となり、一部では観光資源としてその存在価値すら変えていく。
ただ、花火だけはオレの元の世界ですら代わるものがない。みんなの楽しみのひとつだったのではと思う。
身分があろうとどんな力があろうとこれだけは独占出来ない。そんな花火だからこそ、いつの時代もすべての人が楽しめているのかもしれない。ふと、そう思えた。
「氷菓子をお持ち致しました」
「あいすだ!」
「あいちゅ!!」
一発ずつ大切に打ち上がる花火も半ばとなった頃、みんなにアイスクリームが振る舞われる。バニラ味のアイスだ。義輝さんとか義統さんたちにも振る舞っているが、ウチでもみんなに振る舞う。
「花火と氷菓子。なんとも贅沢なものなれど、風情がある」
風情か。雪村さんには花火とアイスが風情あるものに見えるんだなぁ。彼は学校で主に絵の教師として今も働いている。禅僧だけに知識もあるし、子供たちばかりか大人にも教えてくれるので助かっている。
史実だと関東や奥州で活動するはずなんだけど、今のところ尾張を中心に織田領内での活動が主だ。美濃や三河などの学校に出向いて書画を教えてくれることはあるけどね。
そのまま、みんなで冷たいアイスを食べつつ花火を見る。確かに贅沢なんだろうなぁ。ただ、オレは贅沢を当たり前にしたい。
大変だけど、出来ないことじゃない。
正直、お偉い人たちの先行きなんかより、こういうところをもっと頑張りたいね。
「クーン」
あれ、ロボ一家も犬用のアイスをもらったはずなのに、もう食べちゃったみたい。ロボとブランカが甘えたそうに近寄ってきた。
孫たちが増えたこともあってか、すっかり花火に驚かなくなったなぁ。二匹は花火というよりみんなで一緒にいる場を楽しんでいるように見える。
でももう若くないんだよね。ケティと相談して体調を見つつ、寿命がくる前に若返りさせたいと思っている。
第二の人生は本領でのんびりと送るのはどうだろうか。
◆◆
永禄三年、夏。奥羽の地にて花火会が行われたことが『織田統一記』に記されている。
場所は奥羽代官であった久遠季代子が拠点としていた八戸と初期に拠点としていた十三湊で、日程は尾張の熱田祭りと津島天王祭に合わせたものであった。
尾張において花火は基本的に奉納花火として打ち上げており、熱田神社と津島神社との密接な繋がりを表していたが、奥羽の地では斯波義統による花火会として執り行なっている。
これに関しては当時の奥羽織田領において織田家の統治が必ずしも地元の寺社に歓迎されていないことを示していて、斯波家と織田家が独自の力と権威を示すために打ち上げたようだ。
ただ、当時の奥羽織田領は斯波家の名の下で織田家が治める形を取っていたものの、織田家には地縁もない遠隔地を治めることは難しく、実情は久遠家が治めていたと言っても過言ではない。
花火会もそんな久遠家ならばこそ出来たことであり、京の都でさえ花火を打ち上げることが出来ない頃に、奥羽の地で打ち上げた影響はその後の歴史に少なからず影響を与えている。
なお、この花火の前後には織田家家臣となっていた浪岡具統が、『奥羽の夜明けは久遠がもたらすであろう』という言葉を残している。
八戸と十三湊での花火会は、その後、紆余曲折あったものの、現在に至るまで花火の打ち上げは続いている。
永禄三年、津島天王祭の奉納花火において、足利義輝は母である慶寿院とふたりだけで花火見物をしたと『足利将軍録・義輝記』に記されている。
当時の身分ある者は親子とはいえふたりだけになる機会は滅多になく、義輝と慶寿院もまたふたりだけで会う機会はなかったようだ。
慶寿院に限らず当時の女は個人としてではなく実家を代表する形で嫁いでおり、実家と嫁ぎ先を繋ぐ役割を担っていた。
義輝と近衛家の微妙な関係が慶寿院にも影響したと思われ、義輝が慶寿院と余人を交えず話す場を設けたようである。
ただ、具体的な会話の内容は残っておらず、尾張料理や久遠料理と当時氷菓子と呼ばれていたアイスクリームを楽しみつつ花火を見ていたことが明らかになっている。
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