第1832話・初夏のこと
Side:久我晴通
尾張はいつ来てもよい国じゃの。皆で国を守り豊かにしようとする。されど……。
武士ばかりではない。寺社の僧ですら、吾が公卿と知るとあまりいい顔をせぬ。無論、あからさまに顔に出す者はおらぬが、以前と比べると明らかに冷たくなりておる。
主上が即位された際に、東国を締め出したことが伝わりつつあるのじゃ。
この国は道理を重んじて皆で助け合おうとしておる。当然、主上を
この日も織田の者と話をして戻ると、数人の奉行衆が待っておった。あまりいい話ではないの。顔つきがいかんとも言えぬものがある。
「久我卿、あまり勝手なことをされては……」
申し訳なさげな顔をしつつ、吾に苦言を述べに来たか。いずこからか訴えがあったか? 吾とて好き好んで動いておるわけではないのじゃがの。
近衛の兄上や慶寿院の姉上は勝手ばかりじゃ。弟であるというだけで無理難題を押し付ける。兄上は斯波、織田、久遠と友誼を深め、大樹を中心とした動きの中で朝廷と近衛が取り残されぬようにせよと命じ、姉上は大樹の正室を近衛から迎えるように周囲を使うて思い留まらせよと命じる。
姉上の件は無理であろうが、兄上の件は動かぬわけにはいかぬ。吾とて他人事ではないからの。
「すまぬな。されどの、吾とて私利私欲で動いておるわけではない」
奉行衆も吾の苦しい立場を察してくれておるが、それでもなお言わねばならぬか。
「上様が御懸念を持たれておるようでございます」
早くもこちらの思惑を上様に知られたか。尾張は仮の姿でよく来ておられる。当然、こちらの動きがお耳に入ることは分かっておったが。
「誰ぞが怒っておるか?」
「それは我らにはいかんとも言えませぬ」
今のところはあまり騒がず顔を繋ぎの挨拶をしておるだけなのじゃが、それでもお気に召さぬというのか。
「久我卿、室町第の修繕もあるとのこと。それでお収めいただけませぬか? 上様は尾張を巻き込むことをなにより御懸念されまする」
ああ、左様な話もあるの。御所の話と同じく尾張からの献策とか。とするとこれも久遠の策の一環であろう。見事なものよ。それは誰もが認めるところ。
されど、それ故に今のままでは朝廷と公卿が懸念を深めるばかりなのじゃ。
「分かった。すまぬな、そなたたちにまで手間をかけて」
兄上の下命も此度はこれ以上動かぬ方がよいか。内匠頭あたりが不快に思っておると吾も困ることになる。
あの男は日ノ本の者でない故に、今一つなにを考えておるか分からぬ。あまり私情を出さず己を律する男故に、怒らせると手が付けられぬという噂だ。
そもそも兄上をやり込めるような者など吾では力不足じゃ。兄上もそれほど困りておるなら己で来ればよいものを。
もう知らんわ。
Side:斯波経詮
居城に戻り、すぐに主立った者を集める。無論、八戸で見聞きしたことをそのまま伝えるためじゃ。
「にわかには信じられませぬな」
「従えたくば攻めてくればいいものを。花火などで脅すとは小癪な」
やはり見ておらぬ者には、あの恐ろしさが分からぬのであろうな。いや、虚勢を張りたいだけの者もおるか。
本家が東国を統べるほどの勢いで近くにおる。逆らうわけにはいかぬが、今までは遠く離れた本家に武勇も示さぬままに降るということを望まぬ者もおる。
人の心とは難しきものよ。
「わしの一存で降ることとする。年老いて臆病になったわしが責めを負えばよかろう」
「御所様!」
幾人か声を荒らげる者もおる。せめて従えと言うてくれればな。されど、それでは条件でこちらが口を出すのを嫌うておるのであろう。
「御所様、もう少し様子を見られては?」
「わしはもう若くない。責を負うなら死にゆくわしでよいではないか。それにの、いくら待てども従えと兵を挙げて攻めてなど来ぬぞ。配慮に配慮を受けつつ、銭と力で逆らえぬようにされるだけじゃな」
尾張の武衛様は親兄弟、一族で争う者をもっとも嫌うという。浅利など兄弟で罵ったことで日ノ本から追放されたと八戸で教えられた。他の者はいいかもしれぬが、斯波一門であるわしだけは意地で戦をするなど許されぬ。
もっともその前に戦の口実すら作らぬように配慮をされておって、一戦交えるのも難しきことじゃがな。
「そなたらが一戦交えるまで降れぬというのならば、好きにしてよい。ただし籠城するならば、城ではなく穴でも掘り隠れるべきであろうな。天を撃てる者が城を撃てぬ道理はあるまい。籠城殺しは間違いない」
空を制するような相手では山城も使えまい。むしろ逃げ場がなく追い詰められるだけではないのか? ならばいっそ地の中にでも城を築くべきであろう。もっとも今度は別の策で潰されるのやもしれぬがな。
「稗貫と和賀はいかが致しまするか?」
「降るなら口利きをする。あとは降ってみねば分からぬ」
所領は諦めるしかあるまいな。とはいえ俸禄で生きる道はある。
返答をすぐには求めぬ。皆を帰して各々の家で考え話すように命じた。秋の刈り入れまでには降らねばなるまいな。
父上が広げ、弟らと守ってきた所領なのじゃがの。弟らはいかがするのであろうか? わしの面目と心情を察してか、終始無言のままであったが。
Side:由衣子
「ほぇ、イカの中に白米ともち米を入れるのでございますかぁ」
「これはイカ飯。お弁当にも最適な料理」
良い反応をする侍女に、ついついドヤ顔をしてしまったかもしれない。
うるち米ともち米と一緒にゲソと油揚げと山菜も入れてある。あとは私オリジナルの出汁醤油で煮るだけだ。
出汁醤油のいい匂いがするとお腹が空いてくる。
「花火の評判が凄いことになっておりますよ。坊主の中には必死に貶めようとしている者もおるそうですが、いくら騒いだところで花火を見た者は真似も出来ない坊主を疑い始めたとか」
ついでに小魚の大野煮を作っていると、侍女が最近の町の噂を教えてくれる。ここまで力の差を見せてもこちらと争おうとするのか。何気に凄いと感心してしまう。
すでに潰した寺だって相応にあるのに。
「放置していい。なるようになるから」
「左様でございましょうね。正しき寺社は己で律して残りましょう」
ウチの者たちは寺社に対してドライになった。神仏への信仰と寺社への信頼はもうリンクしていない。
なにが正しいのか? となると面倒になるだろうが、少なくとも粗末な寺で祈るようなお坊さんでない限りは安易に信じないだけの知識も世の中を見る目もある。
「ところでお方様、今日はいずこに参られるので?」
「みんなで海に行く。私たちのお休みだから」
イカ飯と大野煮が出来上がると重箱に詰める。季代子たちとみんなで海水浴に行くためだ。
「ああ、ようございますね。今年はまだ行っておりませんでした」
船で運んでもらったスイカとメロンがデザートだ。
さあ、出発だ!
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