第1831話・御所造営のあれこれ

Side:久遠一馬


 模擬戦は終わったけど、次は津島の花火があるので、尾張には相変わらず人が多い。年二回に増やしたけど、どうせなら両方見ようぜという人が結構多いみたい。


 ただねぇ。


 目の前に積まれた書状の山。これ全部オレが見るの?


「清洲にはこの数倍届いておりまするな。観音寺城にはさらに多いかと」


 うん、そうだろうね。資清さんの言うとおりだ。義輝さんの御所造営に関わる嘆願書やら脅しやら脅迫やらだろう。


「御所と町の規模が少し漏れたかな?」


「恐らくは……」


 ウチが尾張に来た頃に、ブラックリストに入れたところからも書状が届いているな。こちらは当然無視だ。散々脅しやら脅迫した相手を簡単に許す気はない。


 新規の脅しや脅迫は新たにブラックリスト入りさせて無視。


「残念ながら利は上様のために働き、お金を出すところに回すんだよね」


 多いのは近淡海こと琵琶湖の湖賊だろうか。美濃方面からの物資輸送などで大きな利になり、御所が出来ることで水運がさらに儲かると期待しているっぽい。


 残念ながらそちらは現状維持だ。爪弾きにするつもりもないが、輸送路の主役は東海道と東山道になる。どうしても運べないような荷は近淡海の水運を利用するだろうけど。


 幕臣からもそのあたりの話があるけど、義理以上の利だけを与えることはしない。形式的に六角に従うところもあるので、相応に利は与えるが。全体ではがっかりするだろう。


 義賢さんとも、安土御所(仮)の防衛のために水軍を置くことで合意しているし。


 大津あたりもこちらの構想だと、ほぼ蚊帳の外なんだよね。義理程度の利は回すけど、それで終わりだ。


「エル、あんまり影響がありそうなものはないね」


「ええ、後手に回って慌てて出した書状です。都は室町第の修繕で抑えられますので、あとは大きな懸念はないかと」


 書状に目を通しつつ、今後の相談を続ける。


 都では内裏の修繕と仙洞御所の造営は終わっている。今は図書寮の建設を始めているはずだ。あと内裏と仙洞御所一帯を囲む土塁はまだ工事が続いているっぽいけど。


 それが終わり次第、三好に足利家の御所である室町第の修繕をお願いする手筈になっている。義輝さんが戻ることは多分ないだろうが、足利政権における京の都の拠点はどのみち整備しないといけない課題だからね。


 鎌倉時代の六波羅探題や史実の京都所司代のような、都における窓口と朝廷や寺社を監視する体制が新たに必要だ。


 まあ、こちらとしては斯波家の屋敷である武衛陣を明け渡して、都から手を引いてもいいんだけど。義統さんも朝廷と関わることを嫌がっているし。ただ、朝廷に泣きつかれるのは考えなくても分かるからな。


 ああ、千草街道と八風街道の整備を嘆願する書状もあるね。優先通行権を放棄か売却するなら検討する価値はあるんだけど。保内商人とかは比叡山と繋がるしなぁ。六角家で調整してもらうしかない。


「遅くなり申し訳ございません」


「いいよ。急に呼び出してごめんね。御所造営に関して、尾張と近江の職人の格差とか詳しく聞こうと思って」


 そうしているうちに職人衆である清兵衛さんが来た。妻たちからも報告はあるけど、職人のことは職人に聞くのが一番だからね。


「……難しゅうございますな。数年領内で働く者と他国の者とでは、別物と思われたほうがよいと思いまするが、大工道具ひとつとっても尾張は違いますので」


 はっきり言うと、尾張と伊勢の職人を派遣したほうが工事は早そうなんだよなぁ。伊勢も伊勢神宮のお抱え大工とか、早いうちから尾張に出稼ぎに来ていたのでこちらの技や知恵を学んでいるし。


「一緒に仕事させるとどうなりそう?」


「いずこのお方が差配するかによりまするが……、相応に上手くいかぬことが出てくるかと」


 尾張だと効率化を前提の動きに変わりつつあるからなぁ。木材ひとつとっても、角材などはほとんど犬山で一定の寸法に加工しちゃうし。


 まあ、別にこちらのやり方に拘る気もないから、近江や畿内の職人でやれるならそれでもいいんだけどさ。


「旋盤は出すのでございまするか?」


 足踏み式旋盤、それと水車動力を用いた旋盤。工業村と蟹江と犬山には、専用の加工所がある。清兵衛さんはこちらの様子を窺いつつ、近江に出すのか気になったらしい。


「あれは無理だね。評定で許しが下りないと思う」


「左様でございましょうな」


 特許もない時代だから、技術は真似されるんだよね。ウチも別に独自技術だけで生きているわけじゃなく、史実の技術を使っているわけだし真似することに大きな文句はない。


 とはいえ、それで尾張や織田家の利益が減り、敵の利することとなるのは反対意見が多い。実際それで得た利益から戦となって、こちらの損害が生じて人命が失われると思うとオレも出すとは言えないし。


 農業関連はほんと飢えという課題があるから、テコ入れへの反対は抑えられるけど。


「正直、申し上げますると、領内も決して余裕があるとは言えませぬ。公方様の御所に携われるという誉れがある以上、否とは言えませぬが……」


 そうだろうね。肝心の織田領だって拡大している。駿河・遠江・甲斐・信濃、それと奥羽にも物資を送っている。工業村ばかりじゃない。領内の職人で暇な人なんていない。


「分かっているよ。こっちから職人を大勢送ることはないと思う。ただ、材木とかは一部送るだろうからさ。どのくらい違うのかなって」


 職人もなぁ。寺社のひも付きだからな。利を寄越さないと出さないとか言いだされると、こちらから派遣する可能性もゼロじゃないんだけど。


 まあ、本願寺系に頼むという手もあるんだけど。新しく利を出さなくても人を出してくれるくらいの利益が今でもあるから。


 とはいえ、あんまりひとつの宗派に偏ると後で面倒だからな。幕臣や六角と相談が必要なことだ。


「ここまで人が足りぬようになるとは思いませなんだな。我らも若い衆を増やしておったのでございまするが」


「領地が広がるのが早いね。それでも職人衆の働きがあればこそうまく回っている。ただ、叱ってでも無理だけはさせないようにして。こっちでも必要な手は打つから」


「はっ、畏まりましてございます」


 織田領が広がり、ウチが偉くなるに従い、そのまま偉くなっているのがウチの家臣だ。清兵衛さんなんかも津島にいた普通の鍛冶屋さんだったのにね。


 ただ、ウチで召し抱えている織田家職人衆と領内にいる職人の大多数が加わっている職人組合もあって、現状はエルたちの予測よりも上手くいっている。


 効率化、仕事の融通を含めた調整とか、四苦八苦していることもあるらしいけど、本当によくやってくれているんだ。


「そういえば、引き抜きの話。まだあるの?」


「まあ、稀にあるくらいでございますな。そもそも条件が釣り合いませぬ。こちらの報酬や俸禄を教えると嘘だろうと信じてもらえず、士分として召し抱えて武士とすると言われても……」


 ふと気になったので職人衆の近況を聞いてみる。ずっとあることだけどね。工業村内の職人たちには定期的に引き抜きの話がくる。


 まあ、無理だろう。あそこの職人は織田家で身分を保証しているし、清兵衛さんなんて重臣待遇で評定への出席も許されているほどだ。他の職人だってそこらの武士より収入も身分も保証している。


 工業村の外にいる職人はたまに誘われて他国に出ていくこともある。そっちは自由だからね。ただ、中には合わなくて戻ってくる人もいるけど。


 さて、仕事を続けるか。御所造営なんて国家事業クラスだからなぁ。幕臣も正直、このレベルの仕事をそこまで経験していない。


 過去の慣例なんかもあって、どこまでどうするか。調整がほんと大変なんだ。


 こちらでも臨機応変に対応出来るように頑張っているけどさ。


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