第1830話・おわってみれば

side:北条氏康


 戻られた弾正殿と尾張介殿の晴れやかな顔に、織田の恐ろしさを改めて見せつけられたな。


 寒気がする。あれほど動きを合わせた隊同士が槍を交えることなど見たこともない。


 金色砲や鉄砲ばかりが騒がれるが、なんということはない。それを使う武士もまた尾張では変わりつつあるのだ。知恵も技も心もな。


「見事なれど、随分と楽しんでおったの」


「はっ、かような機会は某と倅も初めてのこと。ついつい、楽しんでしまいました」


 武衛殿と弾正殿の言葉が両家の在り方を表しておるとも思える。力を存分に見せることを成したばかりではないのだ。戦を争いと武功の場とするのではなく、親子、家中の形ですらも我らとはまったく違うと示した。


 親子、兄弟で争うのが当然の者からすると、この世のものとは思えぬかもしれぬな。


「弾正、最後に攻めに転じたのはいかな考えがあったのだ?」


「実のところ、さほど深い考えがあったわけではございませぬ。必死に励む皆を見ておると某も若き頃を思い出し、今一度攻めたくなったまで」


 上様が気にされたのは最後の攻めか。弾正殿は自ら本陣を離れて尾張介殿の陣まで攻め上がった。尾張介殿のほうはその大胆な動きに戸惑い、守りを固めたのが今思えば敗因と言えような。


 勝ちに急いたわけでないのは見て分かるが、いかな策があって動いたのかはわしも気になっておった。まさか、それだけで攻めたのか?


 上様を筆頭に多くの余所者がおるこの場で。


「親と子で戦の力試しか。なんとも羨ましきことよ」


 ああ、そう思う。古河のさきの御所様の申される通りだ。古河公方を北条のために抑えるわしが言えることではないが、北条家で同じことが出来るかと問われると否としか言えぬ。




side:久遠一馬


 終わってみると、皆さん楽しそうだったなという印象だ。一部で熱くなって怪我人も出たようだが、この時代だと許容範囲内だろう。


 模擬戦もすでに数年やっているので、戦術の研究もされている。そういう意味では奇想天外なことはなかなか起きないが、その分だけどうやって勝つか知恵を絞ることや駆け引きが増えた。


 今夜はそのまま義輝さんを主賓とした宴になるんだけど……。


「模擬戦とはよいものだな。余も差配してみたいものだ」


 上機嫌な義輝さんの様子もあって盛り上がっている。ただね、どさくさに紛れてそういう願望を言われてもね。幕臣の皆さんが困った顔をしているよ。


 相手がいない。上様に勝つわけにもいかないし。まあ、本人もそんなことは理解している。将軍として模擬戦に出るのは諦めているだろうけどね。


 他の皆さんの話題も模擬戦だ。参加者は互いに健闘を称えつつ反省と改善点を話しているし、見物していた者たちは自分ならばどうしていたかなど話している。


「今日の鰻の大野煮は絶品」


 無論、料理やお酒を楽しんでいる人もいる。ケティもそうだね。これ、お茶漬けにして食べると美味しいんだよなぁ。


 余談だが、この時代の畿内における武士の宴の作法には、ご飯に汁をかけて食べるというものがある。ご飯を残さないというものらしいけど。あとは湯漬けとかもあるしね。


 今日もすまし汁をかけて鰻茶漬けのようにして食べている人がちらほらとみられる。


 甘辛い味付けに山椒がアクセントになっていて、これ尾張でも人気なんだよね。白ワインのような風味の金色酒ともよく合う。


「京の都まで参ったが、料理は尾張のほうがいいのではないのか? そういえば小田原城の料理も美味かったな」


 ああ、義氏さんご機嫌だね。彼は鶏の唐揚げがお気に召したらしい。パクパクと食べてお代わりを欲しそうにしていたので追加でお出ししている。尾張だと割とよくある光景だ。


 ただ、個人的には京の都の料理も美味しいけどな。まあ、味が複雑だというなら尾張が勝るから、そう思うんだろうね。


「尾張料理は久遠より教えを受けたもの。他国ではまず食えませぬ。されど、当家はかつて久遠料理を僅かながら教えを受けておりまする。そのおかげかと」


 尾張に来て以来、氏康さんが古河公方親子の説明役になっている。しかし、懐かしいな。北条家に料理を教えたのは、幻庵さんが初めて尾張に来た時のことだ。あの時に伝えた味が今では小田原の味として定着している。


 ちなみに少し前からは、大野煮こと佃煮も伊豆では作っているはずだ。作り方教えたからね。


「尾張に習うは院もしておられること。余も久遠流の兵法や茶の湯などを習うておる」


 義輝さん、気遣いを覚えたからか、あちこちに声をかけている。声をかけられた本人は恐縮したり驚いたりしているけど。義氏さんも驚いている。


 この習うということ。思った以上に影響があるんだよね。身分があると相手を認めないと習うとかしないからだろう。


 なんかあれだね。義氏さん、義輝さんを羨むような尊敬するような様子だ。習い事とかの自由もないんだろうなぁ。


「領国が豊かになるのは素晴らしきこと。されど隣国はなぁ……」


 義輝さんたちのやり取りを見て、目立たぬようにため息をこぼしたのは伊賀守護を預かる仁木さんか。


 申し訳ない。オレたちが甲賀衆を厚遇したことで苦労を掛けた人だ。いろいろとあるけど恨み言とか表立って言わないくらいに分別がある人でもある。


 さらに伊賀衆は、オレたちと関係なく守護の言うこと聞かないしなぁ。まあ、関係する六角・北畠とも合意していて、こちらの陣営に入れて変えてやろうってことで調整は順調だ。ただ、割と独立心が強い地域だからね。土豪や国人への根回しなど続けている。


 他にも幕臣は苦労を抱えている人が割といる。各勢力や公家と繋がる人が多いからね。御所造営の話も、そんな諸勢力の利害関係とかどう変わるんだと気にして動いている人はいるんだよね。


「お代わり」


 うん。そんな周囲と無縁な様子で黙々と食べるケティさんは、我が道をゆくね。いつものことだけど。ちなみにこれはこれで評判がいい。食べっぷりがいいことで見ていて気持ちいいそうだ。


「腹八分目は維持してる」


 聞いてないよ。ただ、北信濃の国人衆なんかは、それで腹八分目なのかと驚いているけど。



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