第1829話・親と子の模擬戦・その五
Side:平手久秀
二戦目はなんとか勝った。やはり佐々殿の差配が利いたな。
当人は酒が欲しくて警備兵に加わったと戯言のように言うこともあるが、日ノ本と勝手の違う久遠家が差配する警備兵にて立身出世した力量は確かだ。味方で良かったと安堵する。
ただ、第三戦は大殿方も同じ新しき兵法に変えておる。
槍を合わせてしばらくたつが、双方ともに決め手に欠ける。若殿は左様な者らを見て少し不満げな顔をされた。
「熱くなりすぎだ。少し下げてもよい。落ち着かせろ」
双方が一度は勝ったことで気が楽になったのであろう。この第三戦こそ勝つべしと皆に力が入っておる。それが少し気になるか。
「若殿、ここは退いてはなりませぬ」
だが、ここで若殿の下命に堂々と異を唱えた者がおることに驚く。
本陣にも若い者が多い中、最年長である御仁だ。河尻左馬丞与一殿。されど、さすがに表立って異を唱えたことには、わしを含めた周囲が固まってしまった。
「左様か?」
「はっ、お畏れながら。今しばしお待ちくだされ」
もとより古参のひとりであるが、元清洲方だった御仁だ。降ったあとは久遠家に与力として出されておることも、かの御仁が他の者と違う理由なのだが。
「うむ、いかなるわけだ?」
なんと、若殿から僅かに見られた苛立ちが消えた!? 年の功というやつか? いや、若殿の久遠家への信の強さが出たというべきか。
大殿の直臣から選ぶという条件からか、若殿は久遠に近い者を選んだのは間違いないが。それでも左馬丞殿と若殿が親しいとは聞いておらぬが、ここまで遠慮なく話せるものなのか?
「もう少しよう見てくだされ。皆の顔を。大殿や若殿の御為、必死に励む者を。確かに熱くなっておる者もおりますが、その様は怒りではなく喜び。公方様の御前で、御両名より選ばれて戦える喜びから熱くなっておるのでございます。あの様子ならばご懸念には及びませぬ」
左馬丞殿の言葉にわしを含めて、本陣の者ですら驚いておる者が多い。前に出ぬことで、我らは機を見ることを欠いておったということか?
「なんと……、戦とは難しきものなのだな」
「御無礼を申しました」
若殿のお顔に余裕が戻られ、左馬丞殿はそれを見て満足げな笑みをこぼされた。
なんという御仁だ。若殿の心の奥底にあった焦りや未熟さを、事を荒立てずに正してしまわれた。あの内匠頭殿が長きに渡り与力として使うわけだ。
内匠頭殿と奥方衆は人の心をなにより重んじる。それは父上と内匠頭殿らの様子をみておったわしにも分かることだ。
噂では立身出世の話も幾度かあったとか。あれはまことであろうな。
Side:織田信秀
三郎はよう堪えておるな。勝ちが見えぬ時、人は得てして動きたくなるもの。特に三郎は変わることや動くことを好む。先に動くかと思うたのだが……。
「皆、楽しそうであるな」
久遠流は出過ぎることも勝手をすることも出来ぬとはいえ、それでも皆は槍を交えることの喜びがあるように見える。
左様な様子を見ておると、昔を思い出す。
かつてはわしも自ら槍を持ち戦場を駆けたのだ。首を挙げて戦に勝ち、所領を広げる。己の力でいずこまでやれるかと楽しみで仕方なかった。
幾度も戦を重ねて、己の武勇と差配により従える者を増やし、美濃、三河まで攻め入った。されど、気が付くとわしも若くはない歳であった。
子が産まれ育ち、若くして日ノ本を変えたいと胸に秘め、天下統一を己の力でと願う三郎に夢を託そうと思うておるところで、あやつらが現れた。
あれからもうすぐ十年か。なんと楽しく面白き日々か。しかも託そうと思うた夢が、わしの手元に戻りつつある。
父上は泉下にて、今の織田をいかが見ておるのであろうか。
「策を講じまするか?」
「いや、動かずともよい。今しばらく楽しげな皆を見ておりたい」
実は小手先の策を仕込んである。動けば拮抗を破れると思うが、楽しげな者らを見ておると無粋に思えるわ。
かつての日々を思い出し、今は待つことにしよう。この夢の結末をな。
敗れても次がある。それが武芸大会であり模擬戦であろう。ならば無粋な戦など不要だ。
Side:塚原卜伝
久遠流兵法のぶつかり合い。武芸大会の模擬戦でも幾度か見られたことだが、それでも技量がここまで拮抗してぶつかるのは滅多にない。なんと面白き一戦だ。しかも……。
「御両名ともに将の中の将とお見受け致しまするな」
この面白き一戦を理解しておらぬ者が幾人もおる。その者に聞こえるように教えてやらねばなるまい。
「ほう、師よ。いかなるわけだ?」
「はっ、双方とも兵法を崩すことなく力の限りを尽くしております。あれは難しゅうございます。さらに主のために武士として働ける喜びが見て分かる。あれでは敵がいかに強くても崩れることも逃げることもございますまい」
北畠の御所様がちょうどよく問うてくれたことでさらに話を続けた。
久遠流はなかなか難しいからの。皆がそれを理解して崩すことなく全力を尽くす。あの姿は恐ろしいと思える。もっともわしが教え導いた者も多い。いずれかというと微笑ましいと思うがの。
そのままひとりまたひとりと脱落してゆくが、悔しげにしつつも逆らうことなく離れていく。抜け駆けしてでも己の武功を欲する他家の者には信じられぬ姿であろう。
「考えて見ると、ここしばらくは斯波と織田から寝返った者など聞いたこともないな」
「武衛様、弾正殿、内匠頭殿を敵に回して寝返るなど神仏とて致さぬことかと存じまする」
「ハハハッ、違いない」
顔色が悪うなる者、それでもまだ疑いの目を向ける者。心情を隠すように見ておる者。よく知らぬ者らの顔色を見るのは面白いの。
長く激戦が続いた最後の試合は、結局、弾正殿ご自身が兵を率いて若殿方の陣に斬りこみ、乱戦になる中、味方が盾になり道を空けると柴田権六が旗を奪った。だが、残る兵の数は尾張介殿の方が多い。
これは勝敗としては弾正殿が勝ったが、戦であったならば分からぬということか。
偶然とはいえ、なんとも面白き結末よ。
◆◆
永禄三年、六月。将軍足利義輝の尾張訪問に合わせて、尾張では武芸大会で行なっていた模擬戦を披露したことが『織田統一記』などに記されている。
仮の姿で何度も武芸大会を見ている義輝の好きな種目のひとつであったことと、戦が減りつつあった尾張勢の力量を古河公方などの来賓に示そうという思惑があったとされる。
勝敗は二勝一敗で信秀の勝ち越しであったが、信秀と信長は結果よりも互いに戦えることを喜んだとあり、選ばれた者たちも御前試合となった誉れを喜びつつ、新しき戦と治世で励む自分たちを隠すことなく示すことを望んだとある。
これに関しては、当時古河公方の地位を息子の義氏に譲っていた晴氏が、恐ろしいものを見たと側近に語った逸話も伝わっている。
国人どころか家臣でさえ、不利となると敵方に寝返る関東とのあまりの違いに嘆いたともある。
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