第1828話・親と子の模擬戦・その四
Side:佐々政次
あのままでも次は勝てたかもしれぬ。それほど力の差があったわけではない。ただし、上様の御前での模擬戦だ。無策のままで二度敗れるなどすれば若殿の面目に傷がつきかねぬ。
若殿は面目などと口にすると要らぬと言われるかもしれぬがな。そうもいかぬ。
氷雨殿ならばいかにするか。そう考えると自ずと答えが出た。
「これでこの模擬戦が面目ではなく試しの戦となるか」
わしの考えを読んだか。さすがは五郎右衛門殿だ。先代の平手様に勝るとも劣らぬ男と見える。
「若殿は少しばかり先を見過ぎておると思う。決して悪くはあるまい。だが……」
久遠家との付き合いはわしもそれなりに長い。故に分かることもある。先を見ることは大切なことだ。それは間違いあるまい。だが、他国からすると若殿の見ておるものがまったく見えぬのだ。
若殿は臣下にはお心を砕き、皆が理解するようになさる。されど、他国の者に理解させることをあまり重んじておらぬ。これはこちらの知恵を明かすことも意味するので難しいのも事実であるが。
なればこそ、若殿の力と面目は保たねばならぬ。大殿がおられるとはいえ、次は若殿が継がねばならぬのだからな。
「勝たねばならぬな」
五郎右衛門殿の言葉に頷く。若殿に限らず織田の者の多くは内匠頭殿を見ておる。上でも下でもないのだ。内匠頭殿は尾張をまとめる道しるべであり、光明でもある。
されど、それが時として危うさにもなる。あまり口には出さぬが、内匠頭殿らがもっとも懸念しておることであろう。氷雨殿が奉行職を譲ろうとされるのも、それに通じると思うておる。
「わしがなんとかする。これでも久遠流を学んだのは家中でも早いほうなのだ」
幾人かと入念に話をして要となる中央の差配を任された。あとはわしが若殿に勝ちを献上するだけ。
これでも氷雨殿の下で働いておるのだ。兵法も、余り表に出ず人を支えて周囲を動かす術も見て学んだ。内匠頭殿を奥方衆が支える如く、わしが若殿をお支えしてみせようぞ。
「ああ、任せた」
役目に忙しく武芸大会もしばらく出られておらぬ。武功が欲しいという思いも消えてはおらぬが、わしにしか出来ぬ役目がある。
光明を絶やすわけにはいかぬ。ようやく太平の世が見えてきたのだ。
そのためにわしは……。
Side:佐久間盛重
若殿方の布陣が変わったか。やはり向こうは負けられぬと変えたな。
大殿や若殿は、いつからか面目を口実とすることを好まれぬようになられた。変わることを重んじることは間違いではないが、一方で愚か者でも分かる面目は大殿若殿ともに立てておかねばならぬ。
面目を立てつつ変わることを内外に示す。それこそ今すべきこと。とすると、敗れたほうが同じ策で戦う道理はない。
「かかれー!」
始まりの合図が聞こえると同時に、こちらは先ほどと同じように攻める。若殿方はやはり隊列を重んじて待ちに入ったな。
個々の技量で戦うのではない。誰が欠けても困らぬ戦とする。常に己のおらぬ先を考える内匠頭殿らしい兵法と言えよう。
抜きん出てくる者、武功を求める者がおらぬ故、隙が見つけにくく攻めにくい。本来ならば鉄砲や金色砲のあとの槍合わせと考えるならばこれほど理に適うことはあるまいな。
二戦目ということもあり、双方熱くなる。特にこちらは先ほど勝ったことで勢いもある。だが……。
「くっ、面倒な!」
互いに槍を合わせる。
拮抗する場があると同時に、攻め手に欠くと苛立つ者も現れる。狙いは的となる紙風船であるが、相手方はそこを入念に守ろうとするとなかなか討ち死に判定にはならぬ。
「押せ! 押せ!」
ああ、模擬戦の形式ではやはり隊列を重んじる新たな兵法が生きるな。こちらがじわじわと押されてくる。
傷とならぬように鎧を身に纏い、槍の先も布で覆っておるものだ。それ故、劣勢となり力が入ると、的を気にせず実戦のように攻める者がおるではないか。
少し退かせるべきだな。相手方の思うままに後退するのは避けたい。
中央は特に劣勢で退きの合図を出して少しずつ下げるが、熱くなり聞かぬ者も出始めたわ。
「下がるな!」
「下がらねば守れぬわ!!」
味方から怒声が聞こえる。持ちこたえられる者が下がるのを拒むのは道理だ。されど、全体を見れば、そこが付け入る隙となってしまう。武芸大会でも幾度となく見られた光景だな。
見ておるとそれがまずいと分かるが、いざ戦場に出てしまうとそれが見えなくなるか。
その時だった。持ちこたえておった者のところを中心に相手が僅かに退いた。
「誘いだ!」
誰かが叫んだが、すでに時遅し。退いた者に対して待つということは難しきことだ。戦上手で名を馳せた者を中心に数名が取り囲まれて討ち死に判定になると、味方がさらに乱れる。
相手方の差配は誰だ? 佐々隼人佐か。
「立て直せ!」
ああ、味方が乱れていく。隼人佐がそれを見逃すはずもない。警備兵であることもあって武芸大会にもしばらく出ておらぬ故、新参者らは知るまいな。久遠流をもっとも熟知しておるひとりだ。
「遅いわ!」
数が劣勢となり味方は不利になる。出過ぎず攻め過ぎず確実に動く。敵とするとこれほど厄介なのか。
このままでは終われぬ。せめて隼人佐だけでも止めねば。
こちらとて大殿の面目があるのだぞ!
Side:村上義清
ふと織田の軍勢と対峙した時を思い出す。一当てしていたらいかがなったのか。幾度か考えたことだ。
盾に守られた軍勢から雨あられと降り注ぐ矢玉を越えて、ようやく槍を合わせた先があそこにある。
配慮された恩は大きいな。
先程、内匠頭殿が言われた。金色砲と鉄砲を並べたい。あれがすべてではあるまいか。同じ戦では勝ちきれぬ。それを隠さず言えることが羨ましい。
今川や武田が降るわけだな。
もっとも、わしは信濃を統べることすら考えられる立場ではない。従わねばならぬというならば諦めもつく。村上家を筆頭に北信濃の国人衆は名門もおるが、それでも守護といえぬ立場でしかない。守護に従えと名実共に示されると否とは言えぬはず。
一方で越後や関東はいかがする気だ? 聞けば奥羽において織田が所領を広げておるとか。
古河公方や関東管領に臣従しろとは言うまいが、彼の者らを立てて助けてやる義理はあるまい。
ちらりと目を向けるも、古河の大御所は理解しておるかもしれぬが、若き古河公方は理解しておらぬな。
なにも失わずに面目と地位を立てろというのは無理なのだ。
まあ、古河公方はいかようでもよいか。考えねばならぬのは我が村上家のこと。臣従を望まれるのも覚悟をしておるが、左様な気配はない。されど、北畠や六角のように同盟を組めるだけの力もない。
意地を張って見限られては困る。帰国する前に生きる道を見定めておかねばならぬか。
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