第1815話・北の地の希望
Side:優子
北国の夏だ。今年は奥羽の各地で新しい大型の網でニシン漁が上手くいったこともあり、漁獲量が劇的に伸びた。細々とした諸問題で頭が痛いけど、やっと誰にでも分かるほどのいい成果を示せたことは大きい。
かずのこはこの時代でも縁起物として重宝される。史実では足利義輝に献上したという記録もあるほど。かずのこの親であるニシンはこの時代ではそこまで知られていないものの、干物にした身欠きにしんは交易品としてもいいし、魚肥としてもいい。
尾張でも経験済みだけど、やはり漁業の成果は出るのが早い。ニシンに限らず干物に出来る魚はどんどん干物にしましょう。日本海航路と尾張への交易品以外はこの地の食料として貴重なものだものね。
すでに領内の従順なところには、雑穀などと一緒にニシンを分配して様子を見ている。夏場のこの時期も飢える者が相応に出るのよね。困ったことに。
「御家の船を見ると嬉しゅうなりますな」
そんな今日、八戸は久遠諸島から到着した船に沸いていた。尾張から共に来ている家臣たちも顔が綻んでいる。
荷は金色酒の原料である蜂蜜や私たちが頼んだ食料や物資、一部の高級な贈答品なんかね。それと……。
「ああ、それは最優先で降ろしてください」
「雪乃、ご苦労様」
船の様子を見るために乗船すると、雪乃が荷下ろしの差配をしていた。真っ先に降ろそうとしているのは、油紙や蝋で厳重に包まれた荷だ。
「ここも大変そうね。優子」
「ええ、まあね。ただ、それが切り札になるわ」
荷の中身は花火玉だ。ここ奥羽で花火を上げるために季代子たちと相談して準備を進めている私たちの切り札のひとつ。
「ここから尾張に、花火見物に行かせるわけにいかないものね」
雪乃も少し考え込んだ。出来なくもないウチの船を使えば。ただ、それだと一部の身分ある者にしか見せることが出来ない。
私たちはひとりひとりの領民と向き合うことで変えていきたい。ずっとそうしてきたんですもの。
そのためには、花火がいるわ。
「かずのこはまだある? もう少し持っていきたいわ」
「ええ、かずのこ、昆布、砂糖、それと毛皮も用意してあるわ」
すでに尾張には花火大会に合わせて、身欠きにしんやかずのこを大量に送った。特にかずのこは今年の目玉商品になってくれるはずよ。
「おや、優子じゃないのさ」
「リーファ。見るたびに海の女って感じになるわね」
話し込んでいるとリーファが船室から出てきた。ジュリアもそうだけど、リーファもギャラクシー・オブ・プラネットの仮想空間よりもこの世界が性に合ってそうね。
「そうだね。毎日生きているって実感しているよ」
いろいろ停滞し始めていたけど、これで私たちはまた加速出来る。
年末にはみんなにいい報告が出来るわ。
Side:久遠一馬
花火大会の準備が進む。恒例行事となりつつあるので混乱などはない。あれこれとトラブルはあるようだけど、トラブルも恒例だからなぁ。
そうそう、北からの船団が到着した。蝦夷や北方の産物を満載している。今回人気商品である昆布と砂糖の他に、ニシンと数の子が多くある。この春に蝦夷と奥羽で行なったニシン漁で捕れたものだ。
奥羽にはこちらで大型の網を貸し出しており、それで漁獲量が上がった。ニシンからはかずのこが手に入るし、身欠きにしんとして諸国に売れる。さらに魚肥にすることで、土壌改良をして生産性も上がるだろう。
あの地を変える第一歩と言ってもいい成果だ。
無論、尾張にもメリットはある。蝦夷の産物を尾張で売ることで、蝦夷はウチが領有して奥羽を織田家が押さえていると周知させることが出来る。
まあ、日本海航路に関わる人たちや、相応の身分の人は知っていることではあるけど、知らない人はまったく知らないことでもあるからね。
「しかし、どこもかしこも動くのが早いね」
清洲城で仕事をしているとあれこれと報告が入るが、御所造営関連の報告も多い。一口噛みたいんだろう。ただ、あからさまな買い占めなどはまだ起きていないが。
「伊勢、近江は大丈夫そうね。その分、利も分けないと駄目だけど」
「メルティ、これから買い占める可能性は?」
「大丈夫だと思うわ。畿内は分からないけど近江は思った以上に強かね」
織田領でもそうだけど、なにかあると物資の値が動く。今回の場合は材木の買い占めをする連中が増えると思ったんだけど。
さすがにこちらの方針を理解してくれたか。
その分、関係者への根回しや贈り物攻勢が増えているようだけど。これは現時点では仕方のないことだ。むしろ血を流さず経済に悪影響を及ぼさない形で争っていると、褒めるべきかもしれない。
ウチだと資清さんや湊屋さんが贈答品長者になりそうな勢いだ。
「正直、尾張で部材にある程度加工して送ったほうが早くて安上がりなんだけど」
「費用だけを見ればね。今後の統治や近江の経済を考えると、こちらから送るのは加工が難しい品を中心にするべきね」
尾張では犬山城下が木材加工の一大拠点と化している。当初は丸太のまま各地に送ったりしていたが、年月が過ぎるごとに加工する工程が増えた。
原因は工業村と蟹江の造船所だ。旋盤などは今も機密扱いで外に出してはいないが、分業制や統一規格とまではいかないものの、一定の規格の品を量産するという概念は領内の職人たちに広まっている。
あと工業村に入った大工さんが、職人衆と一緒に道具の見直しもしたんだよね。農具のように鉄をふんだんに使うことや、造船所に入り浸っている鏡花が持ち込んだ道具を見て、それを参考に形を改良したりしたものが尾張では出回っているんだ。
結果として木材加工技術でさえ、近江と比べてもかなり違う。
この時代だと板材とかは加工が大変なので高価なんだけど、犬山城下では水車を利用することや道具の改良をしたこともあって、他と比べると驚くほど効率的に量産している。
正直な話、名工による一級品よりそれなりの品が大量に必要なのが尾張なんだ。
「技術伝授の内容を早めに評定で検討してもらうか」
工業村とか新しい技術、ほとんどウチの関連なので、ウチの利権だという扱いなんだけど。だからといってあちこちに軽々しく教えるのも良くないし、面目や立場とか気にする時代だから結構加減が難しいんだよね。
御所造営に際して、どこまで技術開示をするか。こういうのは評定で検討してもらうのが一番いい。
ある程度、資料をまとめておくか。
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