第1809話・終わりなき日々

Side:久遠一馬


 六月だ。そろそろ夏と言ってもいいだろう。青々とした稲と照りつける太陽がいいね。


 朝廷の件、潜在的な懸念として残ってはいるものの、ひとまず収まるだろう。いずれにしろ対立はなくならない。歴史、文化、権威、貧富、技術などなど、様々な違いが争いを生む。これは時代が変わろうと根本的には同じだ。


 上皇陛下の蔵人の一件もあり、現状では朝廷というよりは公卿公家の評判が落ちているが、これはもうオレが過剰にフォローすることじゃない。身分があるんだから自分たちで頑張ってほしい。最低限、戦にならないようにはするから。


 尾張は恒例となった花火大会の支度で忙しい。今年は京の都から招くことはないものの、義輝さんと、母親である慶寿院さんを招くことで以前から調整していることもある。


 この件は上洛前に話をしていたことであり、京の都での騒動とは無関係だ。もともと畿内や京の都ではこちらが豊かになったことが知られ始めた結果、不満が増えていたからね。


 義輝さんと尾張の友好を深めて、関係が確かだと公に示して見せる必要性があったんだ。


 まあ、このタイミングで近衛家の出である慶寿院さんが来るのは好都合でもあるけど。朝廷との関わりは外交と同じだ。多くのチャンネルと粘り強い交渉と対峙がいる。


「古河公方殿らは驚いておるようでございます」


 仕事の合間に報告を聞く。太田さんを古河公方一行の案内に同行させていたんだよね。オレは忙しいから同行出来なくてさ。


「だろうね。ここからどう受け止めるのか」


 関東もなぁ。まあ、古河公方としては偉いんだから利を寄越せ。頭を下げろとか言わないだけ気を使っているんだろうけど。


「どこまでご存知だと思う? 関東は尾張などと違うとか言いそう?」


「まさか、そこまで愚かならば左京大夫様がお連れになりますまい」


 ちなみにあまり知られていないが、織田家とウチは関東の国人でもある。北条から頂いた伊豆諸島が関東に属するからね。古河公方もそんな認識ないだろうけど。


「里見家の一件が見せしめとなっておりまする」


 うん、太田さんの言うとおりだ。ただ、あそこ許すタイミングがまったくないんだよね。そもそも交流もないし。ケティが狙われたこともあって簡単に許せないこともあるけど。


 正直、さっさと謝っておけば済んだ話ではある。織田家の力と地位が高まれば高まるほど謝罪に求められる難易度が上がる。もう当主が腹でも切らないと許せることじゃなくなりつつあるからなぁ。


 まあ、里見はどうでもいいや。関東もね。争う暇があるならもう少し開墾してくれると助かるんだけど。この時代だとそれも難しいんだよね。


 庭からは子供たちの賑やかな声が聞こえる。今日は孤児院の子供たちが庭の手入れに来てくれているんだ。屋敷は庭も広いからなぁ。


 清洲城と違って豪華な庭園とかはない。畑と花壇とかがほとんどだ。あとはロボ一家と子供たちが遊べるスペースくらいか。この時代でもある豪華な日本庭園みたいなもの、嫌いじゃないけど、見たいなら清洲城に行けば見られるしね。


 今年の夏も海や山に子供たちとかみんなで行く予定だ。今を大切にみんなと一緒にいる時間は少しでも多くほしい。


 そのためにもおかしなことにならないように仕事を頑張ろう。




Side:船大工の善三


 次から次へと出来上がる船に、ふと若い頃を思い出す。親方に怒鳴られたこと、よう出来たと思った船が戻らなんだ日のこと。


 年老いてしわくちゃになった己の手を見ると、少し寂しい。


「仕事が出来ねえってのは慣れねえな」


 尾張に来て、もうすぐ九年になる。今じゃ余所者なんて言われることもなくなった。あの日、慶次郎殿に助けられた日、わしは仕事を辞める気だった。衰えはあの頃から感じていたんだ。


 だが、あれから数えきれねえほど船を造った。久遠船や小鯨船の半数以上は、わしが関わったものだ。黒い船が海の守り神だ。そう言われるほど海も船も変わった。


「お願い致します!」


 教室に居並ぶ五十人ほどの若い奴らを見ると少し羨ましくなる。


 わしは今、蟹江にある水軍学校にて船大工を育てている。昔からあるように弟子を取り仕込むのもいいが、それでは世の流れに間に合わねえんだ。学問も武芸も習ったことなんかねえわしだって分かることはある。


 殿やお方様の見ておる次の世を一日でも早く迎えるには船がいるんだ。もっとたくさんの船がな。


「おう、いい面してるな。今日は造船所に行くぞ。小鯨船の仕上げを見せてやる」


 わしの言葉に目の色が変わる。やる気だけは皆、負けねえくらいある。中には殿が尾張に来た年の流行り病で命を助けられた奴なんかもいて、殿のお役に立ちたいと那古野の学校に通い、手先が器用だったことから船大工になるべくこっちに来た奴もいる。


「さあ、行くぞ!」


「はい! 親方!」


 殿に仕官して武士の身分となったが、今でも若い奴らには親方と呼ばせている。大船善三と姓を名乗っておるが、書状に署名する時以外は使ったこともねえ。


 たまに様付けで呼ぶ奴もいるが、それは止めさせている。わしには合わねえからな。殿やお方様がたはそういうところをわしの好きにやらせてくれるんだ。


「これが……恵比寿船」


「なんてでかいんだ!」


 喜び騒ぐ奴らが羨ましい。こいつらなら殿が世を変える様を見届けることが出来るだろうからな。わしには出来ねえことだ。


 船の方様からは隠居をするかと以前問われたことがある。殿も出来る限りのことはしてくださるって話だが、断った。頭と足腰がしっかりしているうちはお役に立ちてえ。


「いつか、己が造った船がこの世の海を制する時が来るかもしれね。そう思うて励め」


 残さなきゃならねえんだ。ひとりでも多くの船大工をな。日ノ本の乱世を終わらせるために。御家がこの海を生きるために。


 そして殿やお方様がたが一日でも早く、本来の安穏な日々に戻れるように。誉れだの面目だの、そんなもので窮屈な思いをしなくてもいいようになっていただきたい。


 わしには分かるんだ。殿とお方がたの本質は、武士ってより商人や職人なんだ。それが世のため子や孫のために今も励んでおられる。


 臣下となったが、わしに出来るのはこれだけだからな。


 これだけは最後の最後まで務める。それだけは譲れねえ。





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