第1808話・世の移り変わり

Side:ヒルザ


 信濃にも夏が訪れようとしている。こちらからは今年も花火見物にと多くの人を送り出す。人の交流こそ今必要なのよね。


 信濃は落ち着いているわ。村上や高梨などが上洛している北信濃も静かなものよ。織田領との格差や違いもあり楽観出来るほどではないけど、問題視するほどでもない。


 無論、家中においても懸念の芽はある。筆頭は諏訪家ね。旧高遠領の始末をやっと終えたけど、あそこは今も織田に不満を抱えたままになる。長年あった家柄に合わせた地位を与えないと不満が解消されない。主立った者は仕方ないと諦めても、下に行けばいくほど不満が燻る。


 村々がこちらに従い始めたこともあるのよね。末端の武士は所領を奪われ俸禄となった。威張れる相手がいなくなり、上の者の顔色を見ないといけなくなった。そんな鬱憤もある。


 気持ちは分かるのよねぇ。ただ、相手をしている暇はないけど。


「順調ね。ご苦労様」


「はっ!」


 私は今日、とある村に来ている。高麗人参の栽培テストをしている村だ。尾張にある山の村を参考に村人はすべてウチの家臣にしてある。


 元の世界でもあった信濃における高麗人参の栽培だけど、収穫まで五年から六年かかるので未だに栽培を試しているだけ。まあ、それ以外にもいろいろと試験栽培とかしているけどね。


 高麗人参栽培は織田家評定衆以外には知らせておらず、極秘裏に進めている。


 栽培は成功すると思うけど、事前にシミュレートしてあるものの細かい栽培データまであるわけじゃないから失敗する可能性もゼロじゃない。外部に知られるとなにをされるか分からないのよね。


 もっとも試験村自体、信濃の各地に複数ある。山村から農村まであって、新品種や唐辛子や高原野菜の栽培テストもしているわ。


 山間部における木炭の効率的な生産と椎茸栽培・養蚕業などは、すでに一定の信頼ある土地から普及させている段階になる。


「不測の事態があれば、村の者を連れて退きなさい。ここは尾張ほど気を許せないわ」


「心得ておりまする。されど、今のところ人参のことは村の者以外には一切漏らしておりませぬ故、ご案じめされずともよいかと」


「そうね。ただ、私たちも少し恨まれているから」


 従える地が増えてやることが増えると、ありがたいと感謝されるばかりではない。大多数の暮らしがよくなっても一部の者は不満と恨みを持つ。


 難しいものね。まあ、甲斐よりはいいんだけど。




Side:目賀田忠朝


 御屋形様に呼ばれ参上したが、驚くことに近習すらおらず御身ただひとり。あまりのことに戸惑うてしまうが、御屋形様は面白そうに笑みをこぼされた。何事だ?


「上洛の話は聞いておろう? 朝廷と京の都とのこと難しゅうなる一方でな。実はの、それに関して尾張から近江に上様の御所を造営してはとの話があった」


 なんと!? 尾張勢が帰国したのもつい先日のはず。にもかかわらず……。


「大津か草津でございまするか? 確かかつて草津に御所があったとか聞いた覚えがございますが」


「いや、観音寺城の西、目賀田山の南になる。それでな、そなたが良ければ目賀田城を御所の詰城に整えて町も造るという話だ」


 ……なんと、なんという。織田か、いや、久遠の策と考えるべきであろうな。人払いはわしが断れるようにとの配慮か。


「それは上様の政務を、公の形で近江に移すということでしょうか?」


「表向きは静養の御所とするとのことだが、詰城と町まで造るというのだ。費用は尾張がなんとかするとのこと。そなたなら意味が分かろう? 公卿は内匠頭殿を少しばかり怒らせたのかもしれぬ」


 三関の件か、はたまた機嫌伺いの件か。


「世の流れが変わりまするな」


 御所だけならば草津でも尾張でもいいはず。これは近江以東を守る策であろう。あそこに御所を造営して詰城と町をとなると、近淡海と北近江をも見ておることは明白だ。


 尾張を中心に畿内に代わる新たな繁栄の地をつくるつもりではあるまいか?


「いかがする? そなたが望まぬなら詰城は断るが」


「御所はお受けになるのでございまするか」


「断る理由がない。そなたも清洲や蟹江を見たであろう。六角も変わらねばならぬ。これは好機だ」


 恐ろしい御仁だ。朝廷に信が置けぬと理解すると、帰国して早々にかような動きをするとは。


「よろしゅうございます。目賀田山、いかようにもお使いくだされ」


「そうか。すまぬな、褒美というわけではないが代わりの所領を用意しよう」


 御屋形様は安堵した顔をされた。断ることも出来ようが、これは上様以下、三国同盟を守るという内匠頭殿の意思の表れ。代わりの策でもなければ、こちらの了見が疑われる。


「それには及びませぬ。目賀田山は献上致します」


「なんと!? されど、それではそなたが困ろう」


「尾張では城を献上すれば俸禄をいただけるとか。それで構いませぬ。無論、相応の額で十分でございまする」


 少し惜しい気もするが、好機であるのはわしも同じこと。御屋形様に功を示すべき時は多くない。


 それに、いずれ所領も……。最早、時世は変えられまい。わしも尾張に行ったことがあるが、あの地が一度や二度の戦で落ちるとも思えぬ。そこに此度の御所の件だからな。


 もう少し言うと、誰ぞが献上してから慌てて続いたところで御屋形様のお心には残るまい。


「尾張は西と畿内を捨て置くのだとばかり思うておりました。某、少し安堵致しました。公卿らがいかな顔をするか楽しみでございまするな」


「ああ、苦しむであろうな。あれこれと献上したことで甘く見て軽んじた公卿が悪いのだ」


 思わず笑みがこぼれてしまう。面白い。都人は事あるごとに東を鄙の地と蔑み、公卿など武士を汚らわしげに見ることすらあったというのに。


 頼朝公以来であろうか? 世が東に移るというのは。兵を挙げずにそれを成すとは。


 いや、それ以上か? 頼朝公は鎌倉で政をしたが、畿内と京の都を超える国には出来なんだ。尾張はそれを成そうというのか?


「真の知恵者とは真似出来ぬ知恵を持つ者でございまするな」


 知恵、謀を自慢する者は幾人もおる。高僧など己以上の者はおらぬと言いたげな者すらおったな。だが、敵わぬと心から思うたのは初めてかもしれぬ。


 朝廷はいかようでもよいが、時世を見極めねばならぬな。わしも気を引き締めねばならぬわ。


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