第1807話・動く者

Side:ジュリア


 ちょっと困ったことになったので塚原先生のところに出向くと、のんびりと鍛練していた。


「公卿というのは厄介よの」


 尾張の騒ぎが先生の耳に入っているものの、少し面白げな笑みを浮かべている。怒ってアタシのところまでやってくる奴がいるのは少し穏やかじゃないってのに。


「外では言えぬが、この世に神仏などおらぬ。少なくともわしは会うたことがない。それだけのことよ」


 ああ、そうだね。それだけのことだ。朝廷だって人の集団。かすみを食って生きられるわけじゃない。銭もいるし、面目を保つには少なくない手間がいる。


 さらに連中からすると、これでも別格の配慮をしてやったと自画自賛していてもおかしくないほどなんだけどね。


「内匠頭殿は少し困っておろうな」


「そうだね。こういう流れは好ましくないよ」


「致し方あるまい。わしからも皆に言い聞かせてやるか」


 こちらから頼まなくても、困っていることも頼みたいことも察している。これだから尾張でも最上級の客人として公卿よりも大切にされている。わがままらしいのは菊丸をウチの島に連れて行った時くらいだ。


 公方様が公の席で師と呼ぶこの人は、どこに行っても別格という事実もあるけど。


「内匠頭殿やそなたらを苦しめるのは皆の本意ではないからの。年寄りにも役目があろう」


「すまないね、先生。アタシやセレスだと、どうしても耐えていると思われてさ」


「わしに任せよ。たまには弟子として働きたいからの」


 単純に朝廷と戦おうとする者はまだいない。ただ、良い流れじゃない。朝廷との対峙は穏やかに緩やかに。アタシの好みじゃないけど、それが最善。


「そうじゃ、近江御所。あれはよい策じゃの。相も変わらず奪わず与えることで変える。内匠頭殿らしい策」


「都だといろいろ無理があるからね」


「公卿が恐れるわけも分かるの」


 この件もすでに六角に打診する使者を出した。史実で安土城が出来る目賀田山に詰城を造れるかは分からないが、御所は反対まではしないだろうね。


 城と所領で物事を見るこの時代の価値観でも、経済と物流で物事を見るこちらの観点でもこの計画は大きな意味がある。頃合いも時勢も最適とくれば驚くのも無理はない。


 時間というものは、みんなに平等なのかもしれないね。十年、長いようで短かった。


 司令がアタシたちと並び超える日も来るのかもしれない。




Side:久遠一馬


 お市ちゃんがお菓子を持参して屋敷に来た。昔ほどではないものの、今でも頻繁にウチの屋敷に来てくれる。今日はシフォンケーキか。この手のケーキは今でも作れる人は限られているんだよね。レシピを公開しているわけじゃないし。


 軽くふんわりとした食感は多くの人に喜ばれ、雲ケイキなんて呼ばれることもある。焼きむらとかもなく出来もいいなぁ。


「おいちい!」


「ひめ、おいしい!!」


 屋敷にいるみんなとお茶にするけど、柔らかく優しい味だなぁ。子供たちも大喜びだ。


「やはり一馬殿は屈辱などとは思うておられませんね」


 そんな中、オレの顔をジッと見ていたお市ちゃんは唐突に驚くべきことを口にした。


「お耳に入りましたか」


「学校の子たちにはまだ入っておりません。ただし、すぐに伝わるでしょう」


 数え年で十一歳。日に日に立派になるなぁ。屋敷を駆け回っていた頃が懐かしい。どうも噂を聞きつけて少し心配してきてくれたみたいだね。


 子供たちは気付いていないけど、エルたちは嬉しそうに目を細めている。


「手は打っているんですけどね」


「アーシャ殿と私のほうでも気を付けておきます。こちらはお任せください」


 にっこりと笑みを見せたお市ちゃんに驚かされる。オレたちが困っていることまで察したのか?


 アーシャやリリーが育てた子たちは多い。ただし身分ある子で一番ウチの価値観や知識を学んでいるのはお市ちゃんだ。聡明で活発な様子と、家中の子供たちをまとめる姿に驚く人は未だに多い。


「大きくなりましたね。姫様」


 お市ちゃんに助けられる日が来るとはなぁ。ただ、子供には子供のコミュニティと世界がある。助かるのも事実なんだけど。


「ひめ、おっきい?」


「かわらないよ?」


 静かに時の流れを感じていたが、一変させたのは子供たちだ。小首を傾げてお市ちゃんを見てそんなことを口にした。


「そうですね。私はまだまだ大人ではありません。もっと学んでエル殿たちのような大人になります」


 ちょうど起きていた一番年下のディアナを抱き上げたお市ちゃんは、自身の夢とも将来の展望とも言えることを語った。


 子供が夢や将来を語れる。これは素晴らしいことだが、この時代ではまずありえないことだ。家、身分、立場。そんなもので将来が決まってしまうからだ。


 ただ、だからこそ、尾張では新しい世の先駆けとしてお市ちゃんが見られることもある。


「ひめ、あそぼ!」


「おさんぽ!」


「えほん!」


 ああ、おやつを食べ終えた子供たちに囲まれたお市ちゃんは楽しげだ。


「はい! 遊びましょう」


 よく学びよく遊べ。これもウチの教育方針のひとつだ。オレたちはまだ仕事があることを察したんだろう。お市ちゃんは子供たちを連れて遊びに行ってしまった。


「ひとまず落ち着きそうかな」


「ええ、頼もしい方ばかりですね」


 エルたちと顔を見合わせてホッとした。


 朝廷の実情が知れ始めた件、結構深刻だとエルたちと相談して各方面に抑えてくれるように頼んだんだけどね。頼まなくても動いてくれた人も多かった。


 かつては、なにを考えているかよく分からないと思われていたのに。今ではオレが困ると察して動いてくれている人が多い。


 まさか、お市ちゃんまで加わるとは思わなかったけど。


「くーん」


 甘えるように目の前にお座りしたロボを撫でてやる。ブランカはセレスの膝の上に頭を乗せてブラッシング中だ。


 かつてのヤンチャだった二匹が少し懐かしくなるね。




◆◆

 永禄三年、五月末日。


 京の都より帰国後、尾張では都での久遠一馬の扱いについて、騒ぎになったことが幾つかの資料で明らかになっている。


 公卿が一馬を臣下の如く扱い、非公式に正親町天皇のご機嫌伺いをするようにと動いた一件が尾張の武士たちには軽んじたように見えたらしく、それまで知ることがなかった朝廷と公卿の実情に驚いた者が多数出たとある。


 さらにこの一件から、譲位があった際に警固固関の儀を行ない、東国を譲位から締め出したことも家中に伝わってしまったことが相まって、譲位と行啓・御幸と尽くした結果がこれかと憤る者が多かったようだ。


 事は深刻だったとされる。この時、斯波義統、織田信秀、久遠一馬は連名で書状を発給しており、説明と迂闊な行動をしないようにと戒めている。


 すでに斯波家・織田家・久遠家は、日ノ本統一のために密かに対等な同盟を結んでいたものの、当時の一馬は表向きの立場としては織田一族のひとりでしかなく、この三名だけが署名している書状は数が少ない。


 この書状は織田博物館などに複数残っていることが確認されているが、近年になり新たに発見された書状も本物と判定されると、数千万の値段が付き話題を集めた。



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