第1806話・知られ始めた実情

Side:平手政秀


「平手殿、これはあまりではございませぬか!? 我らで莫大な銭を献上して譲位をなしたというのに、譲位から東国を締め出すとは!」


 憤りを抑えきれずわしのところに来たの者は、すでに五人目じゃ。神仏への信仰が深く、朝廷を重んじておる者ほど此度のことは驚き戸惑うておる。


「そうじゃの。何故、かようなことをしたのであろうかの」


 実のところわしも驚いておる。古き儀式故、致し方なかったのかとは察することは出来るが、左様なことをして尾張や東国を従えられると思われたのであろうか?


 舐められたものじゃの。


「さらに難しき立場故、目立つことを望まぬ内匠頭殿に、帝に内々に拝謁して機嫌を窺えと命じたとか。朝廷を重んじ多くの労を厭わなんだ内匠頭殿をかように扱うとは。あの御仁の配慮を、公卿はいかが考えておられるのだ!」


 悪いことは重なる。近衛公と広橋公が一馬殿を軽んじたことも合わせて許せぬと怒っておる者が多い。


「心情は理解する。されど内匠頭殿がなにも言わなんだこと。周りがとやかく言うべきではない」


「内匠頭殿の配慮を踏みにじったのですぞ! それにあの御仁は己が泥をかぶっても耐えるだけではございませぬか!!」


「わしのほうで話を聞いておく故、今しばらく軽はずみなことは控えよ。それに、内匠頭殿は面目などで動かぬのだ。斯波のため織田のため、皆のためにのみ動く。深い考えがあるはずじゃからの」


 一馬殿は己の面目に興味すらなかろうな。ただ、一馬殿の面目はすでに尾張の皆の面目となりつつある。誉れを与える故、機嫌を窺えと命じられて怒らぬわけがない。


 ただでさえ領内では畿内者が嫌われておったというのに、尾張にきた近衛公らまで見下して軽んじたとなると心中穏やかではおられぬのも分かる。


 朝廷は我らをいかにしようと思われておるのであろうか? まことにこちらの富を奪い一馬殿を従える気か? さようなことを企めば、一馬殿が許しても尾張が織田領のすべての者が許さぬぞ。


 やれやれ、大殿に早急にお知らせせねばならぬな。これ以上騒ぎになると困ることになる。




Side:斯波義統


「漏れたか。人の口に戸は立てられぬということであろうな」


 朝廷の実情が尾張に知られ始めた。常ならばよい。武士は己の所領に執着して坊主もまた世のことなど考えぬからの。されど尾張は違う。皆が飢えぬようにと励む一馬たちの姿に、皆が国のこと日ノ本のことを考え始めた最中のこと故、深刻となる。


「父上……」


「そなた、一馬を軽んじる公卿をありがたいと思うか?」


「いえ……」


 倅もこの件はいかんとも言えぬ顔をしておる。アーシャの教えもあることで安易に怒ることなどないが、久遠の教えは世の道理を重んじる。なによりわしや倅にとって一馬は返しきれぬ恩があるのだ。


「此度はわしと弾正と一馬で抑える。されど、これは末代まで残る因縁になるやもしれぬな」


 弾正ばかりか一馬との付き合いも長くなった。かような騒動を嫌うことは考えるまでもない。


 上様の御所造営の件、ちょうどよいのかもしれぬ。上様は近江にあり、我らのお味方だと示すことも出来る。そうでもせねば、朝廷への献上品など止めてしまえという声が高まるばかりであろう。


 北畠と六角とのさらなる友誼も深めねばならぬな。御正室の件、いかがするか。


「朝廷と争うのでございますか」


「今まで細川がやっておったことよ。その役目がこちらに回るのは致し方あるまい。付かず離れずでよかろう」


 朝廷に献上したのは間違いではあるまい。尾張の政は朝廷も上様も敵に回す恐れがあった。それを避けるためには必要であったもの。ただ、一馬らですら思いもせぬ形で上様をお味方とした。


 上様がこちらのお味方となった分だけ、朝廷は焦りと先行きを案じて動くようになった。何事も難しきことよ。




side:久遠一馬


 家中の官位受領に関する法整備、これはすんなりと決まりそうだ。


 よく考えてみると、今の織田家で相談もなく官位を得ようとする人がいるはずもない。事前に家老衆に申し出て、評定で許可を得ることにした。その後、斯波家として義輝さんを通して申請する形になる。


 代々任官している官位がある家もいる。名門とか増えたからね。現状で義統さんも信秀さんも官位を規制しようと考えていない。官位受領の形を整えるだけだ。


「茶席のこと、もう広まっているのか」


「はっ、殿は情けが深すぎるところもあり、付け込まれておるのではと案じておる者がおるようで……」


 少し渋い表情の資清さんが家中の噂を教えてくれたが、まさかオレが心配されているとは。


「それと此度のことで、警固固関の儀にてこちらを締めだしたことが漏れたようでございます」


 あーあ、その件も家中に広まっちゃったか。隠していたわけじゃないけど、評定衆で広めないようにしていたんだよね。ただ、尾張には駿河にいた公家衆がいるし、幕臣や公家衆とか関わりがある人も増えた。


 いつまでも隠しておけないことだったんだろう。


「驚いておる者や戸惑う者が多うございまするな。武士のみならず僧侶などもこの件は気になるようでして……」


 望月さんの報告がこの件の深刻さを表しているだろう。親王殿下と上皇陛下をみんなでもてなして、喜んでもらえたということを誇りに思っていた人は多いんだ。


 ところが朝廷は譲位からこちらを排除していた。


 この時代の儀式はたんなる形式じゃない。神仏に祈るような神聖で、なによりも大切なものなんだ。法律よりも自身の名目よりも重んじる人が多いくらい重要なものになる。


 だからこそ驚きや怒る人、失望する人が出始めた。


「なるべく騒ぎにならないように家中を抑えなきゃだめかな」


 早急な対策がいる。ただ、難しいな。


 もともと朝廷は遠い存在だった。遠くあってこそ、現実を知ることもなく尊皇の志を持つことが出来る。内情が欲と権力闘争がある普通の人だと知ると、少なくとも朝廷を信じる人は減る。これは元の世界の歴史からも明らかだろう。


 それがこんな形で向こうから突き放して、銭だけ出せと言いたげな態度をしている。この件はどこまでも朝廷の失態として重くのしかかるかもしれない。


 朝廷よりもこちらのこととして、オレたちの先行きにも影響するかもしれない。シルバーンの司令室にこの件のシミュレートを早急に頼もう。


 世の中の人が朝廷の現実を知るのは早過ぎる。




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