第1802話・沈む都

Side:六角義賢


 尾張勢が帰国した。古河公方や信濃衆など共に上洛した者らと共にな。奉行衆もわしも安堵したと言うべきであろう。


 安堵する者、落胆する者、各々の立場で変わろうな。朝廷の様子はまだ耳に入っておらぬが、大きな騒ぎにはなるまい。


 懸念はこちらの要が内匠頭殿であるとだいぶ知られたことか。大袈裟に言えば、あの御仁の一存で世が動く。当人が望もうが望むまいが、それが実情だからな。


 乱暴な言い方をすれば、さらなる官位を与えて銭を出させろという者すらおる。内匠頭殿に対しては、上様の力で従えて属国にしてしまえと騒ぐ者すら出るだろう。それだけ上様の権勢は確かなものになりつつある。


 さらに懸案は上様の御正室か。本音を言えば久遠から出して斯波の養女とするとよいのだが、内匠頭殿はそれだけは決して許さぬという。


 今一つわしにも理解出来ぬが、内匠頭殿とてこだわりや家伝の掟くらいあろう。望まぬものをやれと言える立場ではない。


 ただ、内匠頭殿はこの手の縁組に口を出すこともせぬという。左様なところは見習いたいものよな。己はなにもせぬというのに口を出す者があまりに多い。


 三好と北条の縁組が近々成る。さすれば畿内から関東まで味方となる下地になるのだが……。


 織田では甲斐信濃が未だ懸念であるという。当家と北畠も伊賀が懸念となりつつある。これ以上、都に出す銭などない。左様な声すら珍しゅうないのだ。


 まだまだ日ノ本を平らげるなど遠いと思える。まことに出来るのであろうか? 京の都や畿内の者らは、己らが貧しい鄙の地になることを認めるのであろうか?


 分からぬ。分からぬが、わしもまた畿内にこれ以上関わったとて利などない。上様と共に近江に戻るだけだ。


 京の都は三好家に任せるしかあるまい。要らぬと言えば困るが、上様ならば京の都を捨ててしまわれような。朝廷の終わりがくるか? 帝と院を尾張に移してしまえばあとは配慮も要らぬはずだが。


 内匠頭殿が望まぬであろうな。左様なことは。




Side:二条晴良


 厄介なこととなったものよな。されど、近衛公と広橋公のことも責められぬ。


 譲位の件は吾ら公卿の失態。あれがある限り、挙兵の口実とされても東国の諸勢力は理解してしまうやもしれぬ。


 他ならぬ内匠頭がおる尾張に与えてはいかん口実であったわ。これならば譲位などやらぬほうが良かった。あの男だけはまことの主上の臣下ではないのだ。


 鎌倉の再来か?


 いや、それでは済まぬな。政だけではない。東国の海路はすでに蝦夷を制した久遠の意のままであろう。大陸が近い故に栄えた西国や九州とは違う。久遠の力で豊かになり畿内と都を超えてしまうやもしれぬ。


 主上を脅かすのはあの男ではないのか?


 ただ、仮にそうであったとしても文句など言えぬ。義を尽くし、主上や院に従うという体裁を変えぬ限りは敵になど回せぬ。


 主上は今一つ分からぬところがあるが、院は内匠頭殿を天の使者と信じておる節がある。朝廷を終わらせることとなっても、理解を示してしまう恐れすらあるのだ。


「今まで捨てる立場であった吾ら公卿が捨てられる立場となるとはの。これも定めか」


 源氏だ平氏だと騒いだところで、主上と吾ら公卿は変わらぬ。左様な世ではないのだ。主上と院が公に尾張を求め、吾らを放逐すると示しでもしたら……。


 主上は間違いなく残ろう。代わる者などおらぬし、官位すら要らぬという内匠頭が自ら代わろうと思うはずもない。


 されど、吾ら公卿の代わりはいるのではあるまいか? 家伝や知恵とて、久遠の知恵で代わりがあればいかがする。所詮は大陸から学んだこと。久遠が知らぬと言えようはずもない。


 天ばかりではない。吾ら公卿が切り捨てた多くの亡者が、内匠頭に力を貸しておるのではあるまいか?


 戦うどころか動くことすら難しい。こちらの動きを読まれるのだからな。なんとか共に生きる道を探らねばならぬ。わしは父上のようになるのは御免だ。




Side:山科言継


 院はいつもとお変わらぬ。一言のお言葉もないまま、御自ら淹れた紅茶を吾にくだされた。


「何事もなく尾張に戻れるとよいがな」


 ああ、やはり御心は尾張と共にありか。さもありなん。


「ご懸念には及びませぬ。石山本願寺には恵比寿船がおり、そこまでは三好が面目に懸けて守ることでございましょう。かの者は大樹と尾張の味方でございまする」


 蔵人も下げられ余人を交えぬ故に口にされたのであろう。やはり尾張と朝廷のことでご懸念を持たれたか。


「そうか」


 外から吹き込む風は、夏に近くなりつつある。未だ都の者では真似ることが出来ぬ羊羹と紅茶はよう合う。


 目を閉じると尾張におるような。左様な気になるほど。


「大樹はよき顔をするようになった。都におらぬほうが、世が見えるのやもしれぬな」


 院の御内意はいずこにあるのであろうか。御自ら朝廷を変えるつもりであられようか?


 即位もままならず苦難の日々が続き、ようやく譲位することが出来たというのに、世の流れはあまりに厳しい。


 内匠頭が院の立場であればいかがするのであろうな。ただ、内匠頭はひとりではない。多くの妻と、主君や共に歩む者たちもおる。それは院や主上にはなきものだ。同じ立場になりても困らぬのかもしれぬな。


 決して口には出せぬが、公卿公家は一度地に落ちたほうがよいのではあるまいか? 常日頃から面目が立たぬと騒ぎつつ、己の屋敷に火を放つと脅して銭をせしめる者、己の荘園だけは守ろうとする者、官位を争い互いに都から追放しようとする者。真に主上と院の御為に生きている者など数えるほどしかおらぬ。


 左様な者には神罰が下る頃ではあるまいか?


地下じげ家の者も、近江にて世を知り正道に戻ればよいが……」


「あれは、内匠頭と大智の策と聞き及んでおります」


 ただ、導きはすでにある。院には見えておられるのだ。内匠頭の示す新たな世の導きがな。


 地下家など捨ておいてよいものを。わざわざ大樹の下で使うなど、導き以外のなにものでもあるまい。


 広橋公も、今しばらく内匠頭を信じて辛抱しておればよかったのじゃがの。


 あとは懸念が多いものの、院には再度の御幸をしていただいたほうがよいのかもしれぬ。最早、都と畿内がすべての世ではない。


 主上と院が畿内と共に沈むなどあってはならぬこと。東国との誼と繋がりは深めねばならぬ。とはいえ、これは吾に出来ることではない。


 今しばらく時世を見極め待たねばならぬか。




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