第1800話・成功の裏で

Side:山科言継


 近衛公は上手くいったのだからよいとお考えになられたようであるが、公卿と武衛らの宴が一度のみとされ、当初の期日に帰国をすると知らせが届いた。懸念しておった通りじゃの。


 権威を与えてやれば武士が折れる。かように考えたのは分かる。されど、甥とはいえ大樹を軽んじたような振る舞いに憤りを感じておる者が多い。


 公卿公家もまた、尾張を懐かしみ求めるような院と主上に面白うない者がおる。さらにあれほどの茶会でもてなしたというのに、献上品がされるという話がないことも面白うない理由であろう。


 院の新たな蔵人は、左様な世情をお耳に入れておるはず。以前、問われたことを濁したため解任したいと口にされたことで、今では隠すことも出来なくなっておるからの。


「山科卿、何故、内匠頭は吾らを導かぬのだ?」


「導きとは大袈裟な。内匠頭は世俗の者であるぞ。広橋公は頭を下げて教えを請うたのか?」


 悩み深き様子の広橋公が来たので何事かと思えば。導きとは。左様な話は坊主とでもすればよいものを。無論、坊主とて顔ぶれは知れておるからの。人を導くなど出来る者はおらぬ。分かってはおるがな。


「頭を下げてはおらぬ。だが、大樹以下、六角や北畠にも肩入れしておるではないか」


 ああ、かような男故、内匠頭は突き放したのであろうな。


「広橋公が挙げた者らは、皆、内匠頭のことを守り、自ら真似ようとしておるからではないのか? 広橋公も近衛公も自ら真似ることをせず、守る様子もない。わしが内匠頭であっても今以上に力は貸さぬと思うが」


 北畠卿が分かりやすいの。こちらの出方次第では朝廷に弓引くと明言したとか。左様な覚悟がない。


 譲位、行啓と御幸。図書寮。過ぎたる配慮だと言われると異を唱えることが出来ぬ。内匠頭自身はさらなる官位も断り、これ以上朝廷に奪われるのを望まぬと考えて当然よ。


「いかにせよと言うのだ」


「吾に言われても困るが。広橋公は己の荘園も利権も捨てる気はあるまい? 自らの命を懸けて、異を唱える公卿を説き伏せて朝廷を変えられるか?」


 内匠頭は尾張を忘れろと言うたとか。厳しき言葉だが、ひとつの道理ではある。本来の姿に立ち戻り、今とこれからを考えるのは悪うあるまい。内匠頭がつくろうとしておる新しい国に居場所があるかは知らぬがな。


 広橋公も近衛公も、吾より先を見越して動いておった。直に世は尾張を中心に動くようになるということを、吾より先に気付かれたことはお見事としか言いようがない。


 されど、畿内の武士と同じように考え扱おうとしたことは失態であったな。


 内匠頭に至っては朝廷との縁がない。織田もまた元の身分が低いことで朝廷など縁遠いと感じておろう。武衛は足利一門の源氏であるが、いささか血縁が離れ過ぎたと思う。


 不遇の頃に見向きもせぬ朝廷に義理はないと考えておろう。尾張は朝廷の権威がなくとも困らぬからの。


 与える権威以上に献上をしたことで、皆、御しやすいと勘違いをした。官位を要らぬというた時点で気付くべきであったな。


 最早、いかんともしようがない。東国を東夷だ、鄙の地だ、蛮族だと蔑み軽んじ、ぞんざいに扱うてきた吾ら朝廷の自業自得よ。


 あとは、院と主上がいかになされるか。吾はお傍で少しでも叶うようにお仕えせねばならぬ。朝廷を変えるような身分でも立場でもないからの。




Side:足利義輝


「いや、丸く収まってよかったの」


 ようやく姿を見せた殿下は、謝罪どころか喜ばしいと言わんばかりの顔か。


「丸くなど収まっておりませぬ。武衛らが折れただけ。殿下や公卿が某をいかに軽んじておるか、よう分かりました。今後は考えさせていただきまする」


「そう急くな。そのほうにとってもよき塩梅であったはずじゃ」


「某の立場は、管領代や武衛らがあってのもの。その武衛らに折れさせることをしたというのは良きことではございませぬ」


 そこまで言うと、わずかばかり不快そうな顔をした。将軍といえど甥になる。ずっと己が守ってやったと思うておろうな。それも間違いではない。されど、此度のことは明らかにオレの権威を抑えたいという本音があったはずだ。


「分かった、いかがすればよい?」


「なにも求めませぬ。某は近江に戻りまする故。ああ、ひとつありましたな。いつぞやに話があった正室の話は、なかったことにしていただきまする。某は殿下の神輿ではございませぬ」


 さすがにこの話は驚いたようだな。顔色が変わったわ。


「何故そこまで怒ることがある。そなたの利になったではないか」


「母上もおります。近衛家との縁はそれで十分なはず。それでも納得していただけぬというならば、絶縁なり別の者に将軍宣下をさせても構いませぬ。一度は将軍職も身分も捨てた身。恐れるものなどございませぬ」


 覚悟はとうの昔に決めておる。仮にこの場で討たれてもよい。もっとも左様なことをすれば朝廷が終わるであろうがな。


「……強うなったの。そなたの父である先代は喜んでおろう。武士とはかくあるべきじゃ。公卿や朝廷とて討つ。左様な覚悟がなくば将軍など務まらぬ」


 しばしこちらを厳しきまなざしで見ておった殿下は、諦めたようにため息をもらされた。


「他の五摂家や在京しておる公卿から正室を迎えることはあるまい? 斯波か六角か北畠か。そことの繋がりが欲しいのは理解する。そこならばよい」


「ありがとうございまする」


「そなたに手を出せば内匠頭が許すまい。あの男は左様な男だ。だがな大樹、主上だけは疎かにすることまかりならぬぞ」


 殿下の言葉に僅かに驚かされる。一馬。そなたはオレすら守ってくれておるというのか? 己の役目と地位を捨てようとした愚か者であるオレを。


「畏まりましてございます」


「内匠頭ならばよい。あの男が主上を害することはないからの。公卿と公家はいかになるか知らぬが、近衛家はわしが必ず残してみせる。後は知らぬわ」


 これだから殿下に気を許せぬのだ。ここで怒鳴り散らす程度ならば、正室は近衛家で良かった。


 思えば一馬もそうであるな。敵と見ておっても油断することもなく話をしようとする。面目や怒りで決断することがない。


 政では、オレは未だに一馬にも殿下にも届かぬということか。




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