第1796話・それぞれの茶席

Side:近衛稙家


 都では見せぬようなお顔をなさる院と主上に、驚いておる者が多い。特に尾張での日々を知らぬ者は信じられぬと言いたげじゃ。


「無形を極意とするか。恐ろしきことよの」


 院と主上のお耳に聞こえぬ程度の小声で囁く二条公に、吾は静かに頷いた。自ら学問と知恵をつくり上げる久遠に相応しき茶の湯と言えよう。


 公卿、武士、そして内匠頭らに、院は御自らの覚悟と御内意を伝えんとこの茶席に挑まれておる。しかも久遠の茶の湯における極意に沿う形でだ。


 お見事としか言いようがない。


「桔梗、朕の茶はいかがだ? そなたの教えに合うておるであろうか?」


 内匠頭と妻が茶と菓子を取りに参ると、院は茶の湯を伝えたという桔梗の方に声をおかけになられた。


 しかし、『教え』か。その言葉に公卿らが固まった。これで何人なんぴとたりとも久遠の茶を愚弄出来ぬようになったな。久遠の茶を否とすれば、院に教えを授けた者を愚弄することになる。茶の湯という古くからある儀式ではない内々のことではあるが、女に教えを受けたことをお認めになられたのだ。


 これは公ではないが先例がある。古くは後白河院が今様いまようを好み、巷の女を師としたこともあるはず。されど、今の世で院がされるとは思わなんだ。


「はい。とてもよい茶席でございますわ。院のもてなしのお心、日ノ本を照らす光となることでしょう」


 ああ、桔梗の方に驚いておる者もおるな。女の身でこの茶席の真意に気付いたことに驚いたか。愚かな。遅いわ。故に怒らせるようなことはするなと厳命しておるというのに。


 にしても、この茶席の勝者はいずれの者であろうな。陰で不満を口にするばかりの公卿でも、動いた吾や広橋公でもあるまい。大樹と武衛らは不満であろうが、これで少なくともすぐに動くことは出来まい。


 御身で考えて動くということを成した院の独り勝ちではあるまいか?


 内匠頭、そなたはまことの神仏の化身か? 千年以上続く皇統を僅かな拝謁で変えてしまうかもしれぬのだぞ。


 神仏は朝廷に変われと命じておるのか?




Side:足利晴氏


 寒気がする。春の心地よさも忘れてしまいそうなほどよ。


 なんなのだ? この茶席は。


 帝と院が公卿を働かせて武士をもてなすだと? あり得ぬわ! さらに院と帝の楽しげなお顔はいかなることだ!?


 倅は驚いておるが、氏康めは驚いておらぬな。知っておったということか? すべてとは言わずとも、驚きを隠せるほどには。


 思えば氏康は変わった。近頃は関東のことより尾張との友誼に熱心だと陰口が聞かれるほど。所詮は坂東武者でない余所者と笑うておる者が多いが……。


「左京大夫。さすがじゃの、驚いておらぬとは」


 人を担ぐならば、少しはこちらにも利になる話を寄越せ。そなたが愚か者でないことくらい承知のことぞ。


「驚いておりまする。されど、尾張はかようなことがようありまする。行啓と御幸とあったことはご存知のはず。さきの御所様も尾張を見分なさればご理解されるかと」


 上杉や関東諸将よりも大事か?


「里見のこと、こちらとて笑えませぬ。怒らせれば関東すべてが里見と同じくなるはず。越後の御仁は理解しておられぬと思いまするが……」


 こやつを甘く見ていいことなど一度もなかった。されど、ここまで言い切るとは珍しいことよ。


「天に弓引くなど某には無理なこと」


 斯波と織田は敵に回せぬか。いや、久遠もか? 天盃というのは事実ということか。末恐ろしい。上杉と長尾は名代で済ませたことを悔やむやもしれぬな。


 尾張が関東にいかに関わるのか、確と見極めねばならぬな。




side:三好長慶


 天を動かす様をこの目で見られるとは。


 仙洞御所でさえ、あの御仁がおるだけで場が変わる。そう思うのはわしだけではあるまい。


「修理大夫。あれが内匠頭殿と奥方衆ということか?」


「はっ、左様でございまする」


 細川の殿も察したらしいな。もとより愚かなお方ではない。いずれかと言うと辛抱強いお方だ。上様に疎まれつつそれでも耐えるくらいには。


「世評のほうが大人しいな。あれはまことに仏の国の者ではないのか?」


 ああ、わしもそう思う。虎やら鬼やらと称される武士は数知れず。されど、主を仏としたのは内匠頭殿、ただひとり。尾張では内匠頭殿が仏の使者だと言われ、あの者こそ真の仏ではとまで言われるという。


 尾張に来て十年ほどになるか。今でも拝む者が後を絶たぬとか。十年ぞ。いかに善政を敷いたとて、恨みのひとつやふたつ買うのが政というものであろうに。


「さて、某もそこは確かめておりませぬ。されど、義理を欠かさぬ限り修羅にはならぬとお見受けしておりまする」


「義理か。管領殿にはないものよな」


 細川京兆家にとって、晴元は最早、座しておられぬ者となっておる。譲位も此度の法要も姿を見せぬことで細川家の権威を大いに落とした。わしにも晴元を討伐するのならば異を唱えぬという者は、細川家中に多い。


 されど、上様はそれをお許しになるまい。上様の敵は晴元だけではないのだ。細川京兆家もまた上様の敵なのだ。




Side:仁木義政


 院と帝が武士をかような形で迎えるとは。未だかつて聞いたことがない。奉行衆として上様にお仕えしておるが、かような日がくるとは夢にも思わなんだわ。


 ただ、それは尾張あっての、いや久遠あってのもの。


 内匠頭殿は立身出世を好まず、己の功すら隠すこともある。されど、最早隠しきれぬほどのお立場なのだ。


 奉行衆では、内々にではあるが外国とつくにの王として扱っておる。上様の下命があったわけではないが、政にも精通しておりそうとしか見えぬと言うべきか。


 此度の茶席も、ひとつ間違うと上様の治世の大きな懸念となりかねなんだが、内匠頭殿が了承すると上様のお許しが出ることでなんとか収めることが出来た。


 今ならば分かる。院と帝の晴れやかなお顔から察するに、内匠頭殿の拝謁を確かに望まれておられたのであろう。近衛公と広橋公は、口に出さずとも御内意を叶えるべく動かれた。


 だが、今の京の都は難しい。武衛様らは畿内に関わることをよしとしておらず、内々の拝謁などすると先々で困ることになると望まれなんだ。


 それというのも、朝廷は未だかつてない時を迎えようとしておる。変わらぬはずの朝廷において、院が先例にないことを始められたからだ。


 尾張が良からぬことを吹き込んだと怒る者もおると聞くが、難癖と言えような。左様なことを言うならば、院に近づけねばいいだけ。それを出来なんだ公卿が悪いわ。


 晴れやかな院と帝は、この先いかになさるのであろうか? 公卿というのは厄介な者が多い。世が乱れるようなことにならぬとよいがな。


 あまり勝手をすると、上様は都を捨ててしまわれるぞ。今でも都を大事とされておられぬというのに。




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