第1792話・茶席のゆくえ

Side:近衛稙家


 手強い。若輩とまでは言えぬとはいえ、倅のような内匠頭に明らかに一手頂戴してしまうとは。


 確かに警固固関の儀は失態であったな。あれに怒る武衛や内匠頭の心情はよう分かる。特に内匠頭は、己の領国をいずれこちらが狙うのではとの懸念があろう。それを表に出さずに、吾らに己の立場と意思を表すにはちょうどよい口実じゃ。


 警固固関の儀は以後やらぬと言えれば良かったのであろうが、左様な大事を臣下の者に明言することには異を唱える者がおる。さらに、次の譲位のことを何故、今決めるのかという考えもあり、それも間違うてはおらぬからの。


 少し考え込んでおると、山科卿が参った。


「おお、呼び立てて済まぬの」


「構いませぬが、やはり上手くいかなかったようでございますな」


 耳が早い。いや、内匠頭の心情を察しておったか。先に声を掛けるべきであったな。


「いかに思う?」


「難しゅうございますな。尾張に学び、こちらが自ら動かねば、助けは寄越してくれぬとは思いまするが」


 それは理解するが、変えるということを拒んだ故に今があるのが朝廷となる。院の御内意ですら陰で異を唱える者がおるのだ。己の家の利がなくば尊皇などあり得ぬのが公家。動くと言うてもの。


 大樹は茶席に細川と古河を呼ぶとか。誰の策であるか知らぬが、上手く使われてしもうたの。


 ただ、こちらとしても悪うない。こちらの動きを上手く使うということは、内匠頭らが吾と広橋公を敵とせぬということだ。もう大樹の権威を上げるためという名目にしてしまえばよい。


「それが出来れば悩まぬのじゃがの」


「内匠頭らの策にのるしかないのではございませぬか? 意欲のある者から大樹の下に付けて愚か者を抑えていく。無論、近衛公が自らの荘園と権益を主上に献上するくらいのお覚悟があるならば、別であるが」


 内匠頭の本領とは、かように人を変えるものか? 山科卿に荘園を捨てよと言われるとはの。身ぐるみはがされた者がいかになるか、存じておろうに。


「今は難しかろう。山科卿とて同じであろう?」


「献上してもよいと思うておる。されど、吾が先に動くとお困りになられる方々が多いのも事実。院も主上も乱を望んでおりませぬ」


 ……この覚悟だ。内匠頭と誼が深き者は、皆、覚悟が違う。偽りではない。本気だ。少なくとも私利私欲でかようなことを言う男ではない。


 されど、それも困る。山科卿ひとりとて、左様なことをされれば公家の和が乱れる。すでに兵を挙げる力のない者が多いが、武士や寺社が絡むと都が乱れてもおかしゅうないのだ。


「ひとつ問いたい。尾張の先行きはそれほど盤石か?」


「いかがでございましょうな。吾は少なくともあの者らの見ておる明日を叶えたいと思うておりまするが」


 山科卿は久遠の本領でなにを見たのだ? それだけは一切聞こえてこぬ。この様子では命を懸けても言わぬか。


 主上以外に左様な義理立てをする男ではなかったのだぞ?


 恐ろしい男だ。周囲を次から次へと味方としてしまう。敵らしい敵はもうおらぬというのに。


 左様な男に見捨てられつつある朝廷と都か。笑えぬな。




Side:三好長慶


 茶席とは。これまた……。


 立場上、いろいろと聞こえてくる。近衛公と広橋公が、武衛殿らを内々に主上に拝謁させようとして騒動となったとな。


 されど、わしと北条まで呼ばれるとは。


「修理大夫殿、火急の用件とか」


「これは確かな話ではない。されど噓偽りでもない。そう思い聞いてくれ。北条とは縁戚となるからな。知らせぬわけにもいかぬ」


 今ひとつ分からぬこともあるが、北条左京大夫殿に仔細を話して聞かせる。


 これが大智殿の献策であること。上様の権威を高めるためという名目であるが、おそらく畿内と関東への布石であること。それは間違いあるまい。


「大智殿か。当家も世話になったことがあるから分かる。こちらを騙す意図はなかろう。あの御仁は人に利を与えつつ物事を進める。細川右京大夫殿と古河の公方様に世の流れを見せる意思はあろうがな」


 人払いをして互いに思うところを話すが、奇妙なほど一致した。これが我らにとってまたとない機会であろうと。


「皮肉なものよな。同盟や血縁とて疑い信じぬのが常。にもかかわらず、尾張とそれに関わる者は信じることで動いておる。我らもまたな……」


「信じる形を整える。久遠家が得意中の得意であること。同じことは出来ぬ」


 おかしなものだ。上様には忠義を誓ったが、わしは尾張や内匠頭殿を信じたわけではない。にもかかわらず、信じて動くように仕向けられておるようだ。


 すべては内匠頭殿と大智殿の手のひらということか?


「我らからは一切なにも言えぬが、同席を許された事実は重い。借りが大きいわ」


 あくまでも細川と古河公方の供としてであるが、それでも院と帝の茶席に出ることを許されるなど、わしでも真似出来ぬわ。


「取り込む価値もない。または厄介過ぎて捨て置かれるよりはよかろう。安房の里見が、内匠頭殿を怒らせたことでいかになっておるか聞いておろう」


「であるな」


 敵になど回せるか。わしもこの歳まで相応に生きており、多くの者と対峙した。されど久遠だけは他の誰とも違う。


 堺は見る影もないほど落ちぶれてしまい、寺社ですら敵に出来ぬと気を使う相手ぞ。まして向こうが味方にほしいと望むというのに、敵にするなど御免だ。


「婚礼は進めてもよかろう? 互いに立場は難しいが」


「うむ。異論はない。上様も武衛殿らも我らのことをお考えいただいておる。ならばこの婚礼がお役にたてよう」


 ああ、それも見越した此度のことかもしれぬな。


「しかし、大智殿か。その智謀にて、すでに天下を動かしておるな。古より、奪う智謀は聞いたこともあるが、与える智謀で世を動かすなど聞いたこともないわ」


「当人は天下など望んでおらぬがな。ただ、家の者らに対する思いは強い」


 それはいいことを聞いた。覚えておこう。


 まことにくるぞ。この乱世が終わる時が。わしにも朧気ながら見える気がする。


 真の知恵者とは、己ではなく、他者に知恵を与えて先を見せる者のことではあるまいか?


 ふとそんなことが頭をよぎる。


 もとより尾張と久遠家には商いにおいて助けられておるのだ。借りが増えるばかりだわ。いつ返せばよいのであろうな? 一度聞いてみたいものよ。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る