第1789話・住む世界の違い

Side:広橋国光


「広橋公、少しばかり事をいたの。何故、先に話してくれなんだ?」


 院の許しを得たところで山科卿が少し険しき顔で訪ねてきた。


「急いたとは? 公の場でなくば構うまい」


「内匠頭が望むと思うか? さらに、あの男に今以上に重荷を背負わせるようなことを致せば、武衛と弾正が許さぬぞ。あのふたりを怒らせると東国がいかになると思う?」


 言い分は理解する。されど……。


「重荷など背負わせぬ。されど、内々の場にて主上に拝謁はいえつすることくらいあっても良かろう。尾張では未だかつて見たこともないほど、お喜びであられたというのだ」


「広橋公も近衛公も、理解しておられぬな。尾張にて当人が言うておったであろう? もとより内匠頭は拝謁を望まぬ。官位とて喜んではおるまい。世にはかような者もおるのだ。わしはかように名を上げる前に会うた故、分かるところがある」


 そこまで要らぬと言うのか? 久遠の流儀に合わせるならばよかろう? かような配慮は他では決してあり得ぬことぞ。


「あれは日ノ本の外に国がある王。民を思い、争いを好まぬことと、斯波と織田が丁重に遇しておることで従うておるが、正しくは主上の臣下ではない。そなた考えたことがあるか? 己が国より劣る国に従うことを。内匠頭にとって日ノ本がかように見えても吾は理解する」


「劣るとは言い過ぎであろう」


 なにが言いたい? 山科卿とて言葉が過ぎるぞ。


「吾の口からはそれ以上は言えぬ。一切口外せぬと、院と内匠頭に誓った故にな。されど、内匠頭を琉球や朝鮮のようにみるならば間違いぞ。あれは唐天竺の皇帝と思うくらいでもよいと思う」


「話がおかしくはないか? 内々に場を設けるだけ。さらに尾張流の茶席ならば作法も困るまい?」


「分からぬか。広橋公の尊皇の志、察するに余りあるが。拝謁をさせていかがする? 主上がなにか望めば、引けぬことになるぞ。さらに久遠の知恵を得たところでいかがなる? 院と主上が余人を交えず茶の湯を楽しむ如く、先例にないことを望まれるぞ」


 ……山科卿。


「院と主上にお仕え致すのは吾ら公卿であろう? 尾張は義理以上に尽くしておる。それに報いてもおらぬというのに、主上のご機嫌伺いをしろと言うたに等しい。都の諸事に関わることを望まぬ者にそれをせよと言うのだ。懸念にならねばよいがな」


 それでは、主上や院の御内意はいかがなるというのだ? 皆で盛り立てて朝廷を尾張のようにしていかねばなるまい?


 主上の僅かな心休まる場すら、懸念になるというのか? 




Side:久遠一馬


 義統さんが、またかと言いたげな顔をしている。


 こっちはこっちで予定があるんだけど、急遽、内裏で茶席を設けたいと近衛さんから打診があった。不機嫌そうな理由は、それをこちらに確認する前に上皇陛下や義輝さんに根回ししたからだ。


 もちろん、上から根回しする。これは当然であり普通の行為なんだけどね。オレたちの都合とか後回しで、外堀を埋められては面白いはずがないのに。


 あと義統さん。京の都のことに巻き込むなと近衛さんたちに伝えたはずなのに、それもスルーされている。


 恐らくだけど、帝の御為とあらば別だと思っているんだと思う。公家や寺社の争いに巻き込むのではなく、オレたちと帝が少し話す場を設けることならば構わないだろうと考えたんだろうね。


 理解はするんだけどね……。


「尾張より御還御されてからというもの、院は主上と共に尾張流の茶を好んでおられる。良い機会じゃと思うての」


 義輝さんから知らせがあって、程なくして近衛さんと広橋さんがやってきた。近衛さんは相変わらずニコニコとして説明を始めるものの、広橋さんは少し表情が硬く無言だ。


 迎えるのは義統さん、信秀さん、オレとエルの四人だ。内密な話だろうと人払いはしてある。


「唐突でございますな」


 義統さんの言葉は、決して喜びではないと誰にでも伝わる感じだ。ただ、近衛さんはそれで表情を変えるようなことはない。


「内々な場故、難しゅう考えずともよい。作法も尾張流。同席する者も吾らと数人とする。いかがじゃ?」


 あまり喜んでないと理解しつつも引く気はないか。義統さんが信秀さんとオレたちを見た。どうするか、そう問いかけているのが分かる。信秀さんは好きにしていいと言いたげだな。エルは考えていることが同じだろう。


「殿下、私たちは京の都の諸事に関わることを望みません。しかも此度は上様を、尊氏公の法要のためと働く皆々様を巻き込んでしまいました」


 申し訳なく思うのは、たくさんの人を巻き込んでしまったことだ。義輝さん、晴具さん、義賢さんから、尊氏公の法要ということで幕臣にも苦労をして調整して場を整えてもらったのに。そういう予定や各方面とのバランスとか全部崩したとも言える。


「そう難しゅう考えるな。懸念がないように吾が努める」


 この人はやはり公卿なんだよね。下の者の苦労なんて毛筋も考えていない。身分差があると同じ人間と思ってはいけないと感じる根底は変わっていない。ただ、オレの立場が上がっただけなんだ。


「私が京の都でいかに言われているか。存じておりますよ。氏素性の怪しき男が銭で御屋形様と大殿に取り入り、院と主上にまでおかしなことを吹き込んだと。官位を賜っておきながら献上もせず、礼もわきまえぬ愚か者と評判ではございませんか。これ以上の悪評は困ります」


 すべて事実だ。畿内、とりわけ京の都での評判は決して良くない。義統さんと信秀さんの評価も田舎者が生意気だという感じだけど。


 叩きやすい人を叩く。いつの時代も同じだ。


「愚か者の戯言など耳を貸すな。分かっておる者は分かっておるわ」


 これだからなぁ。ただ、この言葉。決して悪気があるわけじゃない。正直、近衛さんも決して評判がいい訳じゃないからな。言い方が適切か分からないけど、堂上家、とりわけ五摂家のような人たちは世論とか世評とか一切気にしない。


 この時代だと武士も全体としてそんな傾向があるけど、下の者の噂とか評価とか雑音程度にしか考えないからなぁ。だからこそ権威と力で氏素性を中心に人を従えて、上から押し付けるように統治する。


 オレたちが困ると理解していないんだ。


「殿下、私は常に市井の民と共に生きております。さらに商人としては世評もまた大切なもの。以前、広橋公には申しましたが、私は拝謁など望んだことがございません。さらに官位も一度たりとも望んではおりません。左様な誉れは相応しき者たちにお願い致します」


 言わないと伝わらないんだよね。晴具さんに教えられたことだ。この際、きちんとこちらの価値観と考えを伝えないといけない。


 近衛さんは僅かに困った顔をしつつも驚かない。一方広橋さんはさらに険しい顔になった。このふたりなんでこんな違うんだ?




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