第1771話・春の賦役

Side:久遠一馬


 尊氏公二百回忌に参列するため、上洛に関する支度が進んでいる。ただこれも、あれこれと調整することが多くて大変だという話が届いている。


 そもそもこの二百回忌、義輝さん本人ですら気乗りしてないんだよね。この前なんか、近江か尾張でやれないかなんて言っていたくらいだ。無論、義輝さんも半ば冗談として、オレたちが相手だからこそ話していたことだけど。


 もともと政治が好きな人でもないし、将軍の地位すら捨てようとしていたからなぁ。朝廷や公卿の相手が面倒なのは今も変わらないだろう。


 根本的な問題として、足利将軍家は地盤が弱く、畿内を束ねることで将軍として力と権威を保ってきた。ところが、義輝さんの地盤は近江以東なんだよね。それもあって無理に畿内に拘る必要すらなくなっている。


 そこにオレたちの影響で経済的にも畿内から尾張が中心になりつつあり、畿内の優先順位は下がっている。


 義輝さん自身も京の都に戻りたいとかあんまりないみたいだしね。菊丸として活動していることを知る一部からは、そろそろ将軍として落ち着かれてはなんて声もあるようだけど、聞く耳を持っていないみたい。


 ただ、これはオレたちの見立てだけど、将軍と武芸者、この使い分けが義輝さんの将軍としていい影響が出ているのは確かで、専念しても精神的に負担が増すばかりで良くならない可能性もある。


 当面は現状維持が望ましいだろう。


 少し話が逸れたけど、政治が京の都から近江に移った影響もあって、尊氏公二百回忌での上洛は外野が面倒になっている。


 内裏と仙洞御所に挨拶に出向いて、尊氏公二百回忌の法要に参列するのが主な日程だけど、公卿とかを無視して帰国というわけにもいかないし。


 まあ、本当に大変なのは交渉している幕臣とか武衛陣の皆さんだけど。


「頑張っているなぁ」


 那古野の屋敷から清洲に向かうと、街道にて賦役をする皆さんと出くわす。実は今年に入って正式に清洲城から那古野城まで鉄道馬車で繋ぐことが決まり、地盤工事が早くも始まっているんだ。


 この件、ウチとしては既に開通している路線で、状況を確かめつつ経験を積めばいいと考えていたけど。家中ではこのまま広げるべきだという意見が大勢だった。


 そのため現在開通している清洲城から運動公園までの路線の他にも、清洲内の路線と那古野城への路線を新設することになった。


「家中の者から民まで、皆が楽しみにしておりまする。それに思うたより銭が掛かっておりませぬ」


 皆が楽しみといいつつ、資清さんも楽しみにしているようだ。


 鉄道馬車、レールや馬車本体の製造と牽引する馬の供給。これに維持管理も必要になるけど。ここらはオレたちが尾張に来て以降、工業村や牧場で技術を高め量産体制を整えることで実現可能になっていることもある。


 費用対効果、この考えは重臣クラスには根付いている。馬の維持と同じだからね。

馬、身分があるとあまり乗馬しなくても、行事、戦に備えるために必要だ。維持費はそれなりの額が必要となるから、無駄に高くせず適切な費用で維持している。


 変わりたい。豊かになる象徴のひとつとして、鉄道馬車を求める声が思った以上に大きかった。上皇陛下が御乗車されたことも今となっては大きい。これは使っていい支出ではと皆さんが考えたんだ。


 そうなると、オレたちが反対するわけにもいかないしね。


 ああ、鉄道馬車に関しては、黒く塗ればいいという声も大きかったね。どうも黒い船にあやかって黒い鉄道馬車にしてはどうかという献策が結構ある。


「まあ、おかげで川に橋を架けることをどこも求めているからね。いいこともある」


 馬車や鉄道馬車の余波は大きい。尾張以外でも主要な街道は橋を架けることが基本となっていて、河川の状況で常設の橋が難しいところは舟橋という声も多い。


 街道、港。ここらの整備はどこも積極的だ。他国だと城とか寺社の整備をする時代なのに、織田領だけ変わってしまったな。


 まあ、前向きなことだから大歓迎だけどね。




Side:賦役の民


 久遠様の馬車が遠ざかるな。


 三河で生まれたおらが尾張に来て幾年になるだろうか。本證寺のお寺様から逃げてきたおらが今日こんにちまで生きてこられたのは、織田様や久遠様のおかげだ。


 罰当たりな本證寺がなくなり、故郷の村も変わったと聞く。とはいえ、おらのように尾張に来た者が戻ったって話はあまり聞かねえ。三河が尾張のように争わぬ国になるなんて思えなかったんだ。


 ただ、そんな三河でさえも、今では織田様の治める地として争いなんてなくなったって聞いたけどな。


 おらはそれでもここ、尾張で生きている。


「そろそろ働け。そもそも、内匠頭様は拝まれるのは好かんのだぞ。拝むなら神仏にするようにと仰せになるお方だ」


 皆で控えて馬車を見送り、幾人かの者と共に手を合わせて祈っておったが、差配しておる武士に命じられて仕事に戻る。


 拝むなと言われるのはよくある。ただ、仏の弾正忠様や久遠様が通りかかると拝むことにしている。本證寺のお坊様のせいで故郷から逃げてきたおらにとって、仏様よりも仏の弾正忠様や久遠様のほうが感謝して拝まなきゃならねえお方なんだ。


 おらの家は、昨年、新しい子が生まれて賑やかになった。


 上の子たちは近所のお坊様が読み書きなんかを教えてくれていて、たまに那古野にある織田学校にまで連れて行ってくださる。


 すべて織田様と久遠様のおかげであることくらい、おらだって知っているんだ。


「なあ、拝むのってそんなに駄目なのか?」


 ふと気づくと、ひとりの男が差配している男に問うていた。


「いや、わしも悪いとは思わぬ。ただ、内匠頭様のお立場とすると神仏と同じことをされては畏れ多くて困るであろうとは思うがな。まあ、なんだ。拝みたいのならば、内匠頭様の見えぬところでしろ。我らやそなたらが重荷となってはならんのだ」


 確かに。さすがは織田様のご家来衆だ。おっしゃることは正しい。


 おらたちも気を付けねえと駄目だな。おらたちが織田様や久遠様を支えていかなきゃならねんだ。今度からはお姿が遠ざかってからにしよう。


 さあ、仕事だ。早く久遠様のおられる那古野に鉄道馬車を通すんだって、皆で励んでいるんだ。きっと喜んでくださるに違いない。


 そのために、もっともっと励もう。





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