第1772話・突然の訪問者と先を進む者たち

Side:京極高吉


「殿、菊丸殿が参られておりまする」


 屋敷で仕事をしておると、家臣の知らせに思わず耳を疑った。


「ああ、通してくれ」


 素性を知るのは、わしと養子として迎えた倅だけだ。家人にも知られぬようにしておる。しかし、何用であろうか。呼んでくだされば、こちらから参るのだが……。


 上様と与一郎殿は下座に座るが、それだけでよいのかと案じてしまう。そのまま茶を運ばせて人払いをするか。


「先触れもなく済まぬな」


「上様、まずはこちらに……」


「ああ、それには及ばぬ。菊丸としておる時はいずこにおっても上座に座らぬ」


 表向きの用件は塚原殿から頼まれて、届け物をしにきたという形だ。とはいえ上様だぞ。わしなど疎まれて隠居しろと言われたほどなのだが。


 上様は茶を飲むと一息つく。穏やかなお顔だ。不機嫌でもなければ、わしを叱責しに来たわけでもないようだ。


「尊氏公二百回忌について少しな。質素でいいと言うたのだが、あれよあれよと大きな話になっておる。そなたの考えを聞きたくてな」


 それをわしに聞くのか? 確かに織田家仕官以降は上様にお認め頂いた身であるが。まあ、問われた以上は答えぬわけにいかぬか。


「上様の御意向は某も存じております。されど、今の上様のお立場だと仕方なきことかと。荒れた世を望まぬのは、皆同じ。尾張は武衛様や大殿がおる故、皆で励んでおりまするが、畿内の者や奉行衆、足利家に従う者らは上様の権威にすがるしかございませぬ」


「これ以上、武衛らに重荷を背負わせたくないのだ。朝廷と公家衆は、武衛らの上洛があると知り騒いでおろう」


 上様……。


「観音寺城の者も、それを考慮して盛大にしようと思うておるのでございましょう。参る人が増えれば目立ちませぬし、重荷を背負う者が増えるやもしれませぬ。もう少し申しますと、やはり警固固関の儀を行なった一件が今も懸念として残っておりまする。朝廷とすると、これを機に上様の御意向で尾張の変わらぬ尊皇と朝貢の確約がほしいのかと」


 尾張と内匠頭殿らを助けとしつつ、重荷を背負わせたくないか。このお方はまことに新たな世のために動いておられるのだな。


「止めぬほうがよいか?」


「内匠頭殿の言葉を借りるならば、銭で済む話は銭で済ませるべきでございます。朝廷の懸念は、これを機に上様のお力と銭で解決するべきかと。地下家の召し抱えが進めば状況も変わるのでございましょう? ならば、今は時を稼ぐべきかと愚考致しまする」


 わしには内匠頭殿が見ておる先が見えぬ。されど、愚か者にも分かることがある。今必要なのは時だ。尾張が、斯波家と織田家が内匠頭らの導きで変わるためのな。そのためには尊氏公二百回忌は上手く使うべきであろう。


 朝廷をいかがするかなどわしの考えが及ぶところではないが、敵とならぬようにしたいと思える。ならば、銭で解決してしまえばいい。あの御仁ならきっとそう考える。


「左様か。ならば、今しばらく成り行きを見守るか。突然、済まなんだな。都や足利をよく知るそなたの考えが聞きたかったのだ」


 恐ろしいお方だ。今ならば、己が力で日ノ本を足利家の下で安寧に導けるのではあるまいか?


 いや、上様をもってしても太平の世は難しいのか?


 分からぬが、わしはわしの役目をこなすのみ。それしかあるまいな。




Side:久遠一馬


 工業村の清兵衛さんが屋敷にやってきた。見てほしいものがあるらしい。


「これは……」


 うん、どこかで見たことのあるものが目の前にある。鉄で出来た円形の筒だ。オレの知っているものとちょっと違うんだけど。大きさは少し大きい。サッカーボールでも入りそうなほどだ。


「いえね、御家の瓶詰めがございましょう? あれを鉄で作ったらどうなるんだと言うた者がおったので、試しに作ったものになりまする」


 えっと、自力で缶詰を思いついちゃったのね。史実より二百五十年ほど先取りしている。


 エルたちも顔を見合わせて驚き、興味深げに見ているほどだ。


「利点は落としても割れぬことでございます。硝子にしろ焼き物にしろ、割れやすくて大変でございますので。硝子よりは値が安くなると思いまする。ただし、これが使えるかはまだ分かりませぬ。試作したばかりでございますので」


 硝子製品はそこまで供給していないこともあって、値が全然下がらないからなぁ。鉄のほうが安いんだよね。理由は単純に職人不足と優先順位からだ。


 工業村内に工房をつくったものの、未だ試行錯誤と技術習得が中心だ。硝子製品は一種の贅沢品だからね。鉄や木材のように必要な品でない分だけ、今のところは大量生産まで視野に入れていない。


 工業村製缶詰に関して史実と違うところは、容器の材質も違うものがあり、容器と蓋の接合部分を蝋で密封したものや、ゴムを緩衝材のようにしてきつく縛ったものなど、試行錯誤の過程であると分かるものが多いことだろうか。


「これどのくらい保存するように使えたらいいと考えたの?」


「まずは一月もてばいいと思うております。船に積む食べ物と信濃や甲斐に運ぶのに使えれば十分でございますので。無論、いずれは一年。それだけもてば、御家のように食材を長く蓄えられると思いました」


 学校と牧場で瓶詰めに関して教わって、同じように使えないかと試しているらしい。


「一か月でも違うよね。荷を運ぶなら楽になる。ただこれさ、実はウチの本領でも試しているものなんだよね」


「やはりそうでございましたかぁ。我らも船の荷として運ぶことを第一と考えましたので……」


 清兵衛さんは少し誇らしげにしつつ、納得の表情をしている。ウチでも試しているものを、自分たちも自力で思い付き試しているという状況が嬉しく誇らしいのだろう。


 瓶詰め、輸送中に割れるものがたまにあるんだよね。最初の頃はそれで責を負わねばならぬとか言い出す人がいて騒動になったほどだ。


 殺菌する方法を教えると使えるんじゃないかなぁ。さらに長期保存なんて考えないで、四季折々の作物を保存することと輸送することとして考えるならいける気もする。


 極論を言うと、鉄の箱としてある程度密封出来るのなら火薬の保管とかにも使える可能性はあるし。


 船だと重量の問題もあるから、瓶詰めより缶詰のほうがいいんだよね。


「こっちの状況は後日教えるけど、清兵衛殿たちのほうはそのまま進めて。どっちがいいか分からないから、とりあえずいろいろ試したほうがいいし」


「畏まりました」


 工業村は相変わらずだなぁ。結果は問わず、いろいろ試しているんだ。中には駄目だったという報告も多い。こういう失敗例が後で役に立つこともあるので、情報の共有と報告は頼んである。


 そもそもオレたちが知る知識は過程と結果が中心だ。失敗例などを事細かに把握してあるわけではない。缶詰などのようなシンプルなものは特に。


 そういう意味では工業村の試行錯誤って、実はオレたちとしても貴重なサンプルなんだよね。


 完全に日本一の職人集団となったなぁ、工業村。実情が知られたら畿内の職人や既得権がある者たちが卒倒しそうだ。例によって工業村の情報は口外厳禁にしているので漏れてないけど。


 知多半島の作物もそうだけどこの時代、漏らすなと厳命したらほんと漏れない。おかげで格差が恐ろしいほど広がっている。


 頼もしい限りだ。




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