第1763話・牧場にて

Side:久遠一馬


 春の農作業が始まった。田起こしなどは大変な作業だ。ただし、尾張では牛や馬を用いることも多い。


 豊かになるに従って、牛や馬も増えているしね。農具もふんだんに鉄を使った、元の世界と同じような道具が今では当たり前になった。去年の武芸大会にて藤吉郎君が足踏み式脱穀機を出品していたけど、尾張では農作業の効率化は切実な問題になっている。


「うんしょ、うんしょ」


 張り切る子供たちの姿が微笑ましい。今日は、オレも牧場の農作業をしている。牧場では輪栽式農業をしているので、毎年畑の場所が変わるんだ。今年の畑をみんなで耕す。


 牧場村の領民や孤児院の子供たち、ウチの子供とか家臣も総出だ。


 余談だが、織田家の体制が変わり領地制でなくなったことで、尾張では半士半農というような武士はほとんどいなくなった。今では田んぼに入らない武士もいる。ただ、それでも自分で田んぼを持ったり、一族の田んぼに手伝いに行ったりする武士も結構多い。


 自分で食べる米は作りたいという人もいるし、それが原点であり代々してきたことだからと継続している人もいる。


 変わることを望みつつも変えたくないこともある。人というのは複雑なんだなと思い知らされたことでもある。


 ああ、今日は織田と斯波の一族の子供たちもいるね。みんなで農業体験なんだ。信秀さんも信長さんも、身分が上がっても暮らしを変えたくないらしい。


 オレが言えることじゃないけど。子供たちは野山を駆けるくらいでいいと思っているようでもある。


「かじゅ、たねまくの?」


「若様、今日はまだ種まきはしませんね。たくさん実るように土をつくるんですよ」


 吉法師君は今日も元気だ。ウチに来ると、ほんとそこらの子供と同じように遊ぶからなぁ。農作業も毎年しているので、ある程度のことは覚えているくらいだ。


 種を蒔いて作物を育てる。必要なことだけど、教育としてもいいんだよね。ほんと。


「ああ、駄目ですよ。遊んでは」


 ふふふ、あっちではお市ちゃんが年少組の指導をしている。みんな、いつの間にか成長しているなぁ。


 オレも最初は畑仕事なんて出来ずに下手だとすら言われたんだけどね。何年かしているからか、それなりに慣れた。


 今年からは美濃・三河・伊勢の一部でも、トウモロコシやトマトなどの作物を植えていく予定だ。特にトウモロコシは、元の世界では世界三大穀物のひとつに挙げられたほどだ。田んぼが作れない山間部でも育てやすいので、今後は普及させていくべきだろう。


 今のところは味よりも育てやすさを優先した品種になるけどね。牧場村とか知多半島では味もいいスイートコーンを育ててもいるけど、あとは生産性と保存性を優先した品種の予定だ。


 牧場と知多半島、それと山の村で何年か栽培してテストも済ませてある。美濃はすでに稼働している牧場が中心になるだろうし、三河も東三河の丘陵地帯に建設している牧場が完成次第、そこから広めていくことになる。


 あと、遠からず北畠と六角にも栽培を頼むことになるだろう。すでに大根栽培を両家に解禁した成果が大きいというのが理由にある。食糧事情の改善という喫緊の課題があったとはいえ、大根を両家に早期に栽培してもらった影響は大きかった。


 この件で両家の人たちの反応もだいぶ変わったんだ。技術や知識、共通することだけど、独占すると利益は大きいものの、心理的な抵抗や恐れを抱かせる可能性が高まる。


 正直、織田家はもう一人勝ち状態になっているので、これからは同盟国を含めていかに利益を与え共有していくかを考える時期だ。


 無論、少し前までは隣村でさえ敵だった人たちだ。家中にも余所に出して大丈夫なのかという声はある。それを解きほぐしているのは、他ならぬ北畠と六角の皆さんだ。


 一番影響が大きいのは、やはり晴具さんだろう。自ら蟹江に居を移して学校に通うことすらあるからな。蟹江の大御所様といえば尾張で知らぬ者はいないし、都の公家衆にも引かない人だと尾張では噂になっているほどだ。


 行啓・御幸の際には、陰に日向にと助けを出していた姿を見た人は多い。


 具教さんもまた家督継承後は忙しくなったものの、それまでは尾張に度々来ていたし、偶発的に居合わせた時に病院で急患を助けてくれたこともある。


 六角は蒲生さんたちが何度も訪れて尾張を学び交流を深めているし、北近江と北伊勢で協調出来たことが信頼につながっている。


 実のところ、この時代だと同盟は血縁ありきなんだよね。血の繋がりと戦略的な利益で同盟が成立していく。


 斯波、織田、北畠、六角も同じといえば同じなんだけど。どちらかというと経済的な利益による同盟強化が進んでいる形か。


 これ理解しているの、ほんと限られた人だけになるけど。


「おお、やっておるの」


 そのままみんなで作業をしてお昼にしようという頃、噂をすればというわけではないが、晴具さんが訪ねてきた。どうも学校で、今日はオレたちが畑仕事をしていると聞きつけて来たみたい。


 着替えるまでお待ちいただこうと思ったんだけど、それには及ばないというのでそのまま孤児院に入ってこられた。


「申し訳ございません。こんな姿で……」


 農作業をしているんだ。晴具さんを出迎えるような恰好ではない。ただ、晴具さんは気にしていないけどね。


「これは大御所様。お久しゅうございます」


「宗滴殿か。息災そうでなによりじゃの」


 共に農作業をしていた宗滴さんもちょっと驚きつつ姿勢を正して出迎えた。この二人、そこまで接点があるわけではない。織田家の宴や茶会で会うか、ウチの島に行った時に一緒だったくらいだ。


「療養中の身には過ぎたる配慮を頂いております故に」


「城と領地を出ての療養か。悪うないことだと思うわ。城におれば要らぬ心労もあろうが、ここではそれもあるまい。朝倉殿も安堵しておろう」


 宗滴さん、ウチの客分であることに変わりはないけど。普段はほんと子供たちと一緒にいることが多いからなぁ。初対面の頃と比べると穏やかになったと思う。


 心労というなら確かに少ないだろうね。外の情報を遮断まではしていないものの、尾張で宗滴さんの心労になりそうなことはあまりないし。


「ほう、これは美味そうじゃの」


 狙ってきたわけではないと思うけど、晴具さんもお昼を一緒にどうかと誘うと喜んでくれた。学校でも他の人と一緒にお昼を食べているからなぁ。いろんな人の素直な話が聞けて楽しいんだそうだ。


 特になにかをお願いしたこともないんだけど。尾張の様子から公式と非公式の使い分けを上手く学んだらしいね。


 聞こえのいい側近の話だけを聞くより面白いことは事実だろうし。


 みんなで作物の実りを楽しみにする話などで盛り上がる。晴具さんはそんなウチの様子を楽しげに見つつ、時折会話に参加して和やかな昼食となったね。



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