第1762話・春を迎える前に

Side:六角義賢


「やはり寺社か」


「はっ、尾張の真似事をしておると騒ぐ者もおりまする」


 わしと宿老らで一族の所領をまとめ俸禄とするべく動いておるが、さっそく騒ぐ者が現れたか。


「ただ、騒ぐ以上はしておりませぬ。俸禄に異を唱える者が通じておると思われまするが、下手に動いて織田に商いを止められると寺社とて困る故に。堺や伊勢無量寿院の顚末は周知の事実。御屋形様が尾張に助力を求めることもあり得ると理解しておる由」


「ならば捨ておけ」


 ああ、すでに領内の寺社を抑えることですら、尾張の助けがあるようなものか。同盟という体裁がおかしく感じるわ。


「織田銀行の件は気付いておるか?」


「まさか。それはあり得ぬかと。気付いた時には手遅れでございましょう。もう少し申せば、気付いたところで手の打ちようがございませぬ」


 家中と所領を変えるべく、尾張からさらなる助けが入るのだが。坊主どもにすら気付かれておらぬとは。


「叡山が気になるが……」


「多少のことでは動かぬかと。末寺からの上納が続く限り、叡山としても悪うありませぬ。織田家は新たな治世において、領内の変われぬ寺社の面倒まで見ておりまする。敵に回すほどの利はございませぬ故」


 こちらとしても覚悟を示して入念に話をしておる。その分だけ、尾張も動いてくれるか。まことに日ノ本を変える気なのだと改めて思うわ。


 その気になれば、兵を挙げずとも近江を制することも出来るのではあるまいか?


「ならばよいか。早う、一族を俸禄に変えねばならぬ」


 これ以上、出遅れてなるものか。わしは近江六角家の当主ぞ。お膳立てしてもらいながら出遅れるなど許されぬのだ。


「家中の者も動くか迷う者が増えておりまする。織田と戦えぬことは、流石に皆も理解しておる故に。織田は味方と従う者に寛大なれば……」


 皆に尾張を見せた甲斐があったか。尾張に行く機会があるたびに、供として連れ立ったこともある。あとは甲賀が上手くいったことが大きいな。昨今では暇な者は尾張に働きに出てしまい、田仕事が忙しい時だけ戻る者も増えたとか。


「変わる策があるならば一考の余地があるのだがな」


「難しゅうございます。少なくとも所領が争いを生む事実が変わる策などないかと。あるならば内匠頭殿がすでに言うておるはず」


 であろうな。俸禄はなにも久遠の利になることではない。日ノ本の外に所領がある故、そこまで困らぬとも思えるが、あちらはすべて己が力で治める地。まったく別の苦労があるのだ。


 乱世を鎮めるためとはいえ、己の所領でもない日ノ本にて日々励み、皆が生きていけるように差配をする。あの者にしか出来ぬことだ。


 四月にある尊氏公の二百回忌には内匠頭殿らと会うことになろう。それまでになんとしても形にしたいものだ。




Side:久遠一馬


 春も近いということで、農務の仕事を手伝っている。農務総奉行である勝家さんの担当だけど、正直、この件の差配は毎年難しい。ウチも手伝いつつ評定に上げる案を作るんだ。


 駿河、遠江では、今年から南蛮米を一部で作付けテストする予定だったが、例の騒動の結果、時期尚早ということで延期になりそうだ。


 はっきり言うと駿河、遠江の信頼は落ちたからね。名を上げたのは今川家だけだ。


 もっとも領国単位で物事を見るのは悪いことばかりではない。信濃なんかは、甲斐にだけは負けたくないと頑張っているし。三河も散々苦労をしたからか、遠江には負けたくないと思っている人が多いらしい。


 この時代の楽なところは、平等にやらなくても批判されないことか。無論、なるべく平等にすることが一番いいという前提は変わらない。とはいえだ。良く従うところとそうでないところとでは扱いが自然と変わる。


 今年は信濃で南蛮米のテストが出来る。期待しよう。


「かような形でいかがでございましょうか」


 ああ、河尻さんが持ってきたのは、武芸大会における隠居武士部門の素案だ。雷鳥隊の指導をしているジャクリーヌや政秀さんにも参加してもらって考えたようだ。


「いいと思います。正直、やってみないと分からないところもあるしね」


 この件で難しかったのは隠居の定義と参加資格だったみたい。隠居の年齢が幅広いんだ。四十過ぎから六十や七十とは身体能力には雲泥の差がある。


 また、この部門に出るために早く隠居する者が出てくるのではないかという疑念が拭えず、出場年齢に関して四十五歳を下限にしたとのこと。あとは健康面を考慮して、医師による事前の診察と出場許可を必要とする形も整えたようだ。


「出場する者が多ければ、同じ年頃でまとめるべきだとの意見もございました。ただ、いかほど出てくるか分かりませぬ故」


 同年代、主に四十代、五十代、六十代でそれぞれに分別するいう案をジャクリーヌが提言したようだ。四十代と六十代では後者が不利だということで検討したらしいが、出場者数とスケジュールが不明な段階では時期尚早ということらしいね。


 まあ、この時代、生涯現役と言っていいところもある。特に武士は隠居しても鍛練を怠らない。十分いい試合になるんじゃないかとジュリアが言っていたね。


「それと模擬戦を、春祭りでもやるのはいかがかという献策がありまする」


 あれ、これはオレも聞いていないなぁ。


「いいと思うよ。こういうのは大いに結構なことだね」


 模擬戦、評判がいいんだよねぇ。大会としてではなく、鍛練として各自で人を集めてやっている人もいる。春たちもプロスポーツのように定期開催すれば、将来的に利益を生む興行にもなるんじゃないかって言っていたからな。


「某も先が知れた身故、思うのでございます。歳を取ると若い頃が懐かしゅうなるもの。年寄りに明日を生きろとは言いませぬ。されど、せめて今を生きる場は作ってやりたいと思うところがございます」


「いいね。その手の献策はどんどんもってきて。オレも力になるから」


「ありがとうございまする」


 世の中が変わるのが早い。河尻さんは年配者という立場からそれを案じて支えようとしている。一度は敗者となった者にしか見えないこともあるのかもしれない。


 こういうことは力ある人が動かないと進まないからなぁ。オレが力を貸すことで進むなら安いものだ。


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