第1761話・示すべき姿

Side:武田義信


 今川が家中の愚か者を一挙に捕らえたと騒ぎになっておる。かつて同盟を結んでおった頃もあれば、敵として戦かったこともある相手だ。父上はそれをいかに見ておるのかと思うておったが……。


「見事だ。さすがは治部大輔殿であるな。やはり先を越されたか」


 口惜しそうに語る父上に、典厩叔父上がなにかを言いそうになり言葉を飲み込んだ気がした。


「口だけで大きなことを言う者など、いずこにもおりましょう。家を支えておる者にあまりに冷たいとも言われておりまするが……」


 治部大輔殿の考えも理解出来る。されど、左様な者を従えて導いてこそ主家と言えるのではないのか? 織田の大殿は左様にしておられる故、此度のことで少し噂になっておるのだ。


「武衛様と大殿はよいのだ。御両人は慈悲で人を従えられる。されど、今川は違う。そなたは因縁というものを軽う考えすぎだ。今川にとってもっとも必要なのは、誰が見ても謀叛など起こさぬという証立てになる。駿河者ですら戦もありえると思うのだ。当然、尾張でも同じく見ておる者がおろう。それでは今川に先はない」


 わしを諭すような父上に返す言葉がない。


「もう少し言うならば、治部大輔殿を駿河代官と推挙したのは内匠頭殿と大智殿だという。斯波家と織田家と因縁があった今川にとって、今一番、気を使わねばならぬのは久遠家だ。因縁らしきものがなく、面目を立てる場を与えられるように取り計らってくれたのだからな」


 そこまでせねばならぬのか? 治部大輔殿らが、今更尾張と戦をするなどとても思えぬが。この国は戦で勝てる国ではない。


「そなたは愚かではない。故に分からぬのだ。愚か者のことをな」


 愚か者のことか。ふと、東国一の卑怯者と謗られておると聞いた時のころを思い出す。あの時、わしは面目が潰れた恥ずかしさから怒りを隠せなんだが、今にして思うと父上らも好き好んで左様に呼ばれておったわけではない。


 父上は愚かではないと言うてくれたが、この国で学んでおると、わしは己がいかに愚かで世を知らぬ身であったかを思い知らされる。


「覚えておけ。まことの愚か者は己が愚かと気付かぬ者のこと。故に、此度こたびも己の放言の危うさに気付かぬまま、今川を危ぶませたのだ」


「はっ」


「武田も他人事ではない。端の者にまで教えてやらねばならぬ。二度と卑怯者と言われぬ身となるのだとな。ただ、今川のあとだ。あまり騒ぎを起こすと御家にご迷惑をおかけしてしまう。なんとも難しきことよ」


 臣従すれば安泰というわけではないということか。理由なき冷遇や処罰をされるなど尾張ではないと聞き及ぶが、端の愚か者のせいで家が危ぶむとは。


 戦がなくとも難しきことが多いということか。わしもまだまだ学ばねばならぬな。




Side:久遠一馬


「人とは己の身に降りかからぬと分からぬとみえる。オレも気を引き締めねばなるまいな」


 海祭りの翌日、信長さんと仕事の話ついでに雑談していると、大人しくなった駿河や遠江の水軍衆のことを口にした。


 変わったなと思う。昔なら愚か者と言って終わっただろう。それが今では、なぜ彼らは今回のようなことになったのかを考えられるようになった。こういうのは出来るようで難しいことなんだよね。オレも出来ているか自信ないや。


「まあ、今川家がこのまま争わぬと思うほうが少なかったでしょうね」


 変化、改革の速度。これ実は、オレたちがコントロールしているようで出来ていないところでもある。知識や技術を提供するタイミングはこちらでコントロールしているものの、変化や改革を進めるのは織田家の皆さんだ。


 正直、変わりたい。もっと豊かで安定した形にしたいという意思は、この時代の人の方が強い。そういう意味では、日々上がってくる献策も月日を追うごとに増えている。


 戦で戦わずとも、国を治め、人を従えるのが武士だという価値が尾張では広まりつつあり、武士という固定観念すら変えつつある人も、近頃では珍しくなくなったくらいだ。


 織田家の価値観をこれから調べようとすると、他国や他勢力では理解することすら難しいのではと思う。


 長年対峙していた今川ですら、末端は理解していなかったくらいだからな。


「これで東は落ち着くか?」


「ええ、甲斐が少し遅れていますが、もう大きな騒動はないでしょう」


 駿河・遠江のいいところは、領内の争いが少なかったことで、あまり荒れていないことだ。そこまで豊かな土地とも言えないし、未開発の土地も相応にあるけど。海沿いだし開発次第では国力も伸びる。


 なにより東西を繋ぐ街道は、やはり東海道を主軸として考えるべきだろう。そういう意味ではあの地は開発しやすい。


 手間と負担も大きいけど、領地が広がると選択肢が広がるのも確かだ。そこを生かすのはウチがもっとも得意なことだろう。史実の積み重ねた情報が役に立つ。


「西は面倒事が多いからな。東も、北条はおかしなことをするまいが……」


 信長さんの表情が渋い。畿内との関係は実はそれほど悪くない。義輝さんがいることや、朝廷との関係も表向きは問題なんてないことになっているし。懸念の寺社もウチと尾張の商品のお得意様だからね。


 ただまあ、細々とした情報が入ると、喜んでもいられないんだ。


 オレに対しても、今の帝から天杯を受けておきながらオレ名義の献上がないのは、いかがなものかという陰口なんかが京の都にはある。


 この辺りは義輝さんの奉行衆と朝廷が調整した結果だという事実を知りつつ、そんなことを言う者が寺社や公家にはいる。


 斯波・織田・久遠。ここの関係を理解してない人は多いし、そのうち争うのではと見ている人はもっと多いからね。


「あちらは公方様にお任せでいいとおもいますよ。例の地下家を公方様が使う件も、すぐに人が集まってしまい選んでいるという話ですし」


 公家に関しては動きが分かれている。義輝さんが地下家の者を召し抱える話はすぐに噂で広まったらしく、想定以上に志願者が多いらしい。


 京の都から離れることになるのだろうが、今の義輝さんの権威は先代の頃を超えていて、今生きている人たちにとっては過去最高のものだろう。公家という面目が潰れることなく、生きる糧が手に入ると知って喜んでいる人も多いんだ。


 現実問題として荘園や家業の収入が戻る算段なんかないだろうしね。地下家なんかは、下手すると荘園を管理するノウハウもなくなっているところもあるだろう。


 図書寮と写本の件もある。これらで地下家を活用していけば、今後、畿内に関わっても公家が敵になる可能性は減る。まあ、実際に派遣するには堂上家による人柄などの調査と、各家からどのくらいの人員を出すかなど調整が必要で、今はその最中らしいが。


「それでうまくいくならばよいのだがな」


 上皇陛下の元極﨟殿のせいだろうね。尾張では京の都にいる公家の評価が微妙なんだ。信長さんも、また新しい面倒事を起こすのではと警戒しているっぽいね。


 義輝さんが味方なので、必要となるとこちらの事情に関わらず兵を出さなきゃならなくなるからなぁ。そこは義輝さんが味方になっているデメリットでもある。


 メリットはもっと大きいから、誰も口にしないけどね。



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