第1754話・奥羽評定
Side:久遠一馬
駿河が騒がしいが、尾張は落ち着いている。末端の騒動とかよくあることだからね。今川はどうしても過去の因縁から目立つけど、甲斐・信濃・飛騨と比べると大人しいほうだ。
一部には義元さんを警戒する声もあるし、駿河の諸衆に対する疑惑の目と信頼度は確実に落ちたけど。まあ、これは当然のもので気にするほどじゃない。
清洲城では仕事がいくらでもある。例えば、年末に帰国していた六角と北畠家の皆さんが再び来る前に、両家が銀行口座を作ることに関する準備がいる。表向きの説明や使い方はもちろん、裏の事情である悪銭鐚銭の回収など、公式記録に残せない決め事もきちんと決めておく必要があるんだ。
それに、奥羽もいろいろと大変なんだよなぁ。
「うーん。稗を増やすしかないんだけど……」
季代子たちはまだ尾張にいて、今日は評定に出席して議論をしている。細かい打ち合わせが済み次第、奥羽に行くことになるけど、それが大変なんだよね。
人口が少ない。インフラもない。寒冷地で日本海側は雪が深い。夏場でさえ『やませ』という冷たい北東の風で農作物が影響を受ける。
すぐに出来るのは、寒冷地に適している稗を増産するしかないけど、これもそこまで生産性がいいわけじゃない。開拓ったって簡単じゃない。あっちには奥羽山脈が列島の真ん中にあるし。
経済以前の問題だ。安定的な食糧生産がネックになっている。
無論、寒冷地向けの稲や作物も試験栽培を蝦夷で終えているし、じゃがいもこと馬鈴薯もある。ただ、そういう新しい試みを始めるほど現地を従えていない。長らく大きな争いもなく、余所者を喜ぶような地域でもない。
はっきり言うと、ウチでなければ現状維持で放置するしかない土地だろう。
「領境には由利十二頭と高水寺の斯波家などもいるわ」
それと奥羽全体をそろそろきちんと把握しておく必要がある。
出羽においては由利十二頭。土豪集団だ。織田家奥羽衆である安東家や、近隣にいる最上、小野寺、大宝寺などの勢力の影響を受けつつ土豪同士が争う面倒な地域。
陸奥北部、いわゆる太平洋側には、南部家と争っていた高水寺斯波家と同盟を結ぶ家がいくつかある。
高水寺の斯波は、今のところ争う気はないらしい。ただ、こちらとの格差や政の違いを現実のものとして受け止めたのは割と最近だ。昨年末に清洲に使者が来ていたらしく、説明して戻った段階だからな。
臣従を求めるのか、独立したまま配慮を期待して生きるのか。下手すると更に南にある伊達あたりが臣従の邪魔をすることも考えられるし。流動的だろう。同盟を結んでいる相手がどうするかも分からない。
評定衆の皆さんは、季代子たち四人と浪岡さんたち奥羽衆から説明を受けるものの、反応はいまいちだ。過疎地とはいえ、まとめないと先々に憂いとなるのは承知のことだけど、古より続く歴史があって今がある。
旧来の価値観と方法で新しい統治や試みが簡単に出来るなら、誰かがやっているだろう。良策なんてすぐに見つからないし、悩むしかないことも多い。
「高水寺や最上は多少なりとも縁はあるが、従わぬというなら今のままでよい。必要とあらば頭を下げよう。あまり過ぎたる配慮をして勘違いをさせるな。もし戦にするというならば、季代子、そなたの一存で好きにしても良い。一切任せよう」
最近の評定ではもっとも停滞した議論を締めたのは義統さんだった。
最後の懸念というか、奥羽には斯波と縁があるところがちらほらとある。そこは基本的に義統さんの許可を得た動きになっているんだけど、事実上の全権委任をくれたようだ。
「はい、畏まりましてございます」
「奥羽衆、わしと弾正は失態や間違いは許そう。ただし噓偽りと裏切りは許さぬ。季代子ら四人の言葉はわしと弾正の言葉と心得よ」
「ははっ!」
義統さんの強い言葉に、数人の奥羽衆が驚いた顔をした。
義統さん、オレたちの苦労に少し同情している感じもあるからなぁ。名門、名家。これに対する冷めた思いが一番強いのは相変わらずだ。
人が増えたことで勝手をする者が出るのではと、先日には季代子たちに直接心配の言葉をかけてくれている。信秀さんからも、駄目なら領地を放棄してもいいとさえ言われているんだ。
言い方が悪いけど、日本海航路と、蝦夷や樺太や大蝦夷など、ウチの北方領土との輸送路さえ確保したらあとは急ぐ必要がないとさえ思ってくれている。
奥羽進出は成り行きという一面があるけど、一方では蝦夷を平定したことで、流通を増やすとウチが楽になるからという配慮で力を入れているところも大きい。
奥羽を食える土地にというのは目標だけど、人命や奥羽の都合を重んじているわけではなく、あくまでも日ノ本全体を見て変えていこうというだけだからね。
奥羽衆、彼らは初めての定例評定を見てどう思ったんだろう? なるべく正確な情報で割と細かいところまでみんなが議論をしているからね。驚いたかもしれない。
季代子たちは少し心配なんだけどなぁ。まあ、信じるしかない。
Side:浪岡具統
思うた通りか。いや、それ以上と見るべきじゃの。
斯波一門の扱いでさえ一任してしまわれた。大殿と内匠頭殿が清洲を制するまで苦境にあった故、それまで助けも出さず軽んじた者らに対しては冷たいと聞いたが、その通りかもしれぬ。
離れた一族一門より身近な家臣。まあ心情は察する。あまり
尾張は面白いの。斯波、織田、久遠が各々で力を持ち、互いに疑心もなくまとまっておる。表に出ぬところでは争うておるのかとも思うたが、北畠家で見聞きした話とわしが直に見た様子ではそれもないの。
朝廷、武家、寺社。これらが本来ならば、この三家のように各々で力を持ちつつ助け合い日ノ本を盛り立てる。それが古の先人が願った形ではと思えてならぬ。
分国法も政も、律令や御成敗式目を基にしておるように見せつつ中身は違うことも多い。ここまで勝手をすれば公方様がいかに思うかと首を傾げたくなるが、肝心の公方様は近江にて政をしつつ、近江・尾張・伊勢の動きをむしろ認めておるのだから信じられぬほどよ。
東国統一。これはいずれはという夢ではない。近しいうちに成せる事柄だ。
高水寺や領地を接する者らがいかに思うか察するところもあるが、よほど愚かか覚悟が出来ねば戦えまい。
南部殿は尾張から兵が来ることを真剣に考えたというが、あれは正しい。武衛様と大殿の様子とお言葉から推察すると、間違いなく兵を出す。久遠が苦境に陥って助けぬという道はないのだ。この国には。
悪うないの。季代子殿らは確かにこの国の中心におる。浪岡家が従うに足る存在だ。共に奥羽を制するのがわしにとって立身出世の近道。
もっとも容易いとは思えぬがな。出来ぬとも思えぬ。織田の評定衆も同じとお見受けする。なれば、やるしかあるまい。
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