第1753話・難しさ

Side:今川義元


 ふと雪斎がいつも座っておった場に目が行く。


 人とは、わしが思うより愚かであったのかもしれぬの。次から次へと参る者らの相手をしつつそう思うた。


 斯波家と織田家と争えと囁く愚か者を捨てただけだというのに。許しを請えば済むと思うておる者。わしの本意がいずこにあるか探らんとする者。はたまたわしに説法をする如く上から話す坊主などばかりじゃ。


「御屋形様、少し休まれては?」


「よい、さっさと終わらせねばならぬ」


 案ずるような近習と朝比奈備中守泰能の顔に、わしは気を引き締める。こやつらに気を許しておらぬのではない。されど、今は強き当主であらねばならぬからの。


「致し方ないことでありまするが、尾張への不満が多いようでございますな」


「慈悲を理解せぬ愚か者は救えぬわ」


 家中から愚か者が出なんだことが、幸いであったな。朝比奈や岡部らはようやっておる。されど雪斎がおらなくなったことで、寺社の端の者などへ目が届かなくなった。


 謀叛を嫌うなら謀叛を起こせぬ体制がいるとは、内匠頭殿の言葉と聞いたが。道理じゃの。寺社に厳しい織田の訳がよう分かる。


「御屋形様、また目通りを願う者が……」


「通せ」


 来たの。明らかに不満げな愚か者が。


「何故かようなことを許されるのかお教え願いたい! 皆、今川を支えておった者たちでございますぞ!!」


 八十か? いや、もっといっておるの。されど、本来ならば目通りを許さぬほど粗末な寺の坊主が何様のつもりじゃ?


「存じておるわ。故に、一度は織田家に降れるようにしてやったであろうが。それで義理を果たした。わしはもうこの地の代官でしかない。謀叛を企む者がおれば、知らせて当然。なにが間違うておるのだ?」


 信じられぬ。言わずとも、左様に顔に書いてあるわ。


「この国を尾張如きにまことに売り渡したのか!」


「己が口を出すことでないわ。無礼者め。下がれ。さもなくば、己も謀叛の罪で捕えるぞ」


 こやつの頭の中は、いつで止まっておるのであろうかの。せめてもの情けだと、会うて説き伏せてやっておるというのに。


 雪斎に師事しておったことで、坊主が言えばありがたがるとでも思うたか?


 ああ、乱世の責めは坊主にもあり。こやつらには特に甘い顔は出来ぬ。やれるものならば蜂起するがいい。わしの首と引き換えにしても叩き潰してくれるわ。




Side:朝比奈泰能


「何故じゃー!!」


「御屋形様にお取次ぎを! お取次ぎを!!」


 牢から聞こえる声が外にまで漏れておるわ。周囲を固める牢番もその声に眉をひそめる。


 日夜騒いでおり、いくら止めろと命じても聞かぬとか。もう首を刎ねてしまうべきかと上申されたことでわしが出向いてきたのだ。


「入られぬほうがよいと思うが。錯乱しておる者もおりまする」


 牢番に止められるが、許しは得ておるというと同情するような顔をした。


「誰かが行かねばなるまい」


 思うところもある。かの者らは今川に尽くさんとしておった者すらおるのだ。もっとも、勝手に動く愚か者など要らぬのだが。さりとてな……。


「備中守様!」


「備中守様だ!!」


「お助けを!」


「我らは今川家の御為にぃ!」


 わしの姿を見た者らは、一斉に騒ぎ声を更に大きくした。


 坊主も商人も等しく罪人とする。織田の恐ろしさをわしでさえも知った。神仏と坊主は別だというのは織田では当たり前のことだとか。


 家臣が静まれと一喝すると、ようやく静まる。


「今川家のためか?」


「そうでございます!」


 皮肉か? その問いだけは皆同じようだ。


「そうか、ならば大人しゅう罪を受け入れ騒ぐな」


 言葉の意味が分からなんだのか、誰もが固まったように動かず声もあげぬ。


「……罪? 今川家の御為に尽くしたのが罪だと申されるのか?」


 ひとりの坊主が言葉を紡いだ。


「雪斎和尚は命を懸けて斯波家と織田家との因縁を終わらせ、御屋形様が頭を下げられたことで、今川家は面目あるまま残れたのだ。そなたらはそれを潰し、今川家を滅ぼそうとした大罪人だ。織田と戦いたくば、己の名と力でやればよかったものを」


 覚悟が違う。雪斎和尚の覚悟を知ればこそ、この者らの忠義とやらがいかに己の都合しか考えぬ方便であるか分かる。


「臣従から年月も経ずに織田と争うだと? そなたらの妄言がいかに御屋形様を苦しめ、今川家を危ぶめたか分からぬのか? ましてだ。そなたらが織田の下でも生きていけるようにと、いかほどの者らが頭を下げておったと思うのだ?」


 根切りにするわけにもいくまいと動いておった者もおる。頭を下げねば許せぬであろうと、幾度も関わる者らのところに出向き謝罪した者もな。こやつらは皆の面目を潰した。


 堺のように未だに許されぬ者がいる中、許されたことを感謝もせず、織田と戦えなどと騒ぐとは愚かとしか言いようがない。


「戦えば勝てまする! かつてのように!! 再び斯波義統を捕らえてしまえばよいのです!」


 ……ここまで言うてもまだ分からぬ者がおるのか? 雪斎和尚が案じたわけが分かったわ。なるほど。一度戦を始めると今川家が滅びかねぬというのも道理だ。かような者らが愚かな民を惑わし、武士でさえも勘違いしよう。


「今川の政に、己ら如きが口を出すな! この無礼者どもが!!」


 今すぐに斬り捨ててしまいたい。こやつらは今川にとって害にしかならぬ。清洲の大殿や武衛様の御前になど出せぬ。


 だが、それは許されぬことだ。わしもまた今川の家臣でしかない。織田の命に逆らえぬ。


「よいか! すべては御屋形様の下命である。義を欠くようなことは致さぬ。それが御屋形様の本意である! これ以上騒げば、そなたらと縁ある者すべてが磔獄門送りと心得よ!!」


 それだけ言うと牢を出る。これで騒ぐなら口を塞ぐなりしてしまえばいい。愚か者とはいえ、今川を支えておった者への最後の慈悲だ。


 されど、ようやく分かったな。御屋形様や雪斎和尚の苦しみが。今までお支え出来ず申し訳ないとしか言いようがない。


 戦えぬ苦しみを誰よりも抱えておられたというのに。


「ありがとうございまする。あとはお任せを」


「すまぬな」


 牢番に後を託してわしは役目に戻る。


 新たな世に今川家を残す。


 そのためには今しばらく励まねばならぬのだ。



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