第1750話・次世代の子

活動報告にてカクヨム様での説明を記載しました。ご覧ください。



◆◆





Side:松平広忠


 竹千代も元服か。月日が過ぎるのは早いものだ。


「よい顔付きだ」


 楽しげな織田の若殿に家臣らも少し驚いておる。公の場でかような顔をされるのは珍しいからであろうか。


「はい。あれから時が過ぎましたね。鷹狩りの供として連れ出してくださった日が昨日のように思い出されます」


 竹千代もまた嬉しそうだ。


 若殿が竹千代を近習にされたと聞いた時は、松平を取り込む策かと思うた。それは間違いではあるまい。されど、松平が従わぬままであっても待遇を変えなんだ。このお方を皆が信じる理由のひとつであろう。


「かずも来たかったようだがな。オレと揃うと騒ぎになる。済まぬな」


「いえ、そのお言葉だけで十分でございます。内匠頭殿の心中はお察ししております」


 いかなるわけであろうか。竹千代は久遠家の皆々様にも良くして頂いている。鷹狩りや宴、牧場での収穫など、いろいろとお声がけが昔からあったという。


 確かに此度も内匠頭殿自ら来ようとしておられたが、若殿と揃うと今後困ることになる。今の織田は家臣も多く、若殿と内匠頭殿が揃って元服を祝いに来るなど滅多にないからな。竹千代の祝いに来て、他に行かねば不満を持たれ根に持つ者もおろう。


 驚くべきは竹千代の烏帽子親か。若殿が自ら烏帽子親になってくださるという。


「松平長親ながちかか。良い名だ」


「ありがとうございます」


 主従であることには変わりないが、若殿と竹千代は馬が合うようだ。


 名についてだが、若殿から長の字を頂けるということで、高祖父の名から長親とした。これで松平も安泰であろう。


 わしにはこの先いかになるか分からぬ。されど、二度とかつてのような日々には戻るまい。尾張どころではない。三河も変わった。


 矢作川の氾濫の際に尾張や美濃の者が必死に助けたこと。縁もない地の民のために、泥にまみれて働く内匠頭殿と奥方衆の姿がすべてを変えたのだ。


 矢作川流域の者は、今でもその話を語り継いでおる。


 あの地は名門とゆかりの者も多いが、すべてが霞むほど民は織田に心寄せて新たな領主を喜んだ。


 竹千代に領地を残せなんだが。これで良かったのであろうとわしも思う。一族家臣に命を狙われ、常に心休まらぬような身分など不要であろう。


 そう、すべては過ぎたことだ。二度と戻らぬ夢幻の彼方のこと。




Side:松平長親(竹千代)


 岡崎の城の日々は、正直、あまり覚えていない。僅かながら父や母、傅役や乳母の顔を覚えておるくらいだ。


 織田と今川との争いの最中、私は尾張にいた。事情を聞いた時には、すでに父と母がおったこともあり、あまり気にする気になれなんだ。


 いかなるわけか、若殿や内匠頭殿たちは私に優しかった。そこに松平を取り込む思惑がないとは言わぬが、それ以上であったのは私が一番知っている。


 学校では久遠家の知恵すら学ぶことを許され、海水浴や野営にも幾度も連れていってくださった。内匠頭殿とは共に風呂に入り、背中を流してくださったことすらあるのだ。


 何故であろうかと思ったこともあるが、内匠頭殿にとってはそれが当然のことであるのは今なら理解している。


「そうだ。エルから預かり物があるのだ。そなたの好物を作ってくれたぞ」


「ああ、なんと!?」


 若殿が持参した重箱を開けてみると思わず目頭が熱くなる。今では尾張で珍しくないがあの頃は珍しかった大野煮や、大智殿の手作りの玉子焼き、鶏の唐揚げなどもある。


「竹千代?」


「申し訳ございません。晴れの日だというのに……」


 堪えきれぬ涙が、はらりはらりと流れるのは、何故出たのであろうか。私にも分からぬ。分からぬが止められぬのだ。


「若殿、申し訳ございませぬ」


「よい。喜びも哀しみもすべて人なればこそあるもの。エルも、竹千代が泣くほど喜んだと教えると作った甲斐があると喜ぼう」


 代わりに父上が若殿に謝罪をしてくださるが、若殿は変わらぬ。まだここまで織田が大きくなる前に、久遠家の屋敷で皆が騒いでいた頃のままだ。


 私は理解していた。このお方がたはいずれ大きくなり、この世を動かすだろうと。底知れぬ凄さがありつつ、どこまでも人としての在り方をお教え導いてくださったのだ。


「竹千代。いや、次郎三郎長親。泣くのはいい。されど、命だけは粗末にするな。それだけは許さぬ。なにがあろうともな」


「……はい。その主命、必ずや守り通してご覧に入れましょう」


 元服して初めての主命。私はこれを守らねばならぬ。若殿と内匠頭殿が目指す世の初めの一歩なのだ。


「また、かずやエルと鷹狩りに行くか。近頃は城勤めばかりだからな」


 若殿と内匠頭殿は、これからも皆を導くために変わり進んでいかれるのだろう。


 ただ、その御心はあの頃と変わらぬままだ。


 私は、少しでも左様な皆様を助けたい。ただ、それだけでいい。




◆◆

 永禄三年、幼名竹千代こと、松平長親が元服をしている。


 烏帽子親は織田信長であり、当時、驚く声が織田家中にあったという記録もある。


 今川と織田の狭間で翻弄された松平家だが、竹千代は信長や久遠一馬らに気に入られ、母である於大と一緒に暮らせるように取り計らわれるなど、穏やかな幼少期を過ごしている。


 元服の際に信長が、大智の方こと久遠エルの手作り料理を持参すると、感極まって涙を流したという話が残っており、長親と信長や久遠家との交流の深さを物語っている。


 親子兄弟であっても別居して暮らすことが当然で、争い殺し合うことが珍しくない世において長親の幼少期は恵まれていた。


 久遠家の改革を間近で見て、天竺の方こと久遠アーシャなどの教育を受けた長親は、織田家の新たな世代の申し子と言える存在で、その後の織田家と日ノ本に欠かせぬ人物となっている。



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