第1749話・今川家の夜明け

活動報告にてカクヨム様での説明を記載しました。ご覧ください。



◆◆





Side:岡部親綱


 雪斎か。政から退いてもなお、御屋形様をお守りしておるのかもしれぬの。


 戦わぬ道を選ぶことで守れることもある。理として理解はしても、容易く出来ることではない。佐久間殿の下を辞して改めて働きを理解したわ。


 にしても……、織田の政とはなんと難しきことか。民の暮らしどころか、寺社にまで目を配る。よくまあ、従うようになったなと感心する。


 飢えさせずに国を治める。口先だけではない。田畑の収量を増やす方策を進め、銭・米・雑穀・塩など、暮らしに必要な品は値が大きく変わらぬように差配する。


 さらに銭の流れと扱いまで新しくしてしまうとは。


 勝てるわけがない。万が一、大殿や内匠頭殿の首でも取ろうものなら、駿河は怒り狂った織田の民に根切りにされる。


 もっとも、もう戦うことはあるまいがな。


 先に臣従をした斎藤山城守殿など、そろそろ歳も歳だからと隠居を申し出たものの引き留められたという。おかげで家督を譲りつつ美濃代官を続けておるのだ。


 かつて蝮と蔑まれ、謀叛人とまで言われた男の末の姿だ。当人は面目も保ち、倅の新九郎殿は総奉行のひとりとして斎藤家は安泰であろう。


 今川家とて御屋形様は隠居をするつもりであったが、引き留められた。家老衆の話では、内匠頭殿と大智殿が特に強く御屋形様を駿河代官としたいと推しておったとか。


 因縁とは言わぬが、随分と内匠頭殿の商いを邪魔しておったと思うたのだがな。聞けば、それもまた雪斎和尚が取りなしたのだという。


 あとは我らが励まねばならぬな。未だに不満を燻らせておる水軍衆もおる。気を引き締めねばならぬ。まあ、例の処罰が終わればまた風向きも変わるのであろうが。


「しかし、この歳で銭の使い方を学ぶとはな」


「商人の言い値は望ましくない。その代わりに品物の値と量を確かと整え、徳政令は出さぬというのでございますからな。商いに精通した内匠頭殿なればこその方策かと」


 共に参った御家の者らも戸惑うておるが、理解するとなるほどと思うか。


 かつての日々も悪うなかった。とはいえ戻ることはあるまい。公卿が遥か彼方の世を懐かしみ、いつか再び左様な世が来ぬかと嘆くようなことだけはしとうない。


 まずは御家の者らに銀行について確と理解させねばならぬな。


 素直に聞けばいいのだがな。異を唱える者もおろう。理解はする。


 されど、意地を張るなら己と一族郎党の命を懸ける覚悟がいる。それすら持ち合わせておらぬことが嘆かわしい。




Side:今川義元


 年始に清洲に出向かぬことで、勘違いした愚か者らが再び挨拶に参った。哀れに思えてくるわ。


「では、清洲の大殿はあまりお怒りではないと?」


「そうじゃの。わしに一任すると書状が届いておる」


 家臣らも驚いておるわ。大殿の怒りを賜るのかと戦々恐々としておった者が少なからずおる。


 ところがだ。清洲の様子は驚くほど静かじゃ。懸念した内匠頭殿も、この件はあまり重きを置いておらぬらしい。むしろ武衛様がわしの立場を慮って、好きにやらせたらよいとおっしゃっていただいたとか。


「かの者らのやり方もまた、今まではようあることでございますからなぁ」


「今はよいのだ。だが後に憂いを残してなんとする。代替わりの際に始末されてはかなわぬ」


 常ならば戦場で武功を挙げて忠心を示すところなれど、織田は戦そのものを変えてしまいその機会もない。ならば政で功を挙げねばならぬ。


 それに、知れば知るほど織田の治世は巧みだ。覆すより、その中で残り成り上がるほうが今川の利になる。


「武官と警備兵の支度はいかがなっておられる?」


「いつでも構いませぬ」


「右に同じでございまする」


 織田の治世において武官と警備兵は代官の配下にあらず。共に今川の家臣ではない。将らは与力と変わらぬようにわしに配慮をしておるが、わしもまた配慮を欠かせぬ相手よ。


「一切任せる。よろしくお頼み申す。無論、皆も心して掛かるのじゃ。名門今川家が不義理を働き、謀叛を起こそうとしたなどと思われては末代までの恥。朝比奈備中守、確と頼んだぞ」


「ははっ!」


 ようやく見え始めた乱世の先だ。わしがそれを潰すようなことをすれば、恥では済まぬ。懸念は消えてもらう。今川のためにな。


 愚か者の捕縛は武官と警備兵に任せる。今川家からは朝比奈備中を出せばよい。わしに左様な功は要らぬ。すべては織田の政と分国法として裁くのだ。さすれば、二度とかような者らが出るまい。




 皆が下がると、一足遅れて富士浅間神社の富士兵部少輔が参った。


「御屋形様、遅くなり申し訳ございませぬ」


「伊豆はいかがなっておる?」


 領内の懸念を片付ける前に、念のため隣国の伊豆の様子も確かめておかねばならぬ。織田臣従以前から久遠と商いをしておる兵部少輔に探らせておったのだ。


「はっ、静かなものでございます。北条も伊豆の諸勢力も、織田と争うのは望んでおりませぬ。伊豆諸島神津島、あそこが利いておりまするな。我ら今川にとってもあそこが胆でございましたが、それは伊豆にとっても同じことかと」


 かような離島であっても豊かになれるという夢を見せつつ、いざ争いとなればあの島を用いて織田と久遠の海軍が攻めてくる。くれてやったのは氏康だと聞き及ぶが、北条はまことに織田に降ることも厭わぬということか。


 ならば、この一件が伊豆に広がることはないな。松の内が明けたら一気に終わらせるか。


 信濃はすでに織田の地となり、甲斐や駿河だけには負けじと励んでおると聞く。負けてはおられぬのだ。ましてあちらは久遠家の奥方が代官じゃ。こちらも気を引き締めて掛からねば出遅れてしまう。


「これでようやく落ち着くの」


「はっ、はしたの者も理解致しましょう。今の世と御屋形様の御覚悟を」


 敵は斯波と織田にあらず。己の足元にあり。


 わしは問われておるのじゃ。今の世のままでよいのか? 明日をいかがするのかとな。


 織田以上の明日が見えるのならば立ち上がるのもあるかもしれぬ。されど、わしには見えぬ。我が師雪斎ですら見えぬのだ。無理からぬこと。


 なれば、道はおのずと見えてくる。


 そう、見えてくるのだ。




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