第1720話・久遠家の新人

Side:元遊女屋の主人


 天地がひっくり返るとは、かようなことなのだろうか?


 明日をも知れぬ身のはずが、仕官が叶い、安堵しておった。ところが、わしはとんでもないお方に仕官してしもうたらしい。


 御家に仕官をしたい者はいくらでもいるが、仕官が叶う者は滅多におらず、そのうえ殿やお方様がたが仕官を請われたとなると数人しかおらぬという。たちまち噂となってしまったようだ。


「ハハハ、運がいいというのは失礼になるであろうな。そなたの生き方がもたらしたもの。正に己の力で得た身分だ。誇るといい」


 尾張にて周防衆とも大内衆とも称される、周防生まれの者らをまとめておられるという隆光様のところへ挨拶に来たが、事情を話すと笑うてしまわれた。


「正直、畏れ多いばかりでございます」


「案じずともよい。久遠家では皆に教え説きつつ役目を与える。それにわしもおる。困ったことがあれば、いつでも言うてくれ」


 尾張大寧寺。今は亡き大内様を弔うために建立された寺だ。寺の境内では民に学問や武芸を教えておるようで賑やかな声がする。まだ新しい寺だが、ここは何故か山口を思い出す気がする。


「周防はいかがだ?」


「はっ、陶様が討たれたとはいえ、かつての日々が戻る様子もなく。大内様の遺言通りになったと皆が噂しておりました」


 故郷なのだ。今でも忘れることが出来ぬ。されど……、あの国がかつての賑わいに戻ることはもうあるまい。


 残った者は皆が励み、盛り返そうとしたが、陶様も陶様を討った毛利様もあまりご理解されておられぬ。尾張に移り住んだ者たちからの文に、もう無理だと諦めた者も多いのだ。かく言うわしもそのひとりだがな。


「内匠頭殿と薬師殿は、亡き御屋形様にも引けを取らぬ。誠心誠意お仕え致せ。必ずそなたと連れて参った者らを守り導いてくだされよう」


「ははっ!」


 本当にここは同じ日ノ本なのであろうか? 隆光様の仰せの通りなのだ。連れて参った遊女らも漏れることなく面倒を見てくださるという。病を患う者は病院に留め置かれたが、あとは仕事と禄を皆に与えるとか。正しくはわしの家臣とするようだがな。


 遊女らも初めは信じられず戸惑うておったが、御家で働くことを許され、先々まで安泰だと知ると皆が涙を流して喜んだ。


「いずれ、斯波家と織田家は周防を飲み込むであろう。その時は、わしやそなたがあの国を再建するのかもしれぬ」


 去り際にちらりと語られたその言葉に驚き、返す言葉がなかった。


 ひとまず尾張を知り、御家のことを学ばねばならぬな。


 ああ、筆頭家老である滝川様と話をして名字を変えることにした。遊女屋という屋号でもいいが、もう遊女屋ではない。少し紛らわしいということで、椹野ふしの屋甚兵衛という名に改める。


 山口を流れる川から名を頂くことにした。遠く離れても、源流は山口であることを子々孫々まで忘れぬようにとな。




Side:久遠一馬


 遊女屋さん改め、椹野屋さんを召し抱えたんだけど。何人かに有能な人を先に取られたと笑われた。


 周防大内衆は尾張で評価高いからなぁ。


 まあ、周防から呼んだのはオレだし、冗談交じりに言われただけだけどね。


 西国の商人は他もいろいろと尾張に来る。一番欲しがるのは紅茶だ。かつて大内義隆さんが紅茶は求める者が多いだろうと教えてくれたけど、その噂が広がっていることが理由のひとつだ。


 西国の雄、大内。その名と権威は今も健在だ。


 史実では毛利が後継としてなんとか収まるものの、この世界ではどうなんだろうね。周防や長門が毛利に勝てるとは思えないけど、史実ほど毛利が上手く治めることが出来なくなるくらいの影響はあるのかもしれない。


「あの……、殿?」


「こら、藤吉郎! 大人しくしておれ!」


 少し考え込んでいたら、目の前にいた藤吉郎君が清兵衛さんに叱られていた。ごめんよ。


「藤吉郎、そなたを職人として召し抱える事とする」


「ははっ!」


 控えている資清さんが用件を告げると、藤吉郎君は緊張した面持ちで頭を下げた。


 この場には、他にもふたりほど若い職人がいる。彼らをウチで召し抱えることになったんだ。いわゆる見習い卒業ってことだね。


 藤吉郎君に関しては、足踏み式脱穀機の評価が高い。工業村職人衆も認めていて、武芸大会での展示品が人気投票でも上位だったらしい。


 そんな状況を勘案した清兵衛さんの推挙もあって、召し抱えることにした。


「あの足踏み式の脱穀機はいいね。ちゃんと出しても構わない技だけで、よく作ったよ。あれの褒美もあるから」


「ありがとうございます! 故郷の村に行ったら人手が足りぬと皆が困っておりましたので、旋盤や大八車を見て考えました!」


 蟹江のミレイが驚いたほどだ。脱穀とか、一般的には後家さんとか女衆の仕事なんだけどね。織田領だと女性も賦役に参加しているし。内職は機織りや縄などの製作など、いろいろと増えているんだ。


 満面の笑みで喜ぶ姿にこっちも嬉しくなる。ただ、本当に職人になるんだなと改めて思う。史実の天下人なんだけど。


 史実だと漢字とかあまり詳しくなかったとも言われるけど、この世界では勉強もちゃんとして楷書体も学んでいるしね。文官になれる素質もあると、アーシャから報告もあるほどだ。


 まあ、職人衆自体が上級武士待遇だからなぁ。


「期待しているから。ただし、無理は駄目だよ。清兵衛殿の命を聞いて、力を合わせて励んでほしい。皆で前に進むのが、ウチの掟だから」


「畏まりましてございます!」


 藤吉郎君と数人の見習いを卒業した子たちにエールを送る。


 彼らは今後、一端の職人として扱われる。もちろん先輩である皆さんにこれからも学びつつ働くんだろうけどね。


 藤吉郎君は職人という立場から日ノ本を変えてくれるんだろうか? 時折見せる閃きは非凡なものがある。それに人当たりもよく評判もいい。創作だと言われている史実の太閤記ほどじゃないけどね。


 足踏み式脱穀機はまだ早いかなと出してなかったからなぁ。工業村も忙しいしね。それに自力でたどり着いた。彼がこの先、どこまで進むのか、楽しみで仕方ない。





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