第1703話・尾張一の出世頭

Side:斯波義統


 北畠の亜相殿らと共に京の都を離れる。いろいろと揺れておることもあるようじゃが、わしらには関わりのないこと。朝廷のことは朝廷で決めるといい。思わぬ同行者もおるが、こちらは面倒がない故、懸念もない。


「まさか同行を許されるとは思いませなんだ」


「なに、ちょうど良かっただけのことじゃ。気にせずとも良い」


 同行者は吉岡一門。吉岡殿は、武芸大会にて毎度本選に勝ち残るからの。尾張に来るというので同行を許した。かつては足利家の指南役を務めたほどの家でもあるからの。粗末にも出来ぬ。


 まあ、船旅になる故、陸路より早いからの。ほんのついででしかない。


 公方様は残られた。武芸大会までには再び尾張に来るということだが、今しばらく都で公卿の相手をするとのこと。仙洞御所と院の警護に懸念がある故、致し方あるまい。


 見渡すと実り多き田んぼがある。豊かな地であることに変わりはない。もっとも関所が各所にあり、関所のない領内に慣れると面倒としか思えぬことも多いがな。


 都を出る前に院と帝に拝謁したが、内裏も修繕がされており以前よりは様変わりしておる。されど、院や帝が喜んでおられるのかは、わしなどには計り知れぬことよ。


「そういえば、幾人からか蔵人について武衛殿らがいかに思っておるかと内々に問われたわ。知らぬと言うておいたがな。因縁になるのではと恐れておる者もおるようだ」


 川舟で降りつつ休息を取ると、亜相殿から面白き話が出た。


「気にするくらいならば、甘い処罰で済ませねばよいものを。左様なことをしておるから、公家は身内に甘いと言われるのだ」


 変わらぬなと、少し安堵したかもしれぬ。まだ見ぬ明日を模索する日々を送っておると、過ぎたる因縁など考えることが少のうなった。だが京の都では、それがもっとも懸念すべきことなのだと改めて思い知らされたからかもしれぬ。


「武衛殿は今川、朝倉と因縁ある者にも寛大だ。故に大事と見ておる者は少ないがな。とはいえ小心者はいずこにでもおる」


 寛大か。亜相殿の言葉に思わず笑い出しそうになった。


「今でも心から許そうと思うておるわけではない。ただ、いかようでもいいと思うようにはなった。因縁に囚われては、わしが因縁に潰されるとしか思えなくての」


「互いに因縁など探せばいくらでもあるからな。言わんとする心情は察するに余りある」


 北畠と斯波。いつの間にか、似たような立場となりつつあるか。そんな気がする。人に与えられた時は少ない。成すべきことは因縁を晴らすことではない。家や一族を明日に残すことだ。


 一馬らを見ておるとそれがよう分かる。一馬らであっても、決してひとりであれもこれもと出来るわけではないのだ。俗物であるわしなどが出来るのはもっと少ない。


「上様と我らが盤石だと示した。あとはお任せすればよかろう」


「ああ、そうだな」


 都で一番するべきは、上様と六角・北畠・斯波の今を明確に表すこと。それだけはなにより心がけた。あとは上様、弾正や一馬らに任せればよい。


 そろそろ尾張の飯が恋しくなったの。




Side:牧場留吉


 私は物心ついた時には牧場村の孤児院にいた。実の父と母の顔もほとんど覚えていない。元服する際に、今も生きていると御袋様に教えていただいたけど、会う気がないと言ってそれっきりだ。


 御袋様のところにあったメルティ様の絵を見て、いつからか真似するように土に棒っ切れで絵を描いていると、それを認められて紙と筆で描かせてもらえるようになった。


 なにより描くのが楽しかった。それだけだった。


「おお、これほどの絵を描いていただけるとは……」


「いえ、こちらこそよい機会となりました。ありがとうございます」


 頼まれていた襖絵を仕上げると、屋敷の主は喜んでくだされた。本来、私にとっては雲の上の身分のお方。殿様のご猶子としていただいた今は違うけど、正直、未だに慣れない。


「では、私はこれで……」


 お供の皆と共に牧場村に戻る。御家の侍女殿と警護の者が常に一緒だ。


 ふと、ご猶子にしていただいた時を思い出す。正直、私はよく分からないままお話をお受けした。


 御袋様は、もともと皆を実の子のように扱っていた、そしてそれは殿様やお方様方も同じだった。正式に子と認めると言われた時も嬉しかっただけだったんだ。


「留吉様! これをお持ちになってください!」


「ありがとうございます」


 偉くなったと気付いたのは、しばらくしてからだ。殿様が私を守るためにご猶子としたことに気付いたのはだいぶ後だった。


 ただ、私は孤児院で教えを受けた通りに生きる。それだけだ。殿様や御袋様の面目を汚すことは許されないが、武士として生きる必要もない。そう教わったんだ。


 通称も用いていない。殿様が真名をそのまま使っておられるからだ。同じ孤児院から元服して猶子となった皆も、同じく通称を用いていない。案じてくれる者もいるけど、今のところ懸念はない。


 那古野の町に入ると、工業村の職人たちと出くわす。元服前から絵図を描くことを頼まれていたことから、顔見知りなんだ。


「あっ、留吉殿。暇が出来たらでいいから、また絵図を描いてほしいんだが」


「はい。明後日でしたら構いませんよ。いつものところでいいんですよね?」


「おお、助かるわ」


 御家の秘する技を使った品を作る時、絵図に残したいと頼まれる。最初の頃、あまりに多い報酬に驚いていたことも懐かしい。


 職人衆は昔と変わらない。あまり畏まったりせずに私も気が楽だ。職人頭の清兵衛殿いわく、公の場でない限りは相手に合わせているそうだ。


 孤児院に戻ると、幼い子たちが出迎えてくれた。皆、私の弟と妹なんだ。


「とめきち! おかえり!」


「ただいま~」


 いつもと変わらぬ日々を、楽しげに教えてくれる子たちとの変わらぬ日々。


 元服した際に、御袋様から屋敷を別にするかと問われたけど、ここにいたいと願い、今もここで暮らしている。


 時には皆で一緒に絵を描くこともある。私はそんなひと時がなによりも楽しく好きだ。


 今日もいい日だった。明日もきっと……。




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