第1704話・一段落

Side:久遠一馬


 義統さんが帰ってきた。


 これで、行啓・譲位・御幸という、史実になかった歴史的な行事が終わったんだなと改めて実感する。


 いいこともそうでないこともあった。すでに史実から乖離しすぎて比べるのも難しいけど、朝廷との関係は今後も未知のことが続くということだろう。


「彦右衛門殿もご苦労様だったね」


「はっ、無事務めを果たせて安堵致しております」


 ウチでは一益さんたちも帰ってきた。みんな無事に帰ったことが一番だね。まあ、多少の厄介事はあるけど。


 ウチの商品を融通してもらえないかと、頼まれた件が幾つかあるらしい。


「昔に比べるといいほうか」


「そうですね」


 以前は、一方的に命じるように寄越せと言いたげな人が割と多かった。それに比べるとまだ頼むという形になっただけ変わったと言えるんだろう。無論、変わったのはオレの地位であり、彼らはなにひとつ変わってないけど。


 ちなみに過去に不快になるようなことをした相手は、今も疎遠というか基本的に相手にしていない。あちこちの国人とか駿河の寺社や商人なんかもそうだ。


 謝罪のあったところは織田家としては弁済や賠償などで許す方向だ。オレ個人としては関わりたくない。多分、関わることがないだろう。


 ああ、頼まれた件は、相手の家柄やこちらとの関わりなどで決める。家老衆に頼んで調査してもらうことになるだろう。斯波や織田以外でも北畠や六角と繋がっていたりすると配慮がいるし。


 ただ、資清さんが渋い表情を見せたのは別件の報告だった。


「寺社も所詮は人の子、というところでございますかな」


 貨幣価値が都で少し問題となっているらしい。現状では尾張の経済政策に合わせている六角領とそれ以西では、銭の価値すら違う。朝廷にはまだ献上品と共に銭を献上しているのでマシだろうが、あとはそうはいかない。


 尾張から流出している銭もあるはずだが、堺では今も堺銭を造り続けているし、悪銭鐚銭は畿内や西国には山ほどある。


 以前、堺銭対策で悪銭鐚銭の価値を原料としてしか認めない政策を導入した結果、畿内などでも悪銭鐚銭の価値が下がったままだ。


「こっちに関係ないんだけどね」


 一番不満があるのは多くの銭を抱えている寺社だ。金貸しなどしてあこぎにも思えることをしており、今の時代でウチと織田家を除くと一番銭を保有しているのは寺社になる。


 彼らの保有する銭の多くは悪銭鐚銭であり、価値も暴落しているんだ。それが面白くないのは言わなくても分かる。


 まあ、この件は現時点ではこちらに文句が届いているわけではないけど。


「こちらを妬むのは筋違いであると理解しておるようでございまするが……」


 一益さんの言う通りだろう。不満が燻っているものの、それでこちらを責め立てることまではしていない。主立った者たちは出来ないとさすがに理解しているはずだ。


 そもそも、この件は根深い問題があって一筋縄ではいかない。


 この時代だと主に渡来銭と私鋳銭が主だ。織田家では、堺銭を鋳造する堺の商人が、良銭と交換しに来ることがあまりに酷いので、こちらは対策として悪銭鐚銭の交換比率を原料の価値くらいまで落としている。


 正直、そのくらいしないと、同じように悪銭鐚銭を手放して良銭を得ようとする者が後を絶たないだろう。


 結局、きちんとした良銭を市場が安定するくらいに供給しないと上手くいかない。一時期、三好に錫を供給して畿内の貨幣を上げようとしたが、堺が思った以上に言うことを聞かないので頓挫したままだ。


 寺社でも一部の者たちは、尾張に良銭があるならこちらに寄越せと思っているんだろう。ただ、それを言えば大変なことになると上は理解していると思う。


 そもそも尾張の良銭の供給源であるウチの貿易。これ今もグレーゾーンなんだよね。日ノ本の外の勢力であるウチがやっていることであり、関与しない。朝廷と幕府が非公式ではあるものの認めていることだ。


 そこに文句を付けたい者はさすがにいないと思うけど、もっと利を寄越せというのが潜在的にある。


 そこらの事情を理解していない、一部の坊主にそそのかされた商人と下級公家が騒いでいるようだ。


 この件はほんと、どうしようもない。権威主義で自分たちのことには口を出すなという時代だ。自分たちでやってくださいとしか言えない。


 こっちは商売をしているだけでも配慮しているくらいだからね。




Side:織田信秀


「御無事のお戻り、祝着至極でございまする」


 京の都ではあまりご機嫌が良うないと聞いたが、戻られてからは悪うないようだ。


「尾張は良いの。都に行くとそれを思い知らされる。公卿らと会えば、臣下や民を大切にしてやらねばと教えられるわ」


 わしも変わったが、このお方も変わられた。望む以上の立身出世に苛立たれることも増えた。当人も皮肉と思われておろうがな。


 人の良きところも悪きところも見える。それだけ立場が変わったと言えよう。


「まあ、懸念は減った。公方様が頼もしゅうてな」


 一馬らが公方様を教え導いた甲斐があったということか。なにが幸いとなるか分からぬものだな。


 望めば将軍すら叶うかもしれぬというのに、それを拒絶する。一馬らをよく知る、わしならばご理解するが、都の者らには理解出来まいな。


「院は動かれるのでございましょうか?」


「ああ、動かれような。御身が危ういと理解しておられるのかしておられぬのか、理解しても止まらぬ気がするわ」


 懸念はやはり院か。御身になにかあらば、望まざる上洛となるやもしれぬ。


「政とは難しきことよの。わしは味方が多いことに安堵しておるわ」


「某も同じでございまするな。尾張に生まれた我らには、分からぬことが多くありまする故」


 守護様ばかりではない。わしとて、よう分からぬことが増えた。一馬らの進言と献策がなくば、とうの昔におかしなことになっておろう。


 もっとも、左様な一馬らですら、悩み迷い、皆と話して考え決める。人とはそれでよいのかもしれぬな。




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