第1698話・変わらぬ都と変わる尾張
Side:広橋国光
「公卿とは、かような者らだったのだな」
尾張でよく飲んでおった丹波卿と山科卿を招いて酒を飲む。僅かな間とはいえ、京の都を離れたことで、この地と公卿を見る目が変わったのかもしれぬ。
仙洞御所の落成法要について公卿が揺れておる。院の御内意を軽んじるとは言い過ぎであろうが、古き慣例に従わぬ院を諫めるべきだと口にする者までおるとか。
「この濁酒も久方ぶりよの」
山科卿は懐かしむように濁酒を飲んだ。この日は、尾張では飲むことがなかった濁酒しか手に入らなんだ。尾張にて安酒である麦酒、あれでさえも都では手に入らぬ。
「丹波卿、そなたはいかがする? 久遠の医術を習うたのであろう?」
「吾は院と帝の御為のみに使うと約して教わった。従ってこのまま役目を全うするのみ。吾の一命に懸けて約したことは違えぬ」
一番尾張に馴染んでおった男だが、今後はまた以前のように目立たぬようにする気か。尾張を離れる前には惜しまれたとすらいうのに。
あれこれと懸念はあるが、一番考えねばならぬのは、院を害そうとする愚かな公卿が出ぬかということ。
「山科卿、後任の蔵人を院はいかがするとお考えか分かるか?」
「そのことは聞いておらぬの。仙洞御所にもいかほど人を配するかも分からぬ」
院の心中は察するに余りあるが、まずは御身の周囲を確と固めねば危ういと思うのだが。ここは尾張ではない。荒れた京の都なのだ。
戻りて改めて思う。尾張という国がいかに違うかということを。毒見もなく冷めぬ飯を食える。金色酒などもそれなりの身分の者は当たり前の如く飲める。夢のような国であった。
やはり、院は尾張から戻られるべきではなかったのではあるまいか。院の御内意を理解して従う公卿がいかほどいるのか。分からぬからの。
Side:足利義輝
此度もオレは武衛陣にいる。荒れておる御所の修繕という話もあったが、内裏の修繕と仙洞御所の造営を優先させて手付かずだからな。それにここ以外では危ういという進言もあった。
いろいろとやるべきことがある。まずは近衛殿下と会うことにしたのだが……。
「息災そうじゃの」
「はっ、殿下もお変わりなく。祝着至極にございます」
困っておられるように見える。いや、そう見せておるのか? 無下にも出来ぬが、あまりに信じすぎるのも危うい。近衛家とこちらの立場や利は、違うものとなりつつある。悲しいかな、殿下とて公卿のひとりでしかない。
「ひとまず院が無事にお戻りになられた。それは良かった」
もっとも殿下は味方だ。尾張をよく知り、なんとか朝廷と近衛家を次の世に残すべく動かれておる。悲しいかな、公卿の大半は殿下のことを信じておらぬようだがな。
「院は尾張での日々に満足されたようだ。やはりあの地は次の世が見えるのであろう。それ故に知らぬ者には理解出来ぬがな」
「殿下、院の身辺についてでございますが……」
「分かっておる。懸念しておるのであろう?」
御幸が終わったことを喜んでもおられぬのは互いに同じか。こちらの懸念は院のことだ。仙洞御所にはオレも手が出せぬ。
「こちらとしては院を守るべく動いておりまする。何卒、良しなにお願い申し上げます」
「喜んでよいのやら。悲しんでよいのやら」
オレの覚悟を察した殿下は少しため息をもらされた。すでに武衛以下、皆の総意だと察したようだな。特に一馬は院の今後を案じておった。おかげでこちらはなんの憂いもなく動ける。
すでに側近らに命じて公卿への根回しと釘を刺すべく動いておる。都でも手に入らぬ久遠物を贈り、仙洞御所落成してままならぬうちに、院の御身になにかあらばオレが許さぬと意気込んでおると、言いふらすようにしたのだ。
僅かに脅して、銭や品物で従うならば懐柔してしまえばいい。一馬にそう助言を受けた結果だ。銭で転ぶ者など好まぬのを知ってなお、それを進言した。銭があるうちは裏切らぬであろうと言われると笑うてしもうたがな。
一馬が懸念しておったのは、むしろ銭で転ばぬ者であったほどよ。
「わしも院の御身は案じておる。それだけはあってはならぬ」
ふむ、殿下とはこの件では上手くやれるか。新たな世を前に院が害されるなどあってはならぬ。
オレが許さぬ。決してな。
Side:久遠一馬
驚くべき献策が上がってきた。
「凄いね。こういう献策が上がってくるなんて」
武芸大会に合わせて農産物の展示会のようなものをしてはどうか? そんな献策が届いた。若い者たち連名による献策であったんだけど、中には丹羽長秀君とか前田利家君とかがいる。
「先を越されてしまいましたね」
エルと顔を見合わせて笑ってしまう。農産物の展示会。これ商人組合でも話が出ていて、非公式に上がってきていたんだよね。ウチでも検討していた案のひとつだ。
工芸品の展示会では製品が売れるんだ。芸術関連では作者の名が売れて仕事が増える。農産物もやれば、地域間の交流とか流通が良くなっていいんじゃないかという案は前からあった。
やらなかったのには理由がある。農産物はそこまで生産力がないことや、領内優先で流通量や価格を調整しているからだ。
もとはウチが始めたことなんだよね。金色酒とか砂糖・昆布・鮭・香辛料など、領内と対外的な売買の流通価格を変えたことがきっかけだ。
外に知られて、また高値で転売されるような品物を増やしても、管理が大変になるわりに利益が上がるわけでもないからなぁ。寺社だろうと武家だろうと、買いたい商品が増えても、出せるお金がそこまで増えるわけじゃないんだ。
「試しに今年少しやってみようか」
「ええ、それが良いと思います」
ただ、武官とか文官で働く若い衆が連名で献策した、この件を却下するのはちょっと惜しい。
対外的な価格と領内価格が違うのは今さらだ。領内は概ね、それで理解を得ている。自分が売るなら高い方がいいけど、そうすると買う品も軒並み上がると説明はしてあるんだ。
販売は領内優先。この原則はこの時代では受け入れてもらえるのが早かったからね。
農産物の展示会。出品した品は、織田家で買い上げにするか。あとは評価によって領内と領外向けの価格を決める。これは生産量や市場価格を参考にするべきだろう。
織田領も広がったし、ちょうどいいのかもしれない。大根のように新しい産物が出てくるかもしれないからね。
それにしても、若い子たちは新しいことに対する適応力が凄いと思う。
同じことを真剣に考えて、みんなで上申した。その事実がなにより嬉しい。
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