第1697話・僅かな懸念
Side:楠木正忠
わしを含めて幾人かの者を除くと理解しておるまいな。目の前の兄弟など無礼を働いたことで怒ったと勘違いしておろう。
「戻るなら好きに致せ。今ならば追わぬ」
恐ろしさのあまり、動けぬ呪でも受けたかのように固まる浅利の兄弟に決断を促す。
必ずしも一族郎党根切りなど望まぬ。それが久遠の者だ。素直に従うなら良い。わしは、そう受け取った。
「腹を切っても……、許されぬのでございますか?」
「ああ、腹を切ったところで許されぬ」
いかにして良いのか分からぬのであろう。途方に暮れたように項垂れる。兄弟で不仲というのはよく聞く話なれど、ここまで恥を掻けば死にたくもなろうな。されど、お方様方は死して誉れや許しを与えるというのを嫌う。
意志ある者には幾度も機会を与えるのだ。悪いわけではないがな。当然、厳しきところも持ち合わせておる。
「従うなら一切異を唱えるな」
そのまま動かなくなったふたりにため息が出る。去る気はない。いや、帰るところもないのであろうな。哀れよな。つまらぬことをせずに従っておれば、助命されて御家存続も叶ったものを。
こ奴らの承諾を得て、すぐに城の明け渡しを進めるべく、城に残る者らに使者を出す。助命も一族郎党の今後も分からぬまま明け渡すか分からぬが、最早、妥協など出来ぬことだ。
「まったく。奴らのせいで、奥羽の武士は無礼者が多いと思われたのではあるまいか?」
「嘆願などあとで誰ぞに頼めばいいものを。何故、お方様に異を唱えるのだ」
浅利兄弟が下がると、南部の者が困ったように話を始める。まだ処遇が決まっておらぬのは南部も同じだからな。この件でお方様らのご不興を買うと、困ると思うておるのであろう。
「お方様がたは命を粗末にする者や、下命を軽んじる者を嫌う。ただ、真摯に従い励む者には慈悲深い。皆に確と伝えておかれよ」
わしには本心からお怒りだったとは思えぬ。事実わしを見た時の目は穏やかであった。無礼な浅利兄弟を怒らずに済ませると、今後に良くないとお考えであったのではないのであろうか?
今はなにはともあれ、下命を確と守らせるようにすれば良かろう。
Side:斯波義統
結局、都の諸事に巻き込まれるのであろうな。それがわしの定めか? いや、弾正や一馬と共に日ノ本を統べると決めた以上、致し方ないことか。
若かりし頃、己の不遇を嘆き、わしに力があればと幾度も思うたことをふと思い出す。力を得た今と、あの頃、いずれがいいのかの? すぐに決められぬだけの難しさがあるわ。
「守護様?」
「いや、なんでもない。武芸大会までには戻りたいと思うただけじゃ」
「左様でございますなぁ」
思わず笑うてしまうと、近習を驚かせてしまった。されど、思うところはあまり変わらぬようじゃの。
天下のことより、尾張にて民と共に争いのない国にするべく働くほうがいい。左様に思うてしまう。帝や院には申し訳ないがの。わしには義理以上に尽くしたいとは思えぬ。所詮は弾正と一馬がおらねば、生涯傀儡の身であったのだからの。
左様な我が身と比べるのは少し無礼かもしれぬが、上様はご立派じゃと思う。一度はその身分を捨てることすら考えたというのに、今は日ノ本をまことに新しき世に導こうとされておるとはな。
ジュリアがよう知恵を授けて教え導いておったこともあろうが、武家の棟梁として生まれ育った者は違うということかもしれぬな。
「守護様、茶と菓子をお持ち致しました」
空を見上げ、なにをするでもなく時に身を任せておると、紅茶と菓子が運ばれてきた。もう左様な頃か。清洲ではすっかり昼と夕刻の間に、菓子を食う習慣となったからの。
「ああ、美味いの。清洲を思い出すわ」
久遠家の焼き菓子を食うと尾張が恋しくなった。ケイキのように柔らかくないが、程よい歯ごたえと甘さがなんともよい菓子じゃ。一馬らはクッキーともビスケットとも呼んでおったか。
紅茶とこの菓子だけで心が安らぐようだわ。
Side:久遠一馬
京の都が少し不穏だ。
虫型偵察機などの最新情報だと、戻られた上皇陛下は、まず仙洞御所造営の落成法要に手を付けられた。過去の慣例をあまり重要視せず、最小限の儀式と宴で済ませるおつもりらしい。
公卿の反応は動揺と戸惑いというべきか。
宴も仙洞御所造営に関わった者たちだけでよいとの仰せで、若狭管領こと晴元は当然呼ぶことを望まれず、公卿ですら関わっていない者は特別なことはしなくていいとおっしゃっている。
「そこまでおかしなことを望まれているわけじゃないんだけどね」
「そうですね。ただ……」
エルの表情に少し陰りが見える。
院政をなさるおつもりがないことが大きいんだろう。穏やかに過ごしたい。その一言に尽きる気がする。
とはいえ公卿にとっては、朝廷の存在と権威を諸国に示したいはずだ。それが彼らの存在意義だし、不遇だと思う自分たちの立場が良くなることが第一だと思う。
これがきっかけで軋轢が生まれるのだろうか?
「院は公卿を変えようとなされているのかもしれないわ」
ただ、エルと顔を見合わせたメルティが驚くべきことを口にした。確かに、公卿に対する信頼が揺らいでいるのは事実だろうけど。現状から、おひとりで変えるなんて無茶だとしか言えない。
「護衛が必要だな。虫型偵察機を増やしておこう」
御身が危ないとすら思える。
幸か不幸か、実はこの件に近いことを、尾張を出る前に義輝さんと話してある。上皇陛下と公卿の対立が少しでも見えたら身辺には気を付ける必要があると。でも、義輝さんだけだと守り切れないかもしれない。
将軍という立場では、仙洞御所内の人事まで口を挟むのは難しいだろう。山科さんや広橋さん辺りならもう少し動けるはずだが、公卿は誰が敵に回るか読み切れないところがあるから話をしていない。
上皇陛下を守るか。朝廷という伝統を守るか。そんな方向に行くと噓偽りなく危険だ。公卿なら誰であっても。
虫型偵察機で見張って、御身に危害、毒でも盛ろうものなら、密かにお助けすることも考える必要がある。
「万が一の場合は司令室の判断で介入を許可する。上皇陛下に危害を加える者は許しちゃだめだ」
オーバーテクノロジーを使うのは諸刃になる。あまりに次元が違う技術は、世の中にいい影響ばかりを与えるわけじゃない。とはいえ、オレたちの影響で変わられた上皇陛下は守りたい。
「大丈夫だと思うわ。ただ、覚悟は持ったほうがいいわね」
メルティも現状でそこまで事態が悪化するとは思っていないらしく、少しホッとする。ただ、油断出来るほどでもないんだよなぁ。
まずは上皇陛下の説得と妥協点を模索するはずだし。様子を注視するしかないか。
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