第1694話・幸か不幸か

Side:穴山信友


 道中の様子は決して芳しくない。小山田や、わしと小山田に連なって御屋形様から離れた国人衆が同行しておるが、喜び勇んでいくわけではないからな。


「わしの所領とて、このくらい豊かな地ならば……」


 東海道へと出て一路尾張へと急ぐ。愚かしくも今更泣き言のような愚痴をこぼす者もおる。理解はするが、かようなことをこの場で口にする愚かしさに斬って捨てたくなる。


 生まれが違うのは当然のこと。誰しもが己の生まれた家や地から始めるのだ。ままならぬことも多々あるが、それは天命というもの。気に入らぬならば、己の力と意思で勝手にすればいい。だが愚痴をこぼす者に限って、左様な覚悟もなにもない。


 我らは清洲まであと少しとなったところで町に入った。ふと、町の衆の着物が目に止まる。汚れてもおらず色鮮やかな着物を着ておる者が多い。


「ここは……」


「那古野でございまする」


「そうか、ここが那古野か」


 思わず握っていた拳を解いて歩みを進める。


 敗れし者はなにも語れぬ。甲斐守護も所領も、なにもかも捨て去る覚悟で織田に降った御屋形様の勝ちなのだ。尾張は豊かな地だ。されど、ここまで大きくなったのは当代の者らの力があってこそ。


 仮に、清洲城にて斬首されることになっても致し方ないのだ。


 約したことを破るのもまた我らがしてきたこと。弱き者に選べる道などない。それがこの世の定め。尾張とて同じであろう?


 御屋形様がまことに一族郎党を助命くださるのかすら、わしにはあまり興味がない。ただ、一戦も交えず降ることになった己が心底嫌になる。




Side:武田晴信


 とうとう、穴山と小山田が到着したか。父上は会う気などないと、ご自身にはもう関わりのない者らだと突き放しておられる。


 久遠諸島から戻られて以降、過ぎた日々を思うより明日を生きたいとお考えらしく、学校にて久遠の知恵を学び、今川や当家の役目を助けておるほどだ。


「なにごともままならぬものよな」


 正直、羨ましいとさえ思う。自らの所領を治め、兵を挙げることが許されぬ織田では、めいを聞かぬような家臣が増えたとて利がない。


 されど、たとえ獅子身中の虫であろうとも、血縁ある者や元家臣は従えて面倒を見ねばならぬ。これは致し方ないことだ。


 さすがに嫌な顔を見せるわけにはいかぬな。かの者らが待つ広間に入る前に一呼吸入れる。


 頭を下げて居並ぶ者らと会うのも久方ぶりか。


「面を上げよ」


 弟と倅や家臣らが控える中、穴山らが顔を上げる。重苦しい。これから一戦交える如く、誰もが険しい顔をしておる。


「我が一命にて一族郎党をお許しいただきたく、伏してお願い申し上げまする」


 ようやくわしの心情を察したのか、それともあきらめの境地か。穴山にかつてのような威勢はない。ならば死ねとでも言いたくなるところをぐっと堪える。


「条件は伝えたとおりだ。主立った者は身分も名も忘れて、額に汗して働け。わしはもう織田の家臣でしかないのだ。織田のため斯波のため働く者のみ許す」


 一言伝えると席を立つ。穴山と連なった者は驚き唖然としておるのが見えた。


 最早、必要以上に気を使うことも遇することもない。殺すくらいなら死ぬまで働かせろ。それが今の尾張だ。あとは当人が心身を新たにして生きられるか。それに尽きる。


 まさか、かつてのように同盟者の如く扱われると思うておる者はおるまい。


 これでようやく終わった。守護としての甲斐武田家がな。


 清々するわ。




Side:久遠一馬


 少し緊張した様子のお市ちゃんが、義信君、信秀さん、オレとエルなど同席する者たちの前に茶菓子を置いていく。その様子を義信君が優しく見守っていた。


「ほう、よう出来ておるの。見事なものよ」


 茶菓子はお市ちゃんが作ったものらしい。確かに見た目の出来もいい。カステラの横にはホイップクリームが添えてあるものの、綺麗に整っている。


「では私からは茶を淹れますわ」


 やり切った感のあるお市ちゃんが席に着くと、シンディとエルが紅茶を淹れてみんなに配る。


 今日は清洲城でちょっとしたお茶会なんだ。信長さんもいるし、土田御前や帰蝶さんたち女衆もいる。


 特に茶会というほどでもない。評定終わりにみんなでお茶にしようと席を設けただけだ。こういう機会はなるべく設けることにしている。あまりに仕事に追われ過ぎるのは良くないしね。


「都に上洛された父上が難儀しておらねばよいが」


 和やかな雰囲気だ。とりとめのない話をしたり、仕事の話をしたり。ただ、義信君はこの場にいない義統さんのことを考えていたらしい。


「懸念には及びませんよ。今の守護様の機嫌を損ねると天下の一大事となりますので」


 心配するのは分かるけど、事実上の日ノ本一の権力者とも言えるんだよね。面目でも潰そうものなら、否が応でも挙兵することだってあり得る。オレや信秀さんでも止められない事態もあり得なくもない。


 もっとも管領なんてなりたくないという人だ。一大事になりそうなら、躱してしまうくらいやってのける人だけど。


 もちろん、こちらも抜かりはない。一益さんが同行していて、念のため石山本願寺には上皇陛下のお土産などを積んでいったウチの船が滞在している。具教さんも上洛していて、義統さんと具教さんの帰路は船の予定なんだ。


 まあ、幕臣も公卿も面目に懸けて、おかしなことにならないようにするだろうけど。戦にはならなくても機嫌を損ねると献上が減るくらいはあり得ると考えているはずだ。


 正直、義統さんの上洛は上皇陛下の護衛と、仙洞御所完成のお祝いという意味もある。過去の御所落成などでは儀式をしたりしてみんながお祝いに駆け付けたらしいし。


 肝心の儀式とかは上皇陛下が止めたっぽいけど。お祝だなんだと公家が勝手に動くのを懸念したみたいだね。


 近衛さんたちは困っているだろう。自業自得だけど。


「甲斐が一段落して東が落ち着きますな」


「まったくだ」


 あとは、あちこちから聞こえる話も明るい。


 ああ、東もようやく落ち着いた。駿河は義元さんが赴任したし、甲斐は穴山と小山田が臣従に出向いてきた。最悪、ゲリラ的な治安の悪さで泥沼化もあり得たから、正直ほっとしたのが家中の総意だろう。


「うん、カステラも美味しいなぁ」


「確かに、これほどの菓子を作れるとは……」


「幼き頃より内匠頭殿の屋敷にて学んだ姫様は別格でございましょうが」


 お市ちゃんが作ったカステラ美味しい。周りの皆さんもまだ大人と言えないお市ちゃんの菓子の腕に驚いている。


 肝心のお市ちゃんは控え目だ。喜んではいるけどね。ちゃんと周りも見えているらしい。子供の成長は早いなって思う。


 若い子に未来を見て、大人が頑張る。いいサイクルに入っているのかもしれない。


 これからが楽しみだね。



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