第1688話・夏の日

Side:久遠一馬


 夏の日々が続く。各地からは作物の生育について報告が届いている。いいところもあるけど、悪いところもある。


 正直、農業改革がなかったら、オレたちでも詰んでいたかもしれない。尾張・美濃・伊勢・三河、農業改革の成果が出ている地域だ。田んぼの直播も尾張近隣だと見られなくなっているね。


 米は、すでに新しい種籾を運搬する限界を考慮してF1種から切り替えているので、南蛮米と言われるウチが持ち込んだ米が領内では標準米となっている。


 当然、領外にも流通するので勝手に栽培するところがあるものの、もう今の織田家だと他所の地域で農産物が増産されてもあまり困らない。正直、飢えからの戦が減るのならば、どんどん栽培をしてほしいとすら個人的には思う。


 今日は外交関連の増員について、評定に出す前に信秀さんに私案を報告した。


「無人斎か。そういえば動いておったな」


「根回しがお上手な方ですからね」


 武田信虎さん、史実では散々な評価をされた人物でもある。ただ、のちに彼は追放後も武田家と繋がっており、根回しなどで動いていたことも明らかとなった。評価が時代と共に変化したひとりだろう。


 織田臣従後、彼は武田・今川・小笠原の因縁解消に尽力していて、地域の安定に貢献している。上手いのはやりすぎないことか。程よく情勢と家中の方針や現状を見ながら、結果を急がず動いている。


 織田家中における武田家の地盤固めもしていて、東国一の卑怯者と称され若干敬遠されている節もある武田家の安定を図っている。武田に関しては、甲斐の報告が家中に伝わる度に致し方ない部分があったと知られることで、印象が緩和しており、信虎さんの動きもあり守護家格として相応の扱いを受けているんだ。


 実は、少し懸念材料となり得る人でもあるけど。今のところ露骨に動かないからいいものの、家中で派閥形成でもされたら面倒になりかねない。やるかやらないかは別にして、出来る才覚があるからね。


 無論、家中で味方を増やすという意味では、派閥形成も悪くはないんだ。実際、織田家中でも派閥とは言わないものの、尾張衆や美濃衆では違いもあるし、家柄や繋がりで親しい者と親しくない者はいる。


 ウチはすでに別格となっているので、派閥とあんまり無縁だけどね。それでもジュリアは武闘派と近いし、セレスは警備兵、オレやエルは文官に近い。それぞれに繋がりはある。


 はっきり言うと能力と意欲があるなら、働かせたいんだ。隠居しているけど、元気だし。家中だと京極さんも隠居後に立身出世している。前例もあって問題もない。


「彦五郎殿は、今後に期待して学んでいただくべきでしょう」


 氏真さんは家中での交流を率先してやっている。信虎さんと違い、半ば趣味の集まりなんかに顔を出しているんだ。ウチとはアーシャやシンディが割と親しい。学校に顔を出していて、お茶関係を学んでいる。


「良かろう、守護様と若武衛様のご負担は減らさねばならぬからな」


 信秀さんは人材案を見つつ承諾してくれた。あとは義統さんが戻り次第、根回しや本人確認をして評定で議論する形になる。


 斯波家、主家であり同盟相手でもある。当初は傀儡のような扱いでもあったが、急拡大する織田において主家は軽くはなかった。実権を取り戻したのは、義統さんの才覚もあるけどね。


「栄華以上の隆盛を極めつつあるとさえ言われるのに御不満がある。それだけ負担が大きい証ですからね」


 細川京兆が晴元や氏綱の争いで没落気味であることや、義輝さんとの良好な関係で斯波家の権威は大いに高まっている。ただ、やっぱり義統さんは喜ばないんだよね。


 義信君が若いこともあり頑張っているけど、隠居をしたそうな時がある。


 支配欲とかないと、これ以上の立身出世は得るものの割に苦労が増えるだけだからなぁ。




Side:滝川資清


 あちらこちらへと出向いて話をしておると、昼餉の時を過ぎてしまったな。


 御家に仕官して以降、昼餉を食う習慣を得たからか腹が空いたの。昔は昼に食うなどなかったのだが。


「八郎様、少しお休みくださいませ。すぐに昼餉をお持ち致します」


 清洲城内にある商務の間に戻ると、殿や皆は昼餉を済ませて働いておるが、わしは昼餉と休息を取ることになる。他家ならばあり得ぬことだがな。殿が働いておられるというのに休むことなど。


 控えの間にて昼餉を食すが、今日は冷やしつけ麵か。珍しいの。御家では時折食わせていただけるが、清洲城でも出すようになったのか。


 ラーメンの麺に夏の作物を乗せて、大陸由来とされるタレをかけたものだ。するすると食せて美味い。ごま油か、これがなんとも良い風味となるの。


「ああ、八郎殿。おっと、昼餉を食うておられましたか」


 ゆるりと飯を食いたいが、役目柄、人が訪ねてくることも多い。


「済まぬ。すぐに食う」


「ああ、いや。出直そう。休息の時を減らすとお叱りを受けるからな」


 わしは織田家においては陪臣だ。決して他の者を待たせてはならぬ身。とはいえ、他の者はそこを気にすることがなくなったの。御家が織田家中においてそれだけ大きいと言える。


 もっとも、ケティ様が家中の者らに、働く時の掟を厳命しておられることもあるが。


「申し訳ない」


「ハハハ、良いのだ。互いに忙しい身だからな。働き過ぎて病などなっては困る」


 訪ねてきた者が去ると、一息つく。


 日々の暮らしも習慣も変わった。今では田畑に入るのは年に幾度もない。殿のお供として農業試験村や牧場村に行く時くらいだ。


 さらに働くことを褒めるばかりではない。働き過ぎるとお叱りを受ける。特にケティ様は、大殿や守護様であっても医術と休息については引かれぬ。ケティ様はそれ故に皆に信じられておるのだがな。


 食後は茶を飲み、ゆるりとする。


 このひと時がなんとも贅沢ではと案じてしまうが、わしは好きなのかもしれぬ。


 質素倹約しよく働くことは美徳なれど、上の者がやり過ぎれば下の者が困る。わしも左様な立場となったのだなと、少し他人事のように思うてしまうの。


 土にまみれて終えるはずであったこの命、世のため御家のために役立つならいつ終えようと一向に構わぬが。


 さて、休息も終わるか。




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