第1686話・苦難の夏

Side:石川高信


 大浦城に参ると神戸殿は少し険しい顔をしておる。


「先の件で納得がいかぬ者が数名おるようでな」


「某の一命を以って、三戸の殿への累は及ばぬように伏してお願い申し上げまする」


 覚悟は決めてきた。所領はすべて没収であろう。一族の者には三戸の殿を頼るように言い聞かせた。切腹でも打ち首でも構わぬ。


「兵を挙げる。すぐに支度をされよ」


 死罪ではないのか?


「忠義は生きて尽くし、罪は生きて償え。久遠家の教えだ。そなたがするべきは生きて働くことだ。分かるであろう?」


「ははっ! 直ちに!」


「わしも出る。雑兵は多くなくてもよいが、主立った者は必ず集めよ。この機に織田の力とやり方をはっきりさせておく」


 まさか、わしが助命されるとはな。




 神戸殿が三百ほどの兵と共に出陣された。わしは最後まで南部方だった者らを束ね参じたが、その様相に驚く者が多い。


「相手は土豪だぞ」


 鉄砲、焙烙玉、弩など先の戦で三戸の殿を大敗させたものが、少なくない数であるとは思わなんだ。あれは浅利と戸沢に使うべきではないのか?


「これが織田の戦でございます」


 神戸殿と共に出陣しておる大浦殿と顔を合わせると、なにか悟ったような顔つきで降伏してからの日々を教えてくれた。


 巨大な黒船と運ばれてくる品々、大浦城では鉄砲を実際に撃たせて鍛練をさせておることなど、信じられぬことばかりだ。


「石川殿には世話になった。故に一言助言致す。武功を欲せんと抜け駆けなど致さぬようにされよ。抜け駆けは重罪だ」


「左様なつもりなどないが……」


「諸将に、よく言い聞かせておくことをお勧め致す」


 助言には感謝するが、相手はまとまることも出来ぬ土豪ぞ。鉄砲や焙烙玉など要るとは思えぬが。




 戦は……、いや、戦とは呼べぬな。愚か者の討伐をしただけであろう。


 いかんとしても武功を挙げてやろうと、意気込む者らの士気があっさりと挫かれた。


 織田は土豪の城に焙烙玉を投げ込み、鉄砲や弩を浴びせることで瞬く間に攻め落とした。


 僅かな意地すら見せられぬまま、城には火が回り、逃げ出した女子供以外はすべて討ち取られてしもうた。


 我らは見ておるだけだったのだ。最後までな。




Side:久遠一馬


 望月家の太郎左衛門さんに子供が生まれた。男の子だ。これで望月家も後継者が続くことになる。正直、ホッとした。


 上皇陛下の御幸。これは多くの課題と収穫があっただろう。織田家では御幸に関する総括をすることにしていて、ウチでも報告書をまとめているところだ。


 今日はじりじりと照り付ける太陽の日差しが厳しいものの、義信君がウチの屋敷にいる。太郎左衛門さんへのお祝いに来た帰りだ。


「朝廷との話し合いは、反省せねばならぬことが多いの」


 義統さんが留守にしているので、義信君が外交の報告をまとめているけど、朝廷関連は外交の混乱も多かったからなぁ。ちょっと困ったと言いたげな表情をしている。


 足利一門という家柄もあるし、他家との交渉は経験があることだけど、朝廷はやはり別格だからなぁ。


「京極殿と姉小路殿や小笠原殿がいなかったらと思うと、怖くはありますね」


 近江にいる幕臣の助けも大きかった。家中では京極さんが外交面で一番の功績かもしれない。自身が経験し身に付けたスキルは継承しただけの家伝とは違い有益と言わざるを得ないだろう。


 あと姉小路さんは公家としての立場から大いに活躍してくれたし、小笠原さんは家中の礼儀作法指導で存分に存在感を発揮した。


 オレとエルたちも組織づくりや外交環境を整えることは出来たが、直接外交交渉をしていく立場にもなかった。


 まあ、この時代では武士として力で交渉することも可能だけど、正直、オレたちはその弊害を気にしてやらなかったからね。


「今川家の客分である公家衆がいます。何人か外交に回ってもらうべきでしょう。あとは武田無人斎殿と今川彦五郎殿もよいかと」


 義信君の渋い表情もある。エルは一足先に外交担当の増員案を明かした。評定にもまだ出していないし、信秀さんたちにも根回ししていないけどね。


 無人斎さんと彦五郎さん、信虎さんと氏真さんだ。信虎さんはあまり表に出てこないけど、ちょこちょこと武田と今川関連の根回しと陳情に動いていた。氏真さんは適性を見たんだ。


 義元さんはそろそろ駿河に戻さないと駄目だけど、氏真さんは別の役職で残すべきだろう。父親と違う職になるけど。幸いなことに義龍さんが前例となっている。


 実はメルティあたりが得意な分野なんだけど、忙しいんだよね。エルがオレの補佐をしている分、ウチの家中の調整をしているから。あと絵画の需要も高く、そっちも描いているからさ。


「そういえば、甲斐の小山田と穴山はいかがしておるのだ? 従うという割に来ぬが」


「ああ、家中の取りまとめに苦労をしているようです。従わぬ者は捨て置いていいと伝わっているはずですが、面目もあり縁がある者たち故にそれもしたくないようで」


 武田の名前から思い出したように甲斐の話になるけど、従う気はあっても意思統一とか簡単じゃないんだよね。


 義信君、尾張の政治に慣れているから遅いと感じたようだけど、他家他国だとそんなものなんだよね。多少ごねて説得して従う。一種の様式美というか形式の一部でもある。


 信濃と駿河が安定しているし、他国に迷惑を掛けないならいいかとオレたちも特に急がせてないからな。


「また冬になると飢えるのではないのか?」


「現時点でも飢えています。すでに従うと言うので、品物の値を下げて食糧を送っています。武田殿はそこまでしなくてもいいと言っていましたけど。助けないと終わらないので」


 若干呆れている感じか。甲斐は報告書だけ見ると恐ろしいんだよね。貧しさと飢えで。


 穴山に至っては従うという使者が来ただけで正式な臣従も済んでいないけど、もう助けないと領民が飢えるだけなんだ。


 正式には、武田家から頼まれて援助するという形になっている。武田が織田に頭を下げて頼んだ。そういう形にしておけば、万が一、彼らが臣従を拒んだ時などに使える交渉材料になる。


 忍び衆の報告では今のところ飢えさせないために使っているようで、個人の懐に入れている者は少ない。手間賃くらいに中抜きするなら時代的に仕方ない。そこを責めて全体を崩壊させるのは悪手だからね。


 甲斐は、本当、史実の武田信玄がいかに優れていたかを実感しているね。


 賛否ある人だけど、あの国をまとめて飢えさせないというのは大変だよ。



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