第1685話・新たな時代への出立

Side:広橋国光


 雨が降ろうが雪が降ろうが変わらず時を刻む時計塔に、名残惜しさがこみ上げる。


 蔵人の失態の始末もあり、決して楽な日々ではなかった。されど、これほど穏やかで充実したのは初めてのことだ。


 京の都に御還御される。本来ならば喜ばしいことのはずなのだが……。


 清洲の民が、尾張の民が、院を見送ろうと沿道に出ておる。院も輿の中から御照覧されておられるであろう。


 院はこの国を……、太平の世を守ろうとされておる。そのために京の都に御還御されるのだ。


 大樹を筆頭に味方となる者も多い。大樹など病であると聞くが、必要とあらば出てくることからさほど悪うないのであろう。


 ただ、公卿や京の都には尾張を疎ましく思う者もおる。争いとならねば良いがな。




 蟹江にて船に乗りて、尾張を後にする。昼になる頃、武衛が昼餉を用意してくれた。


「これは……」


 竹の皮に包まれた握り飯と、重箱にある料理だ。


「大智が作りしものでございます」


 見ただけで分かると言うても過言ではあるまい。華やかな見た目と、尾張にしかない食材を使うた料理。武衛の言葉に思わず尾張に戻りたいと言いそうになる。


「これを食せるのも最後か」


 鬼役が毒見をしようとするのを止められた院は、重箱に箸を伸ばされた。


「美味しゅうございますな」


「うむ、日ノ本一であろう」


 誰も言の葉を発することがない中、飄々とした丹波卿がお声がけすると、院は東を見てお答えになられた。


 尾張では言われなんだことであろう。内匠頭と妻たちに今以上の重荷を背負わせたくない。左様な御心があるようにお見受けする。


 主上は尾張を離れる前に天杯てんぱいをお許しになられたが、院はあえてそれをなさらなかったのだと拝察する。


 いかんな。あまりに美味いものに、少し目に染みるわ。


 吾は決して忘れぬぞ。短き日々であったがな。




Side:久遠一馬


 出立は厳かな雰囲気だった。オレたちは清洲城にて、輿に乗る上皇陛下をお見送りした。こちらとしては大湊まで同行してお見送りをと考えていたけど、上皇陛下の御意向で過剰な見送りは不要ということで清洲城での見送りとなった。


 なんというか、遠い世界のお方なんだなと遠ざかる輿を見ながら改めて感じた。


 尾張からは義統さんが護衛として同行していて、ウチからも一益さんたちを出している。義輝さんを将として、六角・北畠・織田の兵で京の都までお送りするんだ。


 懸念になりそうなことはないと報告を受けている。とはいえ、なにがあるか分からないのが現実だ。警備と警戒は厳にしている。


 オレたちは一大イベントを終えたと喜びたいところだけど、そうもいかないんだよね。昨日、六角義賢さんと少し話したんだ。六角家における所領の問題をどうするべきか。信秀さんと信長さんと、その件を話さないといけない。


「所領か。あまり急かさぬほうがよいのではないのか? 近江が一足飛びに変われば畿内に響くぞ」


「私もそう思うんですけど……」


 やはり信秀さんは感覚的に理解している。今急ぐべきではないということに。六角の難しいところは京の都に近く、畿内に影響を及ぼすことなんだよね。


 とはいえ、この手の話には、必ずメリットとデメリットがある。デメリットは周辺に与える影響だ。領地制は織田家以外では今でも主流であり、六角家が領地制を止めると影響がどこまで広がるか考えなくてはならない。


 メリットは中央集権化が進むと、尾張を中心とした経済文化圏の頼もしい味方になる。尾張に追いつきたいという思いが強いのは理解しているし、嬉しいんだけどね。


「されど、かず。変わりたいと願う者を止めていいことがあるのか?」


 オレも悩むけど、信長さんは単刀直入に結論を口にした。


 そうなんだよね。まずは自分の家が優先なんだ。それはオレたちも変わらない。六角にとっては、畿内のことより近江と自分たちの改革が最優先なんだ。


 義賢さん、まず自分が所領放棄するべきかと考えているようだ。宿老などは総じて、改革と所領の放棄を覚悟しているものの、そのロードマップが見えないことと、我先にと所領を放棄して大丈夫なのかという不安があるようなんだ。


 新体制における自家の立場と食い扶持を保証して守ってくれる確証がないのとか、悩む気持ちもよく分かるんだよね。


 この件はどういうアドバイスをするか、少し議論して詰めておかないと駄目だろう。




◆◆


 永禄二年、六月末。後奈良上皇は尾張清洲城を出立されて御還御された。一年以上になる長い期間の御幸の終わりであった。


 現在では『永禄の御幸』と言われ、正親町天皇が親王時代に行われた『天文の行啓』と共に、室町末期から始まる時代の変革を如実に表す出来事として知られている。


 室町末期は朝廷がもっとも力を失っていた時代であり、後奈良上皇とその先代である後柏原天皇の頃には、即位すらままならなかった。


 そんな状況で尾張からの献上により、朝廷はようやく息を吹き返した直後の行啓・御幸であった。


 後奈良上皇はこの件を誰よりも感謝していたと、いくつかの記録に残っている。


 『永禄の御幸』については、近衛稙家と二条晴良が後奈良上皇に尾張をお見せしたいという考えから動いたことが現在では明らかになっているが、同時に著しく発展を続ける尾張との関係をより密にしようとした思惑もあった。


 事実、この行啓・御幸、そして譲位の前後から、朝廷は時の将軍である足利義輝と斯波と織田と緊密にやり取りをしており、歴史的に見ると、すでに世の中心は尾張に移っていたと見ることも出来る。


 斯波・六角・北畠の三国同盟が世に知られたのも、この一連の出来事がきっかけであり、その影響は当時の日本の最北端であった奥羽にまで影響を及ぼしている。


 『天文の行啓』と『永禄の御幸』をきっかけに、朝廷は新時代を見据えて本格的に動き出すことになり、現在まで皇室が残る大きな一因となっている。


 なお、後奈良上皇に伝えられた久遠料理は現在も皇室が受け継いでおり、久遠流精進料理とも言われ、宮中晩餐会などで出されることもある。




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