第1684話・最後の宴

Side:久遠一馬


 出立を明後日に控えて、今夜が最後の宴となる。


 上皇陛下はいつもと同じ様子だ。穏やかに宴を楽しんで出席者を見守っておられる。


 今は領内の寺社による仏の舞。遊僧などによる伝統芸能を披露してくれている。本来は延年えんねんというもので、大法要のあとに寺の坊主などが披露していたものの一種らしい。


 ウチが楽器演奏をしたことをきっかけに、別れの宴で披露したいと申し出があったみたいなんだ。


 音楽演奏の反響が結構あるんだよね。和歌や蹴鞠とかもそうだけど。知的な技や技能を持つと一定の敬意を払われるのかもしれない。


 仏の舞を楽しみつつ料理とお酒でゆっくりとした宴となるが、山科さんが唸るように料理を食べている。


「最後まで久遠の知恵には驚かされるの。黄金焼きか。あれと同じに思えるわ」


 実は最後の宴の料理も少し趣向を凝らした。いわゆる尾張で久遠料理と呼ばれているものだけど、今日は肉を使わない肉料理をお出ししたんだ。


 凍み豆腐を使った大豆ミート料理になる。凍み豆腐は畿内では高野豆腐とも呼ばれるとおり、精進料理に使われ、別にウチと関係なく日ノ本にあるものだ。それを久遠料理として黄金焼きことハンバーグにしている。コクが少し足りないようだったのでチーズを使っていて、本当に美味しい料理だ。


「作り方をお教えしておきました。これならば御所でも誰憚ることなくお召し上がりになることが出来ましょう」


「そなたという男は……」


「下魚を上魚と変え、肉を使わず肉を味わえるものを作るか」


 山科さんと広橋さんは、いい感じに驚いてくれたらしいね。若干戸惑い気味の顔をしているのは演技ではないと思う。


 無論、こちらも考えに考え抜いた結果だ。鰻料理を伝えたことは、今や京の都のみならず日ノ本全土に広がっている。広橋さんも口にしたが、下魚を上魚とした。これがエルの代名詞のひとつとなっているほどだ。


 はっきり言えば、一番教えるデメリットが少ないのが料理なんだよね。悪用出来るわけもないし、ウチが困ることもない。ついでに凍み豆腐なら都でも手に入るだろうからね。


「この一年、度重なる誉れの機会を頂いた、斯波家一同からの返礼でございます」


 ああ、また返礼に困らないように、この一年のお礼としてお教えする形にする。お土産もいろいろと用意してあるけど、全部、一年にわたって光栄な機会を賜ったお礼だ。


 義輝さんはオレの意図に気付いたんだろう。少し笑っているようにも見える。


 上皇陛下の食生活を少し豊かにするくらいは、変えたっていいじゃないか。エルが生臭にならないレシピで考えたんだ。料理は鰻という前例もある。朝廷を僅かでも変えるなら、このアプローチが一番だろう。


 朝廷関連は問題山積みだけど、友好と交流は絶やすわけにはいかないからね。


 最後まで気を抜かないように頑張ろう。




Side:足利義輝


 鰻に続いて新たな久遠料理を伝えたか。一分の隙もないな。御還御が御幸の終わりであり、新たな日々の始まりだと察しておるということか。


 にしても一馬は変わりつつある。


 北畠の大御所が気に入ったようであれこれと教えておったが、それを確実に己のものとしておるわ。


 無論、臣下としての体は今も崩しておらぬ。にもかかわらず、この男には一国の王のような余裕と品があるように見えるのは、オレの気のせいではあるまい。


 以前は常に己を小さく見せようと考えておった男がだ。それがいつの間にか、公の場では己の立場に相応しい振る舞いや顔つきをするようになった。


 武衛と弾正は、左様な一馬を見て心底喜んでおるわ。


「変わるは久遠の家伝であったな」


 ああ、我らが久遠に習い変わるよりも、一馬らが先を見て変わるほうがまだ早いというのか。いかに家伝であったとしても、これは一馬の資質と力量そのものではないのか?


「変わるは楽しきこと。某はもう少し早う知りとうございましたなぁ」


 にこやかな笑みの大御所は恐ろしいことを言うわ。そうか! 大御所は一馬を太平の世へと導くに相応しき男としたいのか!


 多彩な奥方衆と日ノ本一とも称される家臣団を揃える久遠にとって、最後の欠点が消えたのかもしれぬ。




Side:六角義賢


 次の天下は尾張からか。西国は周防の大内卿の遺言を思い出す。父上もまた最後に久遠の船に乗りたいと遺されたな。


 今なら分かる。大内卿や父上がなにを見ておられたかがな。


 止められぬ。いや、その気になれば、今この場で天下を束ねることさえ出来るのではあるまいか? 内匠頭殿の一声で日ノ本が動くはずだ。


 わしとて、従えと言われば頭を下げるかもしれぬ。


 院と帝がこれほど信じ、上様が自ら足利の世を終わらせる覚悟をしてまで信じるなど、あり得ることではない。


 官位でも血筋でもない。内匠頭殿は己の力と権威で人を従えることが出来る。これが、帝にも属さぬ王というものなのか?


 尾張・伊勢・近江の同盟は内匠頭殿がおる限り、決して崩れまい。さらに日ノ本を平らかにするとなると三好と北条も従うであろう。


 畿内と細川京兆は未だ侮れぬが、晴元や氏綱ではこの男と渡り合うのは無理だ。少なくとも近江以東の主な者は皆がそう思うはずだ。直に会えばな。


 日ノ本を平らかにした先を見据えて国を整える。今の我らの状況だ。晴元や氏綱では、左様な真意に気付くことすらあるまい。


「御屋形様……?」


「いや、名残惜しいと思うてな」


「左様でございますな」


 ふと思う。我らが不甲斐ないことで内匠頭殿は動かぬのかと。もしそうであったのならば、申し訳ない限りだ。


 近江がもっと早くしかと変わっておれば、院の御幸があるこの時に日ノ本をまとめることが出来たのであろうか?


 内匠頭殿に知恵を貸してもらうことも必要だが、その前にわしの覚悟を皆に伝えるべきであったのかもしれぬ。


 六角は尾張と共に新たな世をつくらねばならぬのだ。それが、父上の遺言だからな。


 所領を先に手放すのは、わしがするべきなのかもしれぬ。内匠頭殿を見ておってそう理解した。




◆◆

永禄二年、六月。清洲城にて、後奈良上皇を見送る宴があったことが複数の記録に残っている。


 久遠一馬はその席で、肉や魚を使わない精進料理としての久遠料理を振る舞い、その調理法を後奈良上皇に献上したとある。


 これは一度目の上洛時に鰻料理の料理法を伝えたことに続くことであり、後奈良上皇は大いに喜ばれたとある。


 なお一馬は一連の献上を、度重なる誉れを賜った返礼だと告げたといい、当時財政事情に苦しい朝廷が献上への返礼に悩まぬように配慮したようだ。


 ただ、山科言継の『言継卿記』には、すでに一馬は一介の臣下と言えぬだけの男だと記されており、朝廷にとって一馬の存在がますます大きくなっていたことを示していると思われる。


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