第1679話・芸事の価値

Side:三条の方


 とても、この世のものとは思えない音色でございます。見たこともない楽器がいくつもあり、奏でる音色は一分の狂いもなく共演しております。


 京の都には雅楽もございますが、長きに渡る戦乱により演者は各地に散っていて、装束や楽器などは失われておるものが多いと聞き及んだことがあります。


 三条の父上ですら、これほどの音色を聞いたことはないかもしれません。皆の箸や盃を持つ手が止まっており、我が殿もまたこの音色に聞き入っておられます。


 私も目を閉じて音色に耳を傾けます。とても心地いい。でも、何故か昔のことを思い出してしまいました。


 京の都から遥か東国の甲斐武田家に輿入れをしたこと、躑躅ヶ崎館を出て落ち延びるように尾張に来たこと。すべてが遠い彼方の出来事のように思えます。


 戦で勝たずに制する。この国に勝る武士はいないのかもしれません。


 いえ、政ですら勝る者がいない。そうだとすると、帝や院、朝廷はいかがなるのでしょうか?


「芸事まで通じておるとは……」


「桔梗殿の茶の湯、今巴殿の南蛮琵琶。久遠家では芸事も決して抜かりないからの」


 音色が途切れると、周囲の声が聞こえてきます。私を含めて新参者は驚くばかりのようでございますが、古参の者は内匠頭の奥方が芸事にも通じておることは承知のことのようです。


 この音色がいかほど難しいものか、諸将の皆様方はご理解されておられるのでしょうか?


 学問、武芸、芸事。すべてにおいて久遠では日ノ本より先を行く。女の身でありながら殿方を凌駕し、己の意思を貫く。少し羨ましくなります。


 かつて公卿が好んだと伝わる牛の乳を使った汁物を頂きながら、雅楽のような皆で奏でる音色を聞く。今の世でこれほどの贅沢は尾張以外ではあり得ぬこと。院もお喜びになられておられるでしょう。


 案ずるべきは都かもしれません。今も荒れていると聞き及ぶ都と三条の家がいかになるのか、それだけは気になってしまいます。




Side:丹波宗哲・丹波卿


 朝廷は手遅れかもしれぬな。日ノ本にはない楽器の数々と見事な音色にそう思うてしまった。


 朝廷と公卿で守り伝えし家伝の知恵や技の数々も、基を正せば唐天竺からもたらされたものが大半になる。長き世の乱れと戦乱により多くの公卿が家伝の技や知恵を失い、都を離れて落ち延びておる始末よ。


 数年前、丹波家が再興を許されたのは、織田から多大な献上があったことと、薬師殿の教えに感銘を受けた院が帝であった頃、朝廷の先を憂いて薬事に精通する丹波家の再興を願ったからだ。


 雅楽などは未だ手付かずであり、寺社で伝えるものや保護するものもあるが、いかになっておるのかは朝廷も把握しておらぬ。このままでは失われる一方だ。


 嘆く者、憂いて残そうとする者もおるが、それですら己の家にとって利があるかないかで決めてしまう。


 極めつきとして、いつの間にやら尾張の銭を当たり前のものとして、献上されるのを当然のように驕り、日ノ本の外に生きる久遠に対し、己の家伝に配慮せよと望む者すら公卿にはおるのだ。明らかな筋違いであるというのに。


 近衛公らが押しとどめておるので露見しておらぬがな。


「あるべき姿を見られるのは幸せなことよ」


「……丹波卿?」


「いや、なんでもない」


 朝廷のあるべき姿は久遠にあり。吾はそう思う。


 体裁を取り繕うことすら叶わず、主上や院あっての公卿だというのに、己の不遇を嘆き他者を妬む。これでは天も神仏も見向きもせぬのも致し方あるまい。


 都はもう一波乱あるであろうな。人は古き栄華を忘れられぬものだ。


 吾に出来ることは多くない。院や主上をお支えして、少しでも世の安寧のために学び励むのみ。愚かな公卿の夢想など構っておられぬわ。


 たとえ公卿が多くを失い地に落ちても、主上と院が先々の世においても日ノ本の頂におればよいのだ。




Side:足利義輝


 相も変わらず、ここには朝廷や都で失いしものがあふれておるな。久遠の音曲おんぎょくは幾度か聞いたが、都の公卿が知ればまた騒ぎそうなものだ。


 今にして思えば、蔵人の一件はちょうど良かったのかもしれぬ。公卿の中には、未だに斯波と織田を御しやすいと思うておる者もおるからな。なにかあらば、細川に命じて力を示せばいいとすら考える者もおるくらいだ。


 斯波と織田が大人しいのは、なんということはない。一馬らが畿内と関わりたくないと捨て置いておるだけ。近衛公や広橋公がそれに気づいて慌てておるがな。


 公卿と尾張。いずれが上か。官位はともかく実のところでは尾張が上なのだ。遠からずそこを示す必要があった。こちらが手を汚さず公卿に示せたのは悪うない。


 それと駿河におった公卿が随分と働いておる。かの者らは己のおる場を作るのに必死なだけであろうが、あれも都の公卿にはいい薬となろう。一馬は働く者には寛容だからな。身分や立場に問わず、働く者には手を差し伸べる。


「良き音色であった」


 エルらの演奏が終わると、院は満足げな様子で皆に聞こえるようにお声がけをされた。言葉少ないものの、これで久遠の音曲に異を唱える者が減るはずだ。騒動の懸念は潰しておく。図らずも院とオレは同じことを考えておるのか。


 六角と北畠も変わる覚悟をすでに持っておる。噓偽りなく近江以東は変わる。


 ああ、三好も守ってやらねばならぬな。修理大夫は思うた以上に義理堅く真面目な男だ。若狭と丹波で細川が争うており面倒な中、ようやっておるわ。


 世が動くとはかような状況を言うのであろうか? 誰かひとりの思わくで動かすのではない。数多の者が必死に動いておることで変わりつつあるのだ。


 父上やさきの管領代は、今のこの宴を見ていかに言うておられようか?


 院や帝は乱世から変わることを望まれ、尾張がその先駆けとなり太平の世を示しつつある。オレばかりではない。日に日に世が変わることを望む者が増えておるのだ。


 父上には気を抜くなとお叱りを受けるかもしれぬな。管領代もまたまだまだ危ういと諫める気がする。


 オレもまた油断などする気はない。最後の最後までな。


 さすれば必ずや……。




◆◆

 永禄二年、六月。後奈良上皇が京の都に御還御される頃となり、尾張では別れの宴が行われたことが幾つかの資料にある。


 その際に久遠一馬の奥方衆と滝川秀益が、河原者たちと共に久遠音楽を演奏して披露したことが記録として残っている。


 朝廷では古よりあった雅楽が四散していた頃であり、見事なまでの演奏に後奈良上皇は大変喜ばれたとある。


 久遠家の文化水準の高さは同席した公卿である山科言継、広橋国光、丹波宗哲らも知っていたことであるが、同時に朝廷にとって守るべき伝統が失われつつあることに危機感を持ったとある。


 久遠音楽はこれ以前からも尾張では親しまれていたようだが、現代の音楽の礎としてこの後、広がりを見せて発展していくことになる。



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