第1678話・別れの宴

Side:織田信秀


 院の御還御を前に宴となる。蔵人がおらなくなったことで、尾張に来た当初とまるで違う様相だな。


 心情は察するが、本意がいずこにあるのか分からぬお方だ。無論、わしのようなはしたの臣下が左様なこと考えずとも良いと、公卿などは言うのであろうがな。


 一時は腫れ物を触るように、誰もが畏れ多いと目を向けることすら憚る有様であったが、院が自ら多くの者と話をしたい。左様に仰せになって以降は、一言二言だが、お声がけがあった者も多い。


 周囲を見ると、山科卿がその内に秘めた苦悩を微塵も見せずに、酒と料理に箸をつけておる。


「白煮か。これも美味い汁よの」


「久遠料理は都では食えぬからの」


 広橋公がそんな山科卿の呟きに答えるように白煮に手を付けた。この御仁は山科卿と比べると幾分ではあるが、内に秘めたる思いが見える。無論、それが噓偽りなのか正しいのかはわしには分からぬがな。


 今日は憂いなど見せず、無事に御還御されることを安堵しておるようにお見受けする。


 宴は数回考えておるが、今日は久遠料理を主としており、流儀も久遠流だ。膳ではなく食卓にて宴をする。元は大陸にもあるもののようで、院もこの流儀をお喜びになられたこともあるのだ。


 あちらでは丹波卿が家中の者と笑い話をしておるな。


「ハハハ、良きかな良きかな。多くを学び、国のために働く。かように生きられる尾張者が羨ましき限りよ」


「鄙の地と言われる尾張にて、丹波卿ほど熱心に学ばれた公卿はおりますまい。我らも人として学ばせていただきました」


 油断ならぬのはこの御仁だな。蔵人がおる頃は大人しゅう書を読むなど学んでおっただけだというのに、おらなくなった途端、自ら申し出て久遠の医術を学んだ。病院においても家中においても、気さくに皆に声を掛けて馴染んでしまっておる。


 院の御内意があるとはいえ、なかなか真似出来るものではない。


「学ぶことが楽しきことと知ったのは尾張に来てからよ。薬師殿や光殿には礼を言っても言い切れぬわ」


 少々豪快な御仁故、かの者の声は響く。今日は女衆も同席しており、ケティは名を呼ばれたことで丹波卿に視線を向けるが、穏やかな笑みを浮かべて料理を食うておる。


 女衆の同席。これも院がお求めになられたことだ。尾張ではすっかり女衆が同席する宴が当たり前となったからな。


 ああ、院は左様な丹波卿と家中の者の様子を見て、嬉しそうに笑みをお見せになられた。


 身分や権威、立場。いろいろあるが、公卿と武士が共に酒を飲みひと時を楽しむ。左様な様子をお望みなのであろうな。


 この先、いかになるか分からぬが、せめて今宵は一夜の夢を見せて差し上げたいものだ。




Side:久遠一馬


 宴は和やかな様子だ。緊張感から笑い声さえ少なかった頃もあっただけに感慨深いものがある。


 今日の料理は牧場村で飼育している合鴨のソテーをメインに、海鮮クリームシチューや夏野菜の料理が並ぶ。元の世界の日本であった洋食みたいな料理ばかりだ。


 それぞれに思惑、感じ方はあるんだろうけど。ホッとしているというのは共通項な気がする。


「では、少し余興をいたします」


 お酒も進み、場も温まったところで上皇陛下に余興をお見せする。宴に参加しているエルたちと、慶次、それと顔なじみの元河原者である音楽家を何人か呼んでいるんだ。


 余談ではあるが、元々技能集団に近い河原者。まあ尾張だとお祭りや宴も多いのでわりとお呼ばれする機会も多いようで、すっかり定住している。特に笛が上手な人とかは引っ張りだこで、あちこちのお祭りや宴に呼ばれる。


 いつの間にかウチの故郷の曲だと言ってある元の世界の音楽を、かなり覚えて披露しているくらいだし。ウチの宴にも時々呼ぶんだ。


 今日はせっかくなので彼らも呼んで、一緒に演奏してもらうことにした。こういう光景も今の尾張を象徴するものだからね。


 前に信秀さんに頼まれて清洲城にもオルガンを設置してあるので、エルがオルガンの前に座り音を確かめると、ジュリアやケティたちも同じく得意の楽器を手に持つ。


 慶次はリュートらしいね。ほんと、なんでも出来る男だ。


「では、始めさせていただきます」


 代表をしてエルが挨拶をすると場が静まり返る。織田家だとあまりやらないけど、能の鑑賞とかもこの時代だとあるからね。こういう席で聞く態度はきちんとしている。


 元の世界でいう西洋式の楽器も幾つか持ち込んでいる。笛や太鼓と見事にセッションしている姿は、オレも驚く光景だ。


 初めはゆっくりとした音楽から入り、場の皆さんの心を落ち着かせて掴むような感じだ。明確なオーケストラとまでは言えないものの、それに近い迫力と技量は十分にある。


 上皇陛下は顔色を変えずに静かだ。山科さんたちと義賢さんたちは少し驚いているか。義輝さんも当然将軍として同席しているものの、菊丸として何度か聞いたことがあることから、こちらは驚きがないようだ。


 音楽があると宴の様子が様変わりするなぁ。宴会から高級なパーティーに変わる感じか。


 一々文句をつける人も今はいない。女衆の同席がなかったら、これもやらなかっただろう。ただ、上皇陛下は女衆の同席も望まれたんだ。その想いに応えるべく楽器演奏を披露する。


 うん。元の世界の時代劇やアニソンが混じっているのは仕方ない。すずとチェリーがウチの音楽として広めちゃったからね。


 でもこうして聞いていると、それも高貴な音楽に聞こえるから不思議だ。


「学校で学んだ先か。羨ましき限りよ」


 曲の合間にわずかな休憩が入るけど、その時、晴具さんがふと漏らすように一言口にされた。


 晴具さん、誰もが驚くほど学校を楽しんでいるようなんだ。よほど気に入られたのだろう。最近は晴具さんが師となる授業もしてくれている。昔話や公卿の礼儀作法とか教えてくれているんだよね。


 もちろん生徒としての授業を受けることを優先しているけど。


 学校では音楽の授業もある。音楽はどちらかというと年齢層が高いようで、隠居した人とか結構来るらしい。


 文化芸術面は確実に留吉君の影響だからなぁ。音楽に関してはウチの孤児院の子たちも学んでいて笛とか出来る子もいるからね。


 あと、ジュリアがリュートを弾く影響も大きい。武官とかはリュートを好み、結構売れるんだ。あれ、今のところウチでしか作れないから。


 芸事のひとつも出来ないと無粋な男とまでは言われないけど、和歌を詠んだり茶の湯を嗜んだりするように音楽も尾張だと出来ることを求められつつある。


 尾張では武士と農業の分離が進んでいる。それだけ忙しいんだけどね。こういう芸事にも目が向くようになってきたのはいいことだと思う。


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